第96話 ユノン・フィルフィーレ


「なるほど・・」


 部屋の様子を確かめて、俺は感心したように唸った。


 リビングを共有する形で、3つの寝室がある大きな部屋だった。簡易調理場や大きな湯殿もある。それぞれの寝室にも、小さな机の置かれた執務室や書棚、居間があり、ベランダには小さな湯船があって露天風呂気分で湯を使えるようになっていた。


(なんていうの・・スイートルーム? もっと上? ロイヤル何ちゃら? スイートの方が上なんだっけ?)


 天井高は5メートルほど。どうやって掃除しているのか、ちり一つ無い清潔な室内は、空調もされているようだった。


「凄いね・・これは」


 ありきたりな感想を口にしつつ、案内をしてくれた小さな女の子を振り返った。背中に蝙蝠コウモリのような羽根のある、猫のような眼をした幼い顔立ちをした妖魔さんだ。人間なら同い年か、少し下だろう。


「お気に召しました?」


「うん、ありがとう」


「食事はこちらにお運びします。様々なお客様がお泊まりですので・・」


「だよねぇ」


 むしろ、人間の客の方が少ないだろう。うっかり歩いてたら、食事と間違っておどいにされるかもしれない。


「給仕等は必要ないとの事でしたが・・」


「うん、自分たちでやるから良いよ」


「では、ごゆっくり」


 仕立ての良い女中服のスカートを摘まんでお辞儀をすると、猫目の妖女さんが扉を閉めて去って行った。


「ええと・・コウタさん?」


 デイジーがどこか遠い眼差しのまま声を掛けてくる。


「なぁに?」


「どうして、迷宮の中にこんな旅館ホテルが?」


「俺にかないで」


「・・これ、貴族向けの領館より豪華ですよ?」


「良かったじゃん」


「さっき、凄い金額を払っていましたよね?」


「まあ、びっくりだったね」


 1人1泊、100万セリカだったのだ。


「でも、こんな旅館に泊まれるなんて滅多に無いからさ。良い思い出になるんじゃない?」


 俺は広々とした居間の奥にある窓辺へ近寄ってみた。


「わはは・・」


 間接照明風にライトアップされた鍾乳洞が幻想的に浮かび上がって見える。


「綺麗です」


 ユノンも眼を細めている。


「セリカというのは、西大陸の共通通貨ですけど・・東大陸に渡ればエーランですし、南方諸島ではナル、シッド・・様々あります。魔界も・・こちらの通貨とは違うと思うんですけど」


 デイジーがぶつぶつ言って首を捻っていた。

 妙なところで細かい奴だ。胸とお尻はおっきいのに・・。


「100万セリカ相当の値段に揃えてあるんでしょ。両替はどうやってんだろ? まさか天秤とかじゃないだろうし・・」


 俺は改めて部屋の中を見回した。


「両替商というものが居るそうですけど・・よく御存じですね」


「まあ、俺の世界だと普通だから・・色んな通貨が入り混じってたし」


「そうなのですね」


「それより、部屋割はどうする?」


「これほどの旅館です。侵入の危険は無いと思いますが・・」


 デイジーが言うには、治安が悪い地帯など、ちゃんとした旅館であっても、壁をよじ登って忍び込もうとする輩や、旅館の従業員と一緒になって扉の鍵を開けて入ってくるような事もあるそうだ。


「窓の外は・・」


 寝室の窓から眺めてみるが、乳白色に薄光する岩肌が見渡せるだけで、治安が良いのか悪いのか判らない。同じ間取りの部屋が並んでいるので、どの部屋も一緒かな?


「廊下側の部屋に俺、真ん中がユノン、奥がデイジーにしようか」


「はい」


「分かりました」


 俺の提案に2人が頷いた。


 洗精霊のおかげで、いつでも清潔にしていられる。それでも、湯船でたっぷりした湯に浸かれるというのは魅力的だ。


(なんだかんだ、あまり休めていなかったからなぁ・・思いっきり油断しちゃおうかなぁ)


 食事までの間に、ちょこっとお風呂を楽しめそうだ。


「あの・・あのっ、コウタさん」


 ユノンが、浮かれ気分の俺の上着を握った。


「なに?」


「ここから、お母さんに伝言できます?」


「伝言・・どうだろ? 試してみようか? なんて言えば良い?」


「セイ・ラフィーレン・アイ・ユノン・・と」


 時々使っている意味不明の単語の羅列だった。古代の森の民エルダーエルフの言語らしい。


「・・えと、せい・らふぃーれ?」


「・・セイ・ラフィーレン・アイ・ユノンです」


 ユノンが俺の瞳を見つめるようにして訴える。なんだか、思い詰めてる感じだ。ホームシックか何かだろうか。


「分かった。話精霊カモン!」



『ご伝言ですかぁ~?』



 呼び掛けに応じて、蜜柑みかん色の衣装を着た精霊が姿をあらわした。



「サリーシャ・リーンラムに伝言」



『う~ん・・遠いですねぇ~・・何処どこですかねぇ~・・う~ん・・あっ! 発見です! 伝言できますよぉ~』



 話精霊がはしゃいだ声をあげた。



「返信付きで頼める?」



 話精霊がレベルアップしていて、こちらの伝言に対して、向こうからの返答まで預かれるようになったのだ。



『大丈夫ですよぉ~』



「なら、サリーシャ・リーンラムに、ユノン・リーンラムからの伝言で、セイ・ラフィーレン・アイ・ユノン・・とお願い」



『承りましたぁ~。代金は50万セリカになりまぁ~す』



「おっけぇ~」



『代金は口座引き落としになりまぁ~す』



「はいよぉ~」



『ではではぁ~・・・・・伝言きましたぁ~』



「早いな・・何だって?」



『アイ・ユノン・フィルフィーレ・フィルフィーレ・モン・スーン・・ですぅ』



「・・・だって」



 俺はユノンを見た。


(え・・?)


 ユノンが耳まで真っ赤に染めて、上着のすそを握ったまま俯いていた。その背にデイジーが優しい表情でそっと支えるようにしていた。



『では、ご利用ありがとうございましたぁ~』



 蜜柑色の精霊が消えて行った。


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