第91話 ヨッタルの悲劇


「いやぁ、無事で良かったねぇ~・・・ねっ? ヨッタル君?」


 俺はにこにこと微笑を浮かべて、隣で小さくなっているヨッタル・ボードのたるんだ脇腹をつついた。


「う、うん・・その、助かり・・ました」


 ボード子爵の館の中である。


 執務中だという子爵に代わって、老いた執事が対応していた。


「・・ヨッタル坊ちゃまをお殴りになり、それを治療したと・・・そう聞こえましたが?」


 それのどこが "助かった" に繋がるのかと・・。


「お爺ちゃん、耳が悪いの? ヨッタル坊ちゃまが、一国の大使と王女に悪さを働こうとして、殴られて死にかけ、それを治療して連れてきたんだよ。ちゃんと覚えてね? まあ、紙に書いてあるから大丈夫だけど・・あ、坊ちゃんの血判入りになってるからね? 自認書というやつ」


 俺は机上に呪紙を拡げて見せた。


「・・このような紙など、なんの証拠にもなりませんぞ?」


「ああ、言い忘れてたけど、こちら司法神の加護持ち。ちゃんと立ち会って貰いました」


「司法の・・御加護をお持ちと・・」


「この契印書に誓約した内容を守らなかった場合は、ヨッタル坊ちゃまが、全裸で町中を走り回り、これまでやってきた悪事を叫び続けます。そうだね?」


「はい。ヨッタル・ボードが自ら誓約し、血判を押しました」


 デイジーが無表情に告げつつ、右手を胸元に当てて短く祈りを捧げた。


 瞬間、机上に置かれた契印書が黄金色の光りに包まれて、司法神の紋章が透かし彫りのように浮かび上がって消える。


「これにて、ヨッタル・ボードの誓約は、司法の神へと捧げられました」


「・・そ、そのような・・ま、待って下されっ!」


「もう遅いんだ、お爺ちゃん。あきらめて?」


「いや、とにかく待って下されっ! 司法の御加護をお持ちなら、誓約の破棄も可能で御座いましょう?」


「司法神の御加護を授かった者が4人集えば可能となりますね」


「よ・・4人も・・」


「町の女の子を脅して、さらって、犯して、殺して・・さすがにやり過ぎたねぇ」


「・・そのような事、ヨッタル様がおやりになるはずが・・」


「うふふ・・」


 俺はにんまりと相好を崩した。

 雷兎の耳が、部屋の外に集まって来た武装集団の足音を拾っていた。


「ユノン」


「はい」


 ユノンがトコトコと歩いて行って小さく扉を引き開けるなり、隙間から毒袋を放って扉を閉めた。


 パフッ・・


 微かな破裂音が扉の外で聞こえる。


 後はもう阿鼻叫喚・・絶叫と苦鳴、重たい質量がそこかしこにぶつかる音が響き聞こえていた。


「これ、猛毒ですから気を付けて下さいね」


 ユノンが小さな硝子瓶ガラスびんを扉の前に置いた。蓋を開けて、代わりに薄紙でふたをする。


 外から誰かが入ると、瓶が倒れて中身がこぼれるという事だ。酷く単純で、そして怖ろしい。何しろ、蓋は開いていて、紙が載せられただけなのだから。


「ロミアム様、少しお下がりになった方が・・」


 ハン・スールが小声でささやく。


「私は・・いえ、私達は大丈夫なのですが、スールさんは毒は大丈夫ですか?」


「えっ・・い、いえ・・大丈夫ということはありませんが」


「普通の解毒薬は役に立ちませんよ?」


「・・そうなのですか?」


「普通じゃ無い解毒薬も効きませんけど・・」


 デイジーがうっすらと笑みを浮かべる。


「その・・少し失礼します」


 ハン・スールが後ろの壁際にまで離れて、えりに巻いていた白布を解いて鼻と口を覆った。その上で、小声で呪文を唱えている。


「聖楯の呪ですね。聖騎士様でしたか」


 デイジーが感心したように呟いた。


「おお、聖騎士パラディン・・格好いいね」


 俺は見直す思いで壁際のハン・スールを眺めた。


「じ、爺っ! どうしよう・・どうしたら」


 狼狽うろたえるヨッタルを老執事が身振りで宥める。


 その時、ユノンが握っていた小さな鉄球を天井めがけて放った。手首から先を捻っただけのようだったが、天井板を打ち貫いて抜けている。

 ほどなく、何かをこするような物音が聞こえ、すぐに音が途絶えた。


「コウタさん?」


「5人とも動かなくなったね、心臓が・・」


 俺の耳は心音を拾う。


「さて・・執事さん、どうしよっか?」


 もう、廊下の方も死屍累々ししるいるいですよ? 正確には、廊下の人達は苦しんでいるだけで死んではいないけど。


「・・何が望みだ?」


 老執事が眼を怒らせて訊いてくる。その背に、ヨッタルがかばわれている。


「ヨッタル坊ちゃんが話してくれたんだけど、ボード子爵さんは、ずいぶんと悪いことをやっているようだね?」


「何を馬鹿な・・旦那様は」


「ヨッタル君?」


「はい」


 俺に声を掛けられて、ヨッタルが後ろから老執事を羽交い締めに抱きしめた。


「なっ!? ぼ、坊ちゃま・・」


 慌てる老執事めがけて一瞬で距離を詰めると、短刀を片手に老執事の左手を掴むなり親指の腹に傷を入れる。そのまま、手にした誓約書に押しつけた。

 誓約書をユノンに手渡した。


「ヨッタル君、お爺ちゃんの名前は?」


「ゼイアン・ワズールです」


 ヨッタルの声を聴きながら、ユノンが誓約書に名前を書き入れる。


「少し弱い呪縛ですけど・・」


 ユノンの双眸が見つめる先で、老執事が苦悶の形相で仰け反り、手足を痙攣けいれんさせた。


「効いた?」


「はい。呪詛返しの魔法具を突破しました」


 呪の込められた誓約書を見つめてユノンが頷いた。老執事の指で、指輪が熱で溶解したように溶け崩れている。指の方もけてただれていた。しかし、呪で縛られて、痛みを表すことも出来ないままだった。


「デイジー」


「はい」


 先ほどと同様、デイジーが誓約書を司法神に捧げる。


「よし・・」


 と、俺が満足げに頷いた時、背後からハン・スールが斬りかかって来た。


 しかし、俺には不意討ちは効きません。

 長剣をかいくぐって身を入れるなり、ハン・スールを投げ落としていた。

 その上で、両脚の付け根めがけて、



 雷兎の蹴脚・・



 爪先に確かな手応えを感じつつ、てい骨まで容赦なく粉砕する。


「ヨッタル君、この騎士の名前は?」


「ハン・ワズールです」


「・・なるほど」


 似てないけど、老執事さんの血縁ということか。


「ユノン、誓約書をもう一枚」


「分かりました」


 ユノンが小さく首肯して、机上に呪用紙を取り出した。



  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る