第87話 汚れたら、洗えば良いんだ!


(樹海って・・とんでもなく広いな)


 神樹の森を出てから歩けども歩けども、走れども走れども、どこまで行っても森の中だった。魔導的な結界がどうこうでは無い。現実として、延々と巨樹の森が続いているのだ。


(もう30日くらい経った?)


 偶然見つけた泉のほとりで休憩しながら、俺はぼんやりと巨樹のこずえを見上げていた。


「コウタさん・・」


「ん?」


 呼ばれて顔を向けると、ユノンが糸綴いととじの手帳を手に座っていた。


「狩猟台帳?」


「はい。昨日狩った大きな獣は何という名前でしょう?」


 ユノンがいてくる。


 狩猟台帳には、名称やら種族名など詳細に記録されるのだ。


「ええと・・」


 俺は狩猟台帳を手にページをめくった。


「モスド・キマイラ、魔瘴融合獣・・魔瘴に冒された闇獅子に、呪妖花と牛頭鬼が取り込まれ融合した魔獣。高熱を伴った猛毒と瘴気を吐き、獲物の動きを封じる呪眼、強烈な催眠・混乱効果をもった妖香、聴く者を麻痺・失神させる咆吼を使う」


「モスド・キマイラ・・」


 ユノンが手帳に書き込んでいく。


 俺は、ちらと泉の畔を見た。そこに、デイジーが簀巻すまきになって倒れていた。戦いの最中に、気が狂ったようになって暴れるので取り押さえて縛り上げたのだ。


(・・妖香ってやつかな?)


 耐性が無い者にとっては厄介な魔獣だったようだ。


(まあ、俺には状態異常とか効かんからね・・)


 そして、ユノンにも効かない。"クーン"の護りがあるからと言っていたが・・。


「この辺、新顔が多いね」


「そうですね。魔瘴を浴びた魔物が増えたような気がします」


 ユノンが頷きながら手帳を仕舞った。


「あれ・・治せる?」


 俺は、簀巻すまきでジタバタ暴れているデイジーを指さした。


「治せます・・けど」


「けど?」


「女の人だから、ちょっと可哀相です」


「・・え?」


「男の人には、見られたく無いと思います」


「は?・・いや、その・・なんか、大変な事になるの?」


「体に取り込まれた毒素を強制的に外へ排出させるので・・」


「・・・・あぁ」


 それは大変そうだ。もしかして、下剤? そんな感じなの?


「幸い、綺麗な泉がありますし、少し・・その」


「うん・・そこの樹の裏で耳をふさいどくよ」


 あまり離れすぎると、魔物が襲ってきた時の対応が遅れてしまう。


「はい。そうしてあげて下さい」


 ユノンが小さく頷いた。



****



「・・死なせて下さい」


 やつれきった顔で、デイジーがポツリと呟いた。


 苦しみ悶え、絶叫を放っていた関係で、のどが枯れて声までも痛々しい。

 晴れているのに、そこだけ黒々とした影になっているような隠滅した雰囲気だった。


「大丈夫です。治療ですから・・誰だって病気とか怪我の時はあります」


 ユノンが優しく慰めている。


 外見的には、中学生が大学生を慰めている感じなのだけど・・。


「だって・・だって、こんな・・あんまりです」


 デイジが肩を震わせて泣き崩れている。


「こんなの少し汚れただけですよ。洗えば元の通り、綺麗な身体に戻ります」


「うぅぅ・・ユノンさん」


「大丈夫、大丈夫ですから・・」


 密やかに聞こえてくるすすり泣く声を聴きながら、俺は樹の上で空を眺めていた。


 色々と大変な事になったので、風通しの良い高い所へ逃げて来たのだが・・まあ、デイジーの名誉のために、詳細な描写は省略する。


 おかげで、鳥のさえずりも止み、遠くで聞こえていた獣の咆吼も途絶え、下草の間で鳴いていた虫も沈黙していた。ひとまず、辺り一帯は安全地帯と言って良い。


(劇薬だって言ってたからなぁ・・)


 ユノンの作った薬は、解毒薬では無く、除毒薬とでも言えば良いのか、体内の毒素を強制的に外へ出してしまう薬だった。それこそ、胃から腸からひっくり返り、全身から有り得ない勢いで発汗し、目鼻口からはもちろん・・とにかく、それはもう酷い有様になった。


(うん・・よく頑張った)


 俺は、デイジーを見直したよ。もうね、凄い頑張り屋さんだ。俺だったら、ちょっと立ち直れないかもな・・。


(・・・って、マジですかぁ!?)


 俺は樹上で跳ね起きた。


 何かが近付いて来ていた。こんな場所に・・。


(ありえないでしょ・・どんな物好きだよ?)


 俺は、個人収納から細槍キスアリスを取り出した。ユノン達に声を掛けようか迷ったが、物悲しい嗚咽おえつを耳にして嘆息した。


 ここは、俺1人で片付けた方が良さそうだ。


(かなり大きい奴みたいだけど・・)


 ヤバい奴だったら模写技をまとめて叩き込めばやれるだろう。それで駄目なら、ユノン達に泣きつくしか無いが・・。


(頼むよ、キスアリス・・)


 真珠色をした細槍キスアリスを手に枝から枝へと跳び移る。


(・・毛の山?)


 巨樹を押し分けるようにして進んで来ていたのは、獣毛の長い山のような巨体をした何かだった。豚のような鼻面をしているが、毛の無い尻尾は蛇のような感じだ。


(う~ん・・豚蛇?)


 適当な名称を付けつつ、


(破城角・・一角尖っ!)


 ぐんぐん速度を増しながら、まっしぐらに小山のような巨体めがけて突進する。


(ひょ・・!?)


 不意に豚蛇が顔を持ち上げた。その豚っぽい鼻面が、八方向へ引き裂けるようにして拡がり、突進する俺を包み込んで来た。


(きっ・・キモぉぉぉーーーー)


 俺は、胸中で絶叫しながら、白角を輝かせて突っ込んで行った。


 発動した一角尖は、途中で止まれない。

 気をつけましょう。


 細かな凹凸がある口腔のヒダが包み込んでくるより速く、一角尖が食道の入口辺りに炸裂した。


(雷轟っ!)


 ねっとりとした臭気に包まれながら、俺は全身から雷を撃ち放った。


 さらに、


(カンディル・パニック!)


 真珠色の細槍キスアリスを周囲の肉壁へ突き刺した。情け無用の必殺コンボ乱れ打ちである。


 すぐさま、陽の模写技を入れ替える。


(・・っと!)


 わずかに残っていた陽の光が消えて真っ暗になった。俺を呑み込んで口を閉じたらしいが・・。


 すぐに苦悶の叫びと共に巨体が跳ね転がり、俺はずたずたに引き裂けた肉の隙間から大量の体液によって外へ流し出された。


(臭っ・・)


 たまらない悪臭が鼻を突き、眼に染みた。

 女神様の加護が無かったら、白目をいて悶絶していただろう。凶悪な悪臭だった。


(・・まあ、でも・・体内からの模写技コンボ最強だな)


 一角尖で傷口を作り、雷轟で灼いて硬直させた体組織にカンディル・パニックを突き入れる。これまで、この3つを叩き込んで仕留めきれなかった魔獣はいない。

 まあ、魔瘴地帯で出くわした巨大なスライムっぽい何かには効かなかったけど・・。


(再生は・・)


 じっと観察していたが、どうやら魔獣は死んだようだった。


「洗精霊カモンっ!」


 俺は叫び声を上げた。


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