第83話 協定


「私は、司法神の加護を与えられた身です。そちらには、ランドールの司教様もいらっしゃる。誓約書は神々への誓詞となるでしょう」


 ディージェ・センタイルが協定書に眼を通しながら言った。


 ただの紙切れでは無く、神前で交わされた聖なる約束事になるのだと言う。


「そうなの?」


 俺はデイジーを見た。


「はい。私は地母神の加護と司法神の加護を与えられております。ランドールからは破門されたと思いますが、誓詞を捧げる資格はあると思います」


 デイジーが言った。今回の協定書を書き上げたのはデイジーである。


「ほう・・複数の加護をお持ちか。それに・・私が言うのもおかしいのですが、司法神の加護をお持ちの方は珍しいですね」


 わずかに眼を細めるようにしてデイジーを見てから、ディージェ・センタイルが、バロード・モンヒュールに頷いて見せた。


「では・・」


 モンヒュールが親指の腹に傷を入れて血判を押す。続いて、ディージェが押し、俺とユノン、ロートリング、ウルフール、ゲンザン、デイジーも血判を押した。



 内容はとてもシンプルだ。


****


 バロード・モンヒュールとディージェ・センタイルは、俺が主張する港から沿岸部にかけての土地を、コウタ・ユウキの所有地として認める。


****


 これだけだった。



「他に盛り込まなくて良かったのですか?」


 ディージェ・センタイルがいてくるが、


「まあ、あれこれ決めると、うっかり攻撃しちゃった時に言い訳できないじゃん」


 俺はニコニコと笑顔で答えた。


 バロードとディージェがちらと顔を見合わせる。


「うっかりで船を沈められては困ります。よく確かめてからにして下さい」


 ディージェの申し入れに、


「努力しましょう」


 俺は鷹揚おうようにうなずいた。


 でもね・・。


「争い事が無くなれば・・とは思うけど、チュレックにだって色々な人がいるでしょう? こちらは友好的なつもりでも、だまし討ちで捕まえて奴隷にしようとかたくらむ人だって現れるだろうし・・」


「そういう者は自由に処断して貰って構いません」


 ディージェがきっぱりと断言した。


「偉い人でも?」


「無論です。例え、国王その人であろうとも」


「でも、王様が法を書き換えて奴隷狩りを容認したら問題なくなる?」


「他の国ではそうでしょう。しかし、我が国においては・・少なくとも国母様がご存命の内には起こりえません。現国王にしても、その御子様にも血は継がれているのですから・・血筋の否定は王家そのものを危うくします」


「なるほど・・」


 ある程度は信頼して良いのかな? まあ、国の都合でどう転ぶか分からないけどねぇ・・。


「ユウキ殿は、人間・・ですよね?」


「うん」


 何、その疑問符は?


「その角は?」


「ああ、まあ事故かな。ちょっと大きな角のあるやつをたおした時に生えてきちゃったんだ」


 俺はおでこの白角を指ででた。小さな角なのに、みんな気にするみたいだ。


「ほう・・そのような事が・・すると、本当に鬼人族とは違うのですね?」


「うん、元々は普通の人間だから」


 色々と人間不信になりそうな体験はしましたけど。ボク、やさぐれないで頑張ってるよ?


「・・国母様に説明する時に、正確な情報をお伝えする必要があるため、おきしました」


「その人は、ここの森とは別のところの出身なの?」


「ええ、そうお聴きしています」


「そっか。やっぱり、この・・ロートリングのような感じ?」


 俺はロートリングを見た。


「そうですね。似た雰囲気の容姿をされておられます」


「ふうん・・」


「ところで、先ほどデイジー殿にうかがった話ですと、樹海には奴隷狩りの基地が存在するとか?」


「やっぱり、チュレックでも、ここの樹海には人の町は無いという認識?」


 前にデイジーも驚いていたけど・・。


「位置からすると、ガザンルード帝国が関与しているのは確実でしょう。大陸の取り決めを堂々と破っているとは呆れた横暴ぶりです。魔の森という呼称の是非はともかく、外の・・我々などの認識では、この樹海は魔界に棲まう魔性の者達の侵入を防ぎ止めるための役割を担っていると」


「へぇ、そうなんだ?」


 ユノンとロートリングを振り返ると、2人がそれぞれ頷いて見せた。


「・・知らんかった」


 新事実である。


「ユウキ殿は、魔の者を目にしたことはありませんか?」


「魔の者?」


 そんな危なそうな奴、見たこと無いけど・・。というより、危ない虫やら獣やらは、魔の者じゃないの?


「蜘蛛の者に遭いませんでしたか?」


 そう言ったのは、ロートリングだった。


「蜘蛛・・あの蜘蛛女?」


「はい。アルキーデス・・アルケミーが魔に堕ちた者と言われております」


「ほほう? あれがそうなのかぁ・・そう言えば、血とか唾とかが強い酸だったから、ちょっと変かなって思ってたんだ」


「・・やはり、魔の者が居るのですね」


 ディージェが頷いた。


「でも、あいつくらいだよ? 俺が出会ったのは・・」


「神樹の神気が抑えているのです。ただ、神気の濃度には波があって、薄まった時にこちらへ侵入してくる者がおります」


 ロートリングが説明してくれた。


「なるほどなぁ・・」


「コウタさんは、アルキーデスをたおしていたんですね」


 ユノンが感心したように呟いた。


「・・まあね」


 当時の様子は詳しく思い出すべきじゃ無い気がする。あれを思い出すということは、そこに到った経緯まで思い起こさなければならない。


「アルキーデス?」


 俺は狩猟台帳を取り出してページをめくってみた。


(ふむ・・確かに)


 デフォルメされた蜘蛛女の姿絵と種族名称、個別名、討伐日、討伐場所、討伐方法が記載されていた。


 この狩猟台帳は、俺にしか内容が見えない。ユノンにも見えたら、内容の整理とかして貰いたいんだけど・・。


「種族はアルキーデス、個別名はミドーレ・ボーフェイ・・となってるね」


「氏族名持ちのアルキーデス・・」


 ロートリングの顔から血の気が退いた。

 隣で、ウルフールやゲンザンまでが顔を強張らせている。


「・・有名なヒト?」


 俺はそっとユノンにいてみた。


「魔性の者達の中でも、より強大な力を得て成長した者は氏族名を得ます。私達は、そうした者を魔族と呼んでいます」


「ふむふむ・・?」


「実際にはどのような種類の魔族が棲息しているのか判っていません。ただ、アルキーデスはかなり知られた種族なのです。以前にも、こちらの世界に侵攻してきて、大変な災厄をもたらしたと伝え聞いています」


「ふうん・・」


 それにしては、細槍キスアリスの一刺しで即死だったような・・?


「魔法の効きが悪く、数百人の術者による精霊術でもたおすには到らなかったと聴きます」


 ロートリングが言った。


「魔法が効かなくても、剣とか・・弓矢で攻撃すれば良いじゃん?」


「魔族と呼ばれる者達には、魔法などが付与された武器でなければ傷を与えられません。その付与した魔法すらも効果が減衰されてしまい、極めて効きが薄くなってしまうのです」


「ほほう?」


 あれ? これって、俺の細槍キスアリスちゃんが最強って流れじゃなぁい? いや、美しさには絶対の自信があったけど、威力というか効能? そういうのも凄いって話だよね?


「それほどの魔族を、ユウキ殿はたおしたということですね」


 ディージェが呟くように言った。


「お尋ねしたいのですが・・先の侵略軍には名だたる猛者が数多く集められたと聴きます」


 モンヒュールが、やけに丁寧な口調で切り出した。


 奴隷狩りに来た者、軍勢として攻め入った者達の中には加護持ちが含まれていたはずだ。


「ユウキ殿が仕留めた者達の中に加護を持った者が居たならば・・ぜひともお聞かせ願いたい」


「加護持ち・・」


 俺はユノンやロートリング、デイジーの顔を見た。

 なに? 俺、断罪されちゃう流れ?


「この樹海に侵入した時点で、いずれも罪人ですから。コウタさんがたおした人が、どの国のどのような立場の人間であったとしても、殺人などの罪に問われることはありません」


 デイジーが言った。


「その通りです。ランドール教会のデオラーダ教皇の手記をもって正当性を説いたところで、神々の荘園を騒がせた罪は赦されるものではありません」


 ディージェがおごそかな表情で言った。


「そう? じゃあ・・」


 俺はユノンを見て頷いた。以前に読み上げた名前を、ユノンが帳簿に記載してあった。


「では、読み上げさせて頂きます」


 ユノンが帳簿を取り出した。


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