第66話 ロートリング・カミータ


「コウタさん、お客さんです」


 ぼんやりと考え事をしつつ昼寝しようかと思っていた俺の企みが、はかなついえてしまった。


「・・だれ?」


 やや不機嫌に顔だけを起こして訊いてみる。


森の民エルフ・・アズマさんの言っていた人みたいです」


 ユノンが俺の枕元に座った。相変わらずの真っ黒なポンチョ姿で、顔と手首から先しか肌が見えない。この子は体の線がほぼ分からない服装を好む。

 今日は衣服に何かの香を焚き込んだのか、ふわりと爽やかな匂いがした。


「なんか良い香り・・これは?」


「レチェの根を乾燥させた香木です」


 ユノンが嬉しそうに説明する。


「トゲトゲのやつ?」


「はい。固い樹皮の下に薄皮があって、それを水でふやかしてから乾かすと、とても良い香りになるんです」


「ほほう・・」


 さすがはユノン、研究熱心だ。


「コウタさん、お客さんがお待ちですよぉ?」


 今度はデイジーが呼びに来た。


「俺、呼んでないし・・」


 ぶつぶつ言いつつ体を起こす。そう言えば、今日はあのハーレムキングに傷物おもちゃにされて捨てられた、哀れな森の女がやって来る日だった。


(ぅ・・)


 俺がいる裏庭を囲んだ木柵に沿って小柄な人影が歩いてきた。玄関のある表側では待って居られなくなったということだろうか。


(あいつって・・?)


 見覚えのある女だった。俺が男だと勘違いをして、禁断の荒技 "悪魔の爪" をやってしまった白金髪の綺麗な女の子だ。


(あの時は・・すまんかった)


 改めて、心の奥底で謝っておく。ただ、もう罰は受けたから、あの事故については清算が終わったはずだ。今さら、苦情や嫌味を言いに来たのだろうか?


「・・すまない。こちらの事情に巻き込んでしまった」


 いきなり向こうから謝罪の声を掛けてきた。

 どうやら突っかかって来る雰囲気では無い。木柵の門の外からこちらを見ている。柵と言っても、子供でもまたげそうな高さしか無いのだが・・。


「何の話?」


 俺はバタバタ走ってきたデイジーにいた。


「あっ!・・あの方の婚約者フィアンセという方が表に来られていまして、ええと・・手合わせ願いたいと」


「・・婚約者フィアンセ?」


 俺は木戸の向こうにいる森の女を見た。


「過去形だ。元々、親同士が決めた話だったが、親同士が破談とした」


「ふうん・・?」


 まだよく分からない。その話の何処ドコに、俺が登場するわけ?


「私は森の守護役を辞した」


「・・そうなんだ」


 そう言えば、何だか偉い立場の子だったっけ? エルフの長の血縁だと言っていたかも・・?


「ユウキ殿に挑んで敗れた。それだけの事だが・・その、敗れ方について色々と不愉快に騒ぐ者達が多くてな」


「あぁ・・それは、まあ・・」


 あまり格好の良い負け方じゃないよね。


「いや、この上、ユウキ殿に当たるような無様ぶざまさらすつもりは無い。感情的になって騒ぎ立てた身で・・今さらだが」


「守護役というのを辞めて・・それで、なんで婚約者がうちに来るわけ?」


「元、婚約者だ。守護役である私との血縁を結ぶ話だったからな」


「ふむん・・?」


「守護役で無い者との血縁は意味が無い。それで破談となったのだ」


「・・・へぇ」


 あれ? これ、俺が責められる流れ? いや、目の前の女の子は怒っている感じはしないけど・・。


「親同士が決めた話を、親同士が破談とした。それだけだったのだが・・どうも、こじれてな」


 森の女エルフが、俺の後方へと視線を向けた。


 振り返ると、困り顔のデイジーを押しのけるようにして、額に角のある赤銅色の肌をした男が近付いて来た。見るからに粗暴そうな、暴力慣れした雰囲気の逞しい体躯をした若者だ。まだ若い・・たぶん、俺と同じか、ちょい下くらいか。


 俺の家なのに、我が物顔である。

 実に腹立たしい。


「おう・・てめぇも鬼人か? 随分、小せぇな!」


 推定180センチの高みから俺を見下ろしてくる。


 ・・破城角っ!


 俺は無言で頭突きを発動した。


「ぬっ・・がっ!?」


 短い苦鳴と共に、身を折った男が家の中を転がり、板壁を半ば突き破って止まった。


(ちっ・・生きてるのか)


 えらく丈夫な奴だ。

 胸内で舌打ちをしつつ、俺は仰向けに壁に突っ込んで足掻あがいている男の足下へ立つと、


 雷兎の蹴脚・・


 大木を蹴り折る一撃が、男の股間を破壊した。

 けたたましい絶叫が壁の向こうに響き渡り、すぐに静かになった。


「これ、誰?」


 俺はデイジーを見た。


「・・お客さん、ですかね」


 デイジーが引きった笑顔で答える。


「お客・・なんで、勝手に家に入り込んでんの?」


「コウタさんに会わせろって騒いで、待つように言ったんだけど・・強引に入られちゃいました。ごめんなさい」


 デイジーが頭を下げた。


「まあ、こんな大きい奴に押し入られたら止めようが無いけど・・」


 俺は溜息をついた。

 ちらと、裏庭の木戸の向こうを見やる。


「その男が、ウルフール・ゼーラ・・私の、元婚約者よ」


 森の民エルフの女がどこか満足げに微笑しつつ言った。


「・・そう言うあんたは何さんだっけ?」


「ロートリング・カミータ・・森の長の曾孫ひまごよ」


「ふうん・・曾孫」


 俺は、かたわらでくつろいでいるユノンを見た。確か、ユノンも闇谷の長の曾孫だった。


「カミータ家は、遠く神樹様に血が繋がるエルフの名家です」


「へぇ、そうなんだぁ」


 だから何だと言いたいが・・。


「ロートリングさんは、森の民の守護士を率いる四柱の1人でした」


 ユノンがざっくりと説明してくれた。森の民の中では、かなりの実力者らしい。


 森の民は神樹様に近しいという事で、樹海を束ねる役どころにいているが、単純な力・・外敵と戦う能力ということなら、他に有力な氏族は多くいて、鬼人族はその中でも筆頭らしい。


「ふうん・・」


 いきなり股間を潰したのは、まずかったかもしれない。


「ウルフール・ゼーラという人は、南方領の鬼人族ですね。森の民と鬼人というのは、あまり例のある婚姻ではありません」


「・・まあ良いや。それより、どうして、その鬼人が俺の家に押し入って来てるの?」


 俺はロートリングを見た。


「私は、ユウキ殿にけがされた」


「・・は?」


 股の付け根に一角尖でも、ぶち込もうか?


「周りの者達には、そう言われ・・わらわれている」


 ロートリングが苦笑する。ロートリングを面白く思わない者達から、陰口を叩かれているらしい。


「ふうん・・」


「我が親は風評を気に病んで婚姻話を破談にした・・という事になっている。まあ、内実は断る理由が欲しかったのだ」


 樹海の外から襲ってくる人間達に対抗するために、鬼人族との協力関係をより確かなものにしたかったエルフの守護長が取り持った婚姻話だったそうだ。


「見てのとおり、あまり良い婿殿では無かったようだ。私としてはユウキ殿に感謝したい」


「俺・・・利用された?」


 おおよその流れは掴めた。

 どう揉めたのかは知らないが、婚姻話を破談にする時に鬼人族側・・特に婿候補が納得いかずに、元凶である俺のところへ押し掛けたという事か。


「すまないな」


 森の民エルフの女が小さく笑った。


 これは確信犯だ。


(ギルティ・・)


 そうは思うものの、ほんの少しばかり引け目を感じるところもあり、怒るに怒れない。


「アズマ殿に、ユウキ殿に取りなして貰うよう依頼したのだが・・話は聴いていないだろうか?」


「・・アズマ?」


 そう言えば、1人、預かれとか言ってたような・・。


アズマもてあそんで捨てた女って・・」


「アズマがそんな事を?下賤げせんな冗談を口にするような者では無かったはずだが・・」


「アズアズゥ~とか言って、身体の洗いっこをやってたんでしょ?」


「あいつ、そんなデタラメを?」


 森の民エルフの女が双眸を冷ややかに怒らせる。これでアズマの心証は地にちただろう。ふふふ・・。


「日替わりだもんなぁ・・8人・・いや、9人目かぁ。日替わりでも回らないじゃん・・まさかのダブル、トリプル? とんでもねぇ・・さすがキング」


 俺は力無く首を振りながら嘆息した。


 まったく、大した男だ。


 奴には勝てる気がしねぇぜ・・。



「ユノン殿・・?」


 ロートリングが困惑顔でユノンを見た。


「時々こうなります。しばらくかかります」


 ユノンが妄想の淵に沈んだ俺を見ながら小さく笑った。

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