第8話 流民って・・。


 黒い巨大熊との死闘から十日後の昼下がり、行く手の木々の合間を抜けた途端、目の前に石造りの壁が現れた。高さが30メートルほどの石壁だった。


 ・・どうしてだろう。


 ・・なんだか、涙がとまりません。


 男のくせにとは言わないで欲しい。

 何か、我慢する間も無く、涙腺が崩壊してしまったのだ。


 はらはらと壊れた蛇口のように涙が流れ出し、頬を伝って裸の上半身まで濡らす。

 Yシャツだった物を引き裂いてふんどしのように股間に巻いただけの姿で短槍を杖に、俺は立ち尽くし、涙を流しながら石壁を見上げていた。


 ここまで色々あった。


 とにかく必死だった。



「・・よし」


 自分に気合いを入れるように頷いて、石壁を左手に見ながら歩き出す。

 壁沿いに歩けば、どこかに入り口があるだろう。


(なんか、匂いがする・・料理かなぁ?)


 どこからか、鼻腔をくすぐる良い匂いが漂ってくる。


(・・無事に入れて貰えるかな?)


 今になって、そんな不安が湧き起こる。


 手にした短槍は多少の汚れはあるが、まあ血が臭うような状態では無い。ふんどしにしているYシャツは少し臭うが・・。体の方は水場を見付ける都度都度拭っている。


(まあ、行ってみるしかないよな)


 他の衣類は血塗れだ。洗っても色が落ちなかった。さすがに、あれは着て歩けない。


 何だかんだで、この世界に棄てられてから20日くらい経っただろうか。

 巨大な白兎と巨大な黒熊、その他はまあ驚くような鳥獣に出くわさず、ここまで辿り着けた。智精霊に聴いていた山犬の群れに襲われなかったのは不幸中の幸いか。兎の時はただの偶然だったが、黒熊の時は1対1だからこそ、死角を突いた動きをとって翻弄できたのだ。山犬が集団で襲ってきたら、ひたすら樹上に逃げるしか無いだろう。


(あっ・・)


 延々と続いていた石壁が途切れ、左手へ曲がったところで足を止めた。

 数人だが、荷を背負った人が歩いていた。

 扉か、門があるのだろう。


(まあ・・仕方無いよな)


 自分の残念な姿を見回して、小さく嘆息すると、ゆっくりとした足取りで近付いて行った。


(・・っていうか、言葉とか通じるの?)


 新たな不安が持ち上がるが、


(とにかく行ってみよう)


 石でも投げられたら、そこで対応を考えるしか無い。

 泣いておがんで土下座して、それでも駄目なら森に逃げ戻るか・・。


 門というよりトンネルみたいだった。

 それだけ石壁の厚みが凄いのだ。入り口近くには、ゴツい鉄格子が吊り上げられた状態でぶら下げられている。背が高い人なら身を屈めないと頭を打ちそうな隙間だった。


(あぁ・・)


 石壁のトンネルの先、鋲打ちされた木扉がある辺りから、槍に斧がくっついたような長い武器を持った男達が次々に駆け出て向かってくるのが見える。


(これ、ヤバいかなぁ・・)


 襲われたら、逃げるしか無いが・・。



「おいっ、おまえっ!」


 先頭を走ってくる若い男が声を張り上げた。全員が鎖を編んだような鎧を着ていた。


(あ・・言葉が分かるじゃん)


 妙なところで安堵しつつ、


「こんにちは!」


 大きな声で挨拶をしてお辞儀をした。


「あん?・・おまえ、流人か?」


 あまり品がよろしく無い感じの若い男が裸も同然の俺をじろじろと見ながら、胡散臭げに眉をしかめて訊いてくる。


「日本の港上山高校の2年、結城浩太です」


「・・流人か」


 後からやって来た中年の男が、苦々しく顔を歪めて俺の恰好を見回して、大きく舌打ちをする。


「先に二条松高校の人達が来ていませんか? 俺・・ボク、はぐれちゃったんですけど」


 努めて不安そうに、泣きそうな表情で訊いてみる。


「ああ・・着いてるぞ。もう2週間も前だけどな」


 男がもう一度舌打ちをして、後続の兵士達に道を開けるように指示をして左右へ退かせた。


「俺達には流人をどうこう出来ねぇ。さっさと中に入って流民局に出頭しな」


「流民局ですね。分かりました。ありがとうございます」


 俺は丁寧に頭を下げた。


「ちっ・・また、何だってこんな細っこいのが来やがるんだ? 女みたいな顔しやがって! 尻で稼ぐつもりかぁ?」


 若い男が吐き捨てるように言ったのが聞こえたが、


「それでは、失礼します」


 俺は何度も頭を下げながら、男達の間を通って石壁のトンネルへと入った。


(くそぉ・・あいつ、顔は覚えたぞ)


 胸内で、ギリギリと歯ぎしりしながら、格子戸を下から見上げつつ、アーチ状の天井を見回す。中間に、もう一箇所、格子戸が填まりそうな溝が彫ってあったが何も無かった。

 最後は、分厚い木の扉だった。表面に鉄板を貼って鉄鋲を打った丈夫そうな扉だ。


「・・流人か?」


 扉の左右に立っていた男が、さりげなく腰に吊した剣の柄へ手をやりながら近付いて来た。


「流民局へ行くよう言われました」


 余計な事を言わず、それだけを告げた。


「・・この道を真っ直ぐ行くと噴水池のある広場に出る。北側の・・池を渡る道を進めば左手に見えてくるだろう。迷ったら、その辺で人に訊け」


「分かりました。ありがとうございます」


 丁寧にお辞儀をして、もう1人の方にも会釈をしつつ、そそくさと道を歩く。

 この辺りは、馬車や馬などを停めておく場所になっているらしく、小さな荷馬車から、大きな幌のある馬車まで色々と並べられていた。馬に与える水や飼い葉を抱えて売り込みをやっている少年達は6、7歳くらいだろうか。ちらと、こちらを見たようだったが、ふんどし一丁の姿を見て、眼中から消したらしく、そっぽを向いて走り去って行った。


(裸にふんどしとか・・お巡りさんコイツです・・って流れだよな)


 ちらちらと向けられる視線に晒されながら、噴水池の広場まで歩くと、なるほど池を渡るように石橋があり、その先に石畳の道が続いている。


(なるほど・・必ず看板があって、小さく文字が彫ってあるな)


 店をやるときの決め事なのか、どの店にも小さな銅製の板を扉脇の軒にぶら下げてあった。少し近寄って文字を読めるか確かめてみると、


(・・調剤屋?)


 拍子抜けするくらい簡単に文字が読めた。ミミズがのたうったような形の文字なのだが・・。


(言葉と文字が分かるんなら、何とかなるのかな?)


 いくぶんか表情を明るくしながら、人通りのまばらな道を歩いて行くと、番兵らしい男が扉の前に立っている館が見えてきた。


「こんにちは! 流民局へ行きたいんですが?」


 声を掛けられるより先に訊いてみる。


「向かいだ!」


 髪に白い物が混じる番兵が向かい側の建物をあごでしゃくって見せた。


「ありがとうございます」


 丁寧に頭をさげて、建物に近付いて見るが、どこにもそれらしい看板は見当たらない。しばらく、うろうろと見回していると、扉に紋章のような物が彫られていることに気付いた。


(まあ・・入ってみるか)


 とりあえず、扉をノックしてみる。

 当然のように無反応だが・・。


「入って2階に流民局の受付がある」


 後ろから、先ほどの番兵が大声で教えてくれた。

 案外、中の人間に聞こえるように言ってくれたのかもしれない。


 俺はもう一度、番兵に向けて頭を下げてから扉を開けてみた。


 シン・・と静まりかえった踊り場があり、奥には飲み屋のカウンターのような作り付けの机が見えたが誰も居なかった。

 2階に続く階段は、入って左手にあった。


「失礼します。流民局へ行くように言われて参りました!」


 取りあえず声を張り上げてから、中に入って扉を閉じた。


(・・誰も居ない?)


 少し考えてから、番兵に言われたとおりに行ってみることにして、階段を上がろうとした時、今閉めたばかりの扉が勢いよく開かれて、年輩の女性が飛び込んで来た。歳は30代半ばくらいだろうか。化粧気は無く、赤い髪は乱暴にまとめてピンでめただけ。体型は小太りで、少々全体的に緩み気味だろうか。世話好きの近所のおばさんといった感じだ。



「あらあらぁ~、あなたが流人なの? どうして裸? 他の人はとっくに着いてるけど、何してたの?」


 無遠慮にじろじろ見ながら、矢継ぎ早に早口でまくしたてる。


「日本の港上山高校の2年、結城浩太です」


 外でやったのと同じように名乗ってみた。


「ニホンね。やっぱり、前に来た人達と同じじゃない。あなただけ、ずいぶん遅れたのね」


「森ではぐれちゃいまして・・少し迷っていました」


「あらまっ・・よく無事に来れたわね。ええと・・ユウキ・・ああ、ニホンは逆ね。コウタ・ユウキよね?」


「・・はい」


「おいくつ?」


「16歳です」


「あらあら・・ずいぶんと・・男の子にしては小さく見えるけど、そうね・・ニホンだと普通なのかも?」


 ぶつぶつ言いながら、帳簿らしい物を手に、女が先に立って歩いて行く。

 後ろをついて行きながら、どうやら追い出される事は無いらしいと、ほっと安堵の息をついていた。


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