ニールのメッセージ:クリスマスって本当は何だろう? 2021年12月24日

ニールのメッセージ:クリスマスって本当は何だろう? 2021年12月24日


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親愛なる友よ。


 数年前、私はオレゴン州アシュランドで『神との対話財団(Conversations with God Foundation)』が毎年開催しているクリスマスイブの礼拝で、次のようなメッセージを伝えました。


 昨夜は眠れませんでした。2時から6時まで起きていて、また神との対話をしました。


 「クリスマスについて教えてください」と私は言いました。「それは一体何なのでしょう? 」


 「何なのかとはどういう意味かな? これまでに何度も言ったではないかな」と聞こえました。


 「もう一度言ってください。見落としていたかもしれません」と答えました。


 すると突然、頭の中にクリスマスキャロルが浮かんだのです。クリスマスのメロディーの中でも、最も幸せで勝利に満ちた曲の一つです。


 「喜びは世界に」「主は来られた 」と歌い始めました。しかし、私はそれに乗ることができませんでした。私たちの上に主となる人が来て何が嬉しいのだろうかと、ずっと考えていたのです。


 「神様! 」私は言いました。「これは理解できません! 」


 すると神様は答えました。「その通りだ。あなたには分からない」


 そして神は言いました。「しかし、少なくともあなたは質問をしている。それは良いことだ。もう質問することがないと思っていると、何かを理解するのは本当に難しい。もうこれしか答えがないと思っていると、答えをもらうことはできないのだよ」


 「そうですね、私は答えを持っていません 」と私は認めました。「では、答えは何ですか? 」


 神は言いました。「答えは、来たりし主はあなたの上ではなく、あなたの中にいるということだよ」


 この言葉は、今朝2時57分に私の心に浮かび、心の中で熟考しました。


 「それなら」と私は思い切って言いました。「クリスマスとは、単に赤子の誕生を祝うだけのものではなく、私たちの中にいるキリストの誕生を祝うものでもあるのです」


 すると神様は優しく、「そうだよ」と答えてくださいました。


 この真理を受け入れたら、クリスマスの歌やメッセージや感情は何を意味するのだろうと考えました。


 この季節のメッセージは、祝福された一人の存在についてではなく、祝福されたすべての存在についてのものだと理解したなら、どうなのだろう。


 他の人のことではなく私たちのことです。私自身のことなのです。しかし、なんということでしょう、この言葉は悪く聞こえました。つまり、神への冒涜のように聞こえたのです。クリスマスが自分のためにあるなんて。自己中心的で、自分勝手な考えです。これは、主が来られることなのです。Magi(東方の三博士)の贈り物のことなのです。


 しかし私の心は、贈り物が私であったとしたらどうしよう、と言い張ったのです。


 そして、もし主が私の上にではなく、私の中におられるために来られたのだとしたら?


 私の上に主の居場所があることは知っていますが、私の中に主の居場所があるのでしょうか?


 そうすることにどんな意味があるのでしょう? 祝福された人であるだけでなく、祝福された人になるとはどういうことでしょうか? そして、私があなたのことを同じように考えるとはどういうことでしょう? もし私があなたを祝福された人と見なしたら、どうなるでしょうか? 私はあなたに対して違う行動をとるでしょうか?


 私はそうすると思いたいです。あなたにもっと優しくなれると思いたいです。私の言葉でもっと優しく、私の行動でもっと思いやりを持ち、私の思考でもっと思いやりを持ち、私の取引でもっと正直で、もっと我慢強く、寛大で、そしてあなたの素晴らしさをもっと意識するようになると思いたいです。


 そして、もし私が祝福された人間だと思ったら、私は自分に対して違う行動をとるでしょうか?


 私はそうすると思います。自分自身にもっと優しくなれると思います。もっと優しい言葉で、もっと思いやりのある行動で。もっと自分に思いやりを持ち、もっと忍耐強く、寛大になり、そして自分の素晴らしさをもっと意識するようになると思います。


 でも、私たちは皆、祝福されているのでしょうか?


 夜中にそう問いかけたら、驚くほどシンプルに、「イエス 」という答えが返ってきました。


 これこそがクリスマスの意味なのです。キリストは私たちの中に生まれているのです。私たちの中に生きている。私たちの中にある。私たちはそのことを忘れているのです。それを思い出させるためにクリスマスは作られたのです。


 クリスマスは特定の宗教のためではなく、すべての宗教のためにあることが分かりました。特定の人についてではなく、すべての人についてです。あなたがキリスト教徒かイスラム教徒か、ヒンズー教徒かユダヤ教徒か、バプテスト派教徒か仏教徒かは関係ありません。あるいは、上記以外の宗教でも関係ありません。


 あなたが自分の中に主を誕生させるとき、あなたは驚きと威厳と知恵と愛に命を与え、それはあなたから全世界に流れ込み、世界を永遠に変えることができるのです。


 これこそクリスマスの物語ではないでしょうか?


 そして、この物語を自分の物語として生きるとき、私たちの人生は新しくなり、分離した自分が全体となるのではないでしょうか?


 そうです。私たちの魂は揺さぶられ、心は満たされます。そして、私たちは世界に喜びをもたらすのです。


 クリスマスの贈り物は、完全に表現され、完全に実現された私たちです。条件なしに愛し、制約なしに与え、制限なしに分かち合い、恐れずに創造し、恥も外聞もなく自分自身を祝う、完全に意思を持ち、完全に準備ができている私たちなのです。


 躊躇することなく許し、頼まれなくても助け、天使が踏み外すのを恐れる場所に駆け込むことを選ぶのは私たちです。まさに、天使の道を切り開くのです。


 ああ、天使の道を切り開くのです。それが私たちがここにいる理由です。それが私たちが地球に来た理由です。先駆者であるためです!


「聞け! 天使の歌声。生まれたばかりの王に栄光あれ」


 この瞬間、私たちは自分の中の王族を誕生させることができます。神の目から見た私たちは王族なのです。


 「神様が見ているように自分を見たら、大いに笑うだろう」と誰かが言いました。さて、この瞬間、このクリスマスの瞬間は、笑顔の時なのです。この瞬間、もし私たちが本当に努力すれば、神が見ているように自分自身を見ることができるかも知れないからです。私たちはそれを感じることができます。


 今、あなたの心の中にそれを感じることができます。その感覚は愛と呼ばれています。あなたの人生に対する愛、そしてこの人生であなたが愛するすべての人に対する愛。そして、神様のあなたへの愛です。


 クリスマスの魔法は、私たちにその気持ちを、その愛を、私たちの人生に関わるすべての人々と分かち合うことを許してくれることです。


 友人と、そして見知らぬ人と。私たちに同意する人たちと、反対する人たちと。私たちのように見えて行動する人々と、そうでない人と。


 私たちはこの瞬間に、この愛を感じ、心の中に恒久的な場所を与えるよう招かれています。地球上の平和の源となり、あらゆる場所の男性や女性に対する善意となるように。


 私たちは今この瞬間、祝福される者としてだけでなく、祝福する者として地球を歩くよう招かれています。作法の主としてだけでなく、主の作法で。なぜなら、それこそが私たちの姿だからです。私たちは自分の内なる王国の主であり、したがって、外なる王国の主でもあるのです。そして、そのことを理解したとき、すべてが変わります。私たちは世界を経験し、世界に新しい影響を与え始めるのです。


 それがクリスマスの招きです。私たちは、この瞬間からその経験を始めるよう招かれているのです。今この瞬間から、そしてすべての静かな夜から。そうすれば、すべての夜を聖なる夜とすることができるでしょう。そして、すべてが穏やかな世界を作り始めるのです。すべてが光り輝やくのです。


「世界に喜びを! 主が来られた。地球に王を迎えよう。すべての心に、彼の部屋を準備させよう。そして、天国と自然は歌う」


皆さん、メリークリスマス。ハッピー、ハッピーホリデー!


ニール


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*〈伊能言天〉からのお願い:神・人生に関心のおありの方に、当ページを紹介いただけましたら嬉しく思います。→https://kakuyomu.jp/works/1177354054886666914

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宣伝⇒姉妹作品「(^ω^)医者も人間ーなんちゃってブラックジャック」連載中 ----------

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