ニールのメッセージ:「熱望」についての結論 2021年10月23日

ニールのメッセージ:「熱望」についての結論 2021年10月23日


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親愛なる友よ。


 先週のこの欄では、私たちが「熱望」と呼ぶエネルギーについてお話しましたが、コラムの最後には次のように述べました。


 「究極的には、神性への熱望は聖なる体験につながる。」「熱望は常に、その熱望の体験を生み出すからだ。」


 今週もその考えを続けてみましょう。


 人は、存在する、または少なくとも存在する可能性があると思わないものを熱望することはできません。また、知らないことを熱望することもできません。


 虫は、ロマンスも、完璧な人生のパートナーも、苦痛のない死や来世での輝かしい生も熱望することはできません。


 なぜなら、そのような概念は、地球上のほとんどすべての生命体が存在するところとはまったく異なる意識の場所から発せられた、精神的な構築物だからです。


 究極の真実は、何かを熱望するということは、それがすでに存在していることを認めることです。あとは、それをどうやって自分のものにするかという問題があるだけです。


 「願望 Wishing」と「熱望 Yearning」は違います。


 「願望」は、私たちが最も弱い形の創造に付ける名前です。それは、「願望」というエネルギーの形が、「結果は疑わしい」と宣言していることからも分かります。何かが起こることが分かっているときは、それを願うことはありません。


 部屋に入って電気のスイッチを入れたとき、「電気がついてほしい」とは思わないでしょう。そうなることを完全に期待しています。そうなることを知っているのです。


 これが、「『願望』というエネルギーの形は、結果は疑わしいという宣言である」という言葉の意味するところです。


 「熱望」は「願望」の一段上のものです。熱望するという行為そのものが、一段上に位置しています。なぜなら、熱望するということは、熱望の対象が起こりうる、あるいは現れるうることを認めることだからです。(おそらく私たちの「最も大それた夢 wildest dreams」の中でのみですが、少なくともそこにあります。)


(もちろん、すべての奇跡は私たちの大それた夢から生まれます。そのような素晴らしい夢は、単なるエネルギーの非物理的な形成であり、私たちが可能であると選択したことについての非常にささやかな、あるいは優美な思考の形です。)


 熱望だけでも聖なる体験にたどり着くことはできますが、多くの人にとって熱望だけでは聖なる体験にたどり着くことはできません。熱望だけでは、物理的な体験として実現するには、あまりにも弱い力です。しかし、このエネルギーに別のエネルギーを加えることで、「創造の力」を倍増させることができます。


 その別のエネルギーについては、来週、この欄でお話ししましょう


抱擁と純愛をこめて。


ニール


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*〈伊能言天〉からのお願い:神・人生に関心のおありの方に、当ページを紹介いただけましたら嬉しく思います。→https://kakuyomu.jp/works/1177354054886666914

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