ニールへの手紙:どの宗教にも膨大な真実があるが、どの宗教にも全ての真実があるわけではない。 2021年8月28日
ニールへの手紙:どの宗教にも膨大な真実があるが、どの宗教にも全ての真実があるわけではない。 2021年8月28日
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読者の質問:
親愛なるニール
私はちょうどあなたの本を基にした映画を見たところですが、あなたが置かれた状況(ゴミ箱に寄りかかってサンドイッチを食べながら若い男の子と目を合わせる)に大泣きしてしまいました。私もローマ・カトリック教徒として育てられ、真理を求めて教会を離れました。無宗派のキリスト教徒になりました。今でも多くの人が、私の人への愛の深さを理解していないことに気づきます。その愛は私からではなく、神からです。
私は「神の台所 God's kitchen」という活動を立ち上げ、愛を込めて地元の避難所に温かい食事を提供しました。多くが牛のように扱われる炊き出しと間違えないでください。私の子供たちと私は、避難所の住人のためにカードを作り、彼らが頑張れるように励ましました。残念なことに、私たちの教会はもはや「荒くれ者」が日曜の朝に礼拝に来ることを望んでいなかったので、私も教会を去りました。
あなたは自分をクリスチャンだと思いますか? 私はこれらのことをどう考えればいいのかわかりません。あなたの哲学は大好きですが、それは「キリスト教」と見なされるのでしょうか、それとも別のものなのでしょうか。私と同じように考え、深く愛してくれる人をようやく見つけたように思います。
ジャクリーン
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ニールの返事:
親愛なるジャクリーン
私は、少なくとも私が知っているキリスト教原理主義者の定義によれば、自分をキリスト教徒とは表現しません。私は自分を「Chrismuslijewdian」と表現します。
私は、「神への道はただ一つ」で、その道を歩まない者は皆地獄に落ちるとは思っていません。私はそのようなことは信じていません。率直に言って、信じている人をあまり知りません。そういう人たちがいることは知っていますが、個人的にはあまり知りません。私たちはこの硬直した考えからかなり卒業したと思います。
神はすべての神の子たちを故郷に迎えること、そして「霊的な価値」とは、特定の道を歩むことでも、特定の信念を採用することでも、特定の祈りを捧げることでも、特定の儀式を行うことでも、特定の規律に従うことでもないということを、ほとんどの人が理解していると思います。
ですから私は、どの宗教にも膨大な真実があるが、どの宗教にも全ての真実があるわけではない、と断言できます。したがって、私はヒンドゥー教の信者でもあります。モルモン教徒でもあります。要するに、私は「Everythingian(全宗教信徒)」なのだと思います。
優しい言葉をありがとう。そして、あなたが私たちの世界に姿を現すことを選んでくれたことにも。
抱擁と純愛をこめて。
ニール
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*〈伊能言天〉からのお願い:神・人生に関心のおありの方に、当ページを紹介いただけましたら嬉しく思います。→https://kakuyomu.jp/works/1177354054886666914
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