ニールへの手紙:天使について 2020年10月24日

ニールへの手紙:天使について 2020年10月24日


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読者の質問:


親愛なるニール...私はあなたの本「神との対話」に非常に感謝しています。この本が次の千年紀の聖書になることは間違いありません。この本のおかげで、私は物事を明確にし、適切な観点から物事を捉えることができました。


 もし私が持っている何百冊もの本をすべて手放して一冊だけ持つとしたら、これがその本になるでしょう。CwGを読み終える前から、何度も何度も永遠に読み続けるだろうと思っていました。


 最初の本では触れられなかった以下の質問を検討していただきたいと思います。


(1)本当に守護天使はいるのでしょうか、それともかつて地上に住んでいた霊なのでしょうか。私はその両方を読んだことがあります。


(2)なぜ霊魂の中には地上に縛られているものがあるのですか?


 なぜ向こう側には、問題なく進むのを助けてくれる人がいないのでしょうか?


(3)臨死体験をした人の中には、天使や精霊と話したと主張する人がいます。彼らは天使なのか、それともこの世から離れた存在なのでしょうか?


(4)死んで過去の人生を振り返り、新しい人生を選んでまた戻ってくるという、完全なプロセスについて書かれた本があります。なぜこのような状態で天使を見たという人はいないのでしょう?


 ご多幸をお祈りします。これからも執筆を続けてください。


デボン、カントリークラブヒルズイリノイ州


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ニールの返事:


親愛なるデボン...今、天使の話題には非常に多くの関心が寄せられています。


 最初の質問ですが、3部作の第3巻はこの問題に触れています。私が天使について知っていることを話しましょう。


 そう、天使は実在します。彼らはただの天使です。つまり、彼らはこの現実において、すべての瞬間に私たちに仕える愛の素晴らしい存在です。


 彼らは私たちにとても愛着を持っていて、その意味では私たちの守護者です。


 彼らは私たちの上に浮かんでいて、身体的な生活や私たちの周りの危険をある程度コントロールしています。


 例えば?私たちに向かって急カーブを疾走する車が土壇場でそれる。私たちが奇跡的に避けた角のマンホール。オフィスビルのそばを歩いていると、窓の出っ張りからペンキのバケツが、数インチ先に落ちる。


 感情的な衝突でさえもです。まさに土壇場になってあなたを襲うその「舌をかむ」感覚は、きっと大きな感情的な「事故」につながったかもしれない、何かを口走ってしまうことからあなたを救ってくれる。


 それらの感情的、身体的な形の介入は、天使の現れであり、繊細な線を歩き、私たち自身の自由な選択や創造、または私たちが歩いている道において、いかなる具体的な方法(彼らはしないかもしれませんが)に干渉することなく、命の痛みから私たちを守ろうとします。


 天使たちは、かつて人間であったことのない「天使のような生き物」なのか、それとも地上にかつて存在した霊のような存在なのか?それはとてもいい質問ですね。


両方だと言う人もいるでしょう。実際、私たちには2種類の「ヘルパー(支援者)」がいると理解しています。


 私たちには「ガイド」と呼ばれるものがいます。これらは一度転生した存在の霊の形です。


 そして「天使」と呼ばれるものがいます。転生したことのない霊の形で、「神の指」と呼ばれるものです。私たちの肩を叩いて危険に気づかせてくれたり、抱きしめて涙を通して慰めてくれたり、私たち自身の驚きと私たちの愛の最も優しい瞬間を祝うときに、彼らの心の中で喜びを持って踊ってくれます。これは真に表現された神なのです。


 以前は転生していた魂が、私たちのガイドになることを選んだのは、私たちへの愛からです。彼らは、まさにこの世で私たちと親密な関係にあった存在(それほど頻繁ではない)であるかもしれないし、あるいは前世の人生経験において私たちとパートナー関係にあった存在(多くの場合)であるかもしれません。


 彼らが時々私たちの近くにいることを選んだのは、...まあ、単に私たちの近くにいる(つまり、彼らはいつも私たちに親近感を持っています)からで、彼らは時々私たちを指導するのを喜んでいます。


 ガイドは天使とは対照的に、常に私たちといっしょにいるわけではありません。以前に転生した存在として、彼らには他にもやるべきことがあり、他にも冒険をしたり、私たちが"死後の世界"と呼ぶもので経験しなければならない課題や成長があります。


 しかし、彼らは私たちが指導や助けを必要としていると感じたとき、あるいは私たちが彼らに声をかけたときには、すぐに私たちの側に飛んできます。彼らは現世や別の人生で私たちと特別な親しい関係を共有しているので、彼らの存在はしばしば私たちに「感じられる」ことがあります。


(1)天使の存在は、もし感じられるとしたら、はるかにエーテル的(極めて優美)で、「wispier(訳註:不明)」の種類の感覚です。


 でも、そういう言い方をすれば、ガイドよりも彼らのパワー(力)の方が強いのです。これは実際には「パワー」のたぐいではありませんが、人間の言葉は、より大きな現実を説明するにはあまりにも不適切です。ここでは「目的」という言葉に置き換えるべきかもしれません。あるいは、その二つを組み合わせた新しい言葉でもいいかもしれません。


 そうなると、彼らの「パワー」はガイドよりも大きいと言えるでしょう。彼らの即時的な介入は、私が述べたように、身体的または感情的な出来事の経過を変えることができます。ガイドにはこの「パワー」はありません。


(2)あなたが言うように、人々は「地球に縛られています」。なぜなら、そうなることを選んだからです。


 彼らが「問題なく前進する」のを助けるための霊はいますが、あの世でもこの世でも、いかなる霊も、いかなる導き手も、いかなる天使も、いかなる種類の存在も、神でさえも、決して私たちの自由な選択を妨げることはありません。絶対に。


(3)一般に、いわゆるNDEs(臨死体験)では、人々が話したと言う霊はガイド(しばしば前に亡くなった愛する人たち)か古代の霊(かつて転生した存在の魂)であり、私たちが天使と呼ぶものではありません。一方で、天使との対話や交流もあります。1980年の私の臨死体験では、このような交流が私の人生を大きく変えたと確信しています。


(4)あなたは、死の全過程で、人々が天使を見たと報告しない理由を尋ねます。同じ理由で人々は、一般的に臨死体験中に天使と対話したという報告をしていません。


 私たちが身体を離れたとき、いわば天使の仕事は終わっています。天使は文字通り「神の指」です。それらは神の霊であり、形(ただしエーテル体)に変化し、身体の上に浮かんでいます。これは多くの神学的文献に言及されている「聖霊」です。


 聖霊は一つの魂の知的な部分です。その主な機能は、物理的なものを知らせることです。私たちが再び非物理的な存在になるとき(訳註:死)、聖霊が知らせようとすることを、私たちはすでに知っています。


 一言で言えば、聖霊とは、身体と霊(非現実性と現実性の間)を結びつけるものです。私たち自身が身体を捨てて再び自由な霊になったとき、私たちは究極の現実を経験しており、私たちを究極の現実に結びつけるものはもはや必要ではありません。私たちは究極の現実につながるものなのです。実際、われわれと究極の現実は一体なのです。


 これは、私たちが身体にいる時にも当てはまります。私たちはこれを知らないだけです。


 ですから、聖霊は、このことを私たちに再認識させ、絶対的な領域から、この相対的な領域における私たちの身体的経験について、いろいろな情報をもたらしてくれるものです。


 私があなたのためにこの質問に答えようとしている今、神のこの「聖霊」という側面が私を通して働いています。これが私の「守護天使」の働きです。


多くの祝福を。


ニール


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*〈伊能言天〉からのお願い:神・人生に関心のおありの方に、当ページを紹介いただけましたら嬉しく思います。→https://kakuyomu.jp/works/1177354054886666914

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