2) 『神との対話』の見解

 『神との対話』には、「救済」や「贖罪」という発想はありません。人間始祖の堕落は無く、人間には、生まれながらに負うという原罪はないからです。


 旧約聖書は、ユダヤ民族という1民族の歴史的物語で、人間始祖は地球上の複数の地で誕生しているといっています。


 そして、神に選ばれた選民という特別な民族というものはありません。


 すべての人間、民族が、神にとっては、神の分身であるという特別な存在であり、神性を体験するために「人生という道」を、すべての人が等しく歩んでいるというのです。


 魂が宿った人間は、現実世界(地上界)の人生の中で様々な出来事に遭遇しながら、無数にある神性を体験して行きます。


 その中で、人生の道に迷う事がたびたび起こります。


 「道に迷う」とは、自分自身を見失うことです。エゴ(自我)が大きくなり過ぎて、「神性を体験している自分」という本質的なことを、見失うことなのです。


 人間自身が、人生の道に迷い、真理を求める時、神はいつも導いています。


 神は絶えず、魂(内なる声)を通して、自然を通して、多くのマスター(師)を通して、あらゆるものを通して、人間を導いているといっているのです。


 自らの神性を体験したいと考え、宇宙を創造した神が、人生を必死になって生きている人間を、放置しておくはずはないのです。


 もっと、究極的な表現をするなら、人間(魂)と神は、表裏一体となって、人生をともに歩み、ともに体験しているといえるのです。


 マスター(師)とは、輪廻を繰り返して神性を高次に体得し、悟りのレベルに到達した魂(の宿った人間)をいいます。


 イエスキリストは、マスターのうちでも、最高位のマスターであるといっています。そして、イエスキリストを信じて求める者には、今も霊的に導いているというのです。

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