第3話

 昼の営業を終えた店で、ラングとマーロはほとんど同時に息を吐いた。今日は天候もよく、忙しかったが、おかげで売り上げはいい。

 居座る客もやっと全員いなくなり、キッチンや食器もあらかた片付いて、そろそろ自分たちの食事にしようとマーロが小さな鍋に手をかける。ちょうどその時、遠慮がちに階段を下りてくる足音がした。


「よう、キッド!」


ラングが陽気に声をかけた。


「お客さん帰った?邪魔じゃないかな?」

「気を遣わせて悪いな。もう外に準備中の札を出したから大丈夫だ。お前も食うか?」


マーロが相変わらずハンサムな笑顔で鍋とパプリカを示した。キッドも笑顔で頷く。ラングがその様子を見ながら、これも嬉しそうに口角を上げた。


「ずいぶんよくなったみたいだな」

「おかげさまで、もうこの通り」


キッドが階段の最後の数段を、身軽に宙返りして飛び降りた。ラングがピウと口笛を吹く。


「長いこと休ませてもらって、ありがとう。もうすっかり痛くないし、またおかしなことに手を出さなきゃ万事健康体です」

「油断するなよ。痛くなくってもまだ完治はしてないんだからな」


マーロが生真面目に注意したが、しつこくは言わなかった。

 あれから半月程が経過していた。まず翌日には空いていた二階の部屋が片付けられて、キッドはそちらに移動した。はじめキッドとマーロは他人らしい距離感を保ち、多少遠慮がちに接していたのだが、ラングが能天気にキッドをかわいがるので、だんだんとマーロとキッドの距離も近づいて、約二週間の間に三人はすっかり打ち解けていた。

 ラングが何かにつけ嬉しそうにキッドの肩を叩くのも、もはや日常の光景である。


「やるな、お前!サーカスでも始めるか?」

「あんたの歌に合わせて踊るぐらいが限界だよ」


ラングが嬉しそうに眉を開いた。


「昨日の夜、聞いてたか?あれ新曲なんだ。いい歌だったろ?」

「よかったよ。実に安っぽくて聞き流すのに最高」

「この野郎」


ラングが今度はキッドの頭を小突く。

 そこへ入り口のドアベルが軽やかな音を立て、来客を告げた。ラングが振り返ると、背の高い、橙色の髪を胸まで伸ばした美女が立っている。


「やあ、カレン」

「カレンだって?」


キッチンから上擦った声がした。キッドがラングに問いかけの眼差しを送ると、ラングがニヤついた目つきだけで答えた。

 二人のやり取りには気がつかず、マーロが慌てた様子で手を拭きながら出てきて、女を出迎えた。


「やあ、カレン。これから昼を作るところなんだ。どうかな?」


マーロが声のキーをいつもよりちょっと高くして早口に言った。ラングがその背中に顎をしゃくって、キッドがようやく得心した顔を見せる。

 一言二言挨拶を交わして、女がマーロの肩越しにキッドを見た。


「彼が、キッドくん?」


マーロが気がついて、白い歯を見せながら二人を引き合わせた。


「そうだった。きみ、会いたがっていたもんな。キッド、彼女はカレンデュラ。店の常連で……」

「ただの常連かなぁ?」


マーロのことばを遮るようにキッドがニヤリと目を細めた。マーロがそれを見て眉間に皺を寄せた。キッドはもともとならず者どものところにいたから、子どものくせにそういう野暮な話には慣れている。自分の少年時代を思い出せば叱ることもできないが、大人になった今、やはりあの頃の大人の台詞を受け継いでしまうのがマーロという男だった。


「大人をからかうもんじゃない」


自分でもがっかりするようなありふれた台詞である。当然、キッドは意にも介さない。「はぁい」とふざけた返事をされて、マーロはまた苦い顔をするしかできなかった。


「よろしく、カレン」

「やっと会えたわね。話はいつも聞いていたから、初めての気がしないけれど」


マーロの横をすり抜けるようにして、キッドとカレンが握手をした。


「おれもきみを知っているよ。ときどきここへ来て、話をしている声が聞こえてた」

「そうよね、上の部屋で寝てたら聞こえるわね。ちょっと恥ずかしいわ……。でも、それじゃ、お互いずっと想像の中だけで会っていたというわけ。どう?あたしの見た目は声の通り?」


訊かれて、改めてキッドはカレンの姿をまじまじと見つめた。背が高く骨格のしっかりとした女である。顔立ちもはっきりとした、いかにも意志の強そうな美人でマーロとはお似合いだな、とキッドは思った。目が大きい。口も大きい。喋り方もハキハキとしていて、元気がいい。鮮やかな色の服が似合っていた。


「思っていた以上の美人だった」

「あなたは思っていたより大人みたいな冗談を言うのね。……それに、すごくきれいな目をしてる。吸い込まれそうだわ……」


しばらくじっとキッドのヘーゼルグリーンの瞳を見つめてから、カレンはあることに気が付いた。


「でも、その服……」


カレンが訝し気に眉を寄せたのは、キッドの服が明らかに大きかったからである。キッドはややくすんだ白いシャツを肘までまくり上げて着ていたが、どう見ても肩幅が余っていた。


「これマーロのでしょう?大きすぎるわよ」

「ラングのは嫌だと言うものだから……」

「嫌だよ。なんとなく嫌だよ」

「なんとなくってなんだよ!?」


男たちの会話にすっかり呆れたカレンが手を叩いてふざけた会話を遮った。


「ラングのだってだめよ!新しいのを買いに行きましょ」


男三人がそろって目を瞬かせた。代表してマーロが奥を示しながら口を開く。


「でも、これから昼飯を……」

「いいじゃない、たまには外で食べれば。ジョニーの店ならこの時間もやってるわよ。あなただって、たまには他所の味を食べた方がいいわ」


さっさと歩きだしそうなカレンを追うように、今度はキッドが声を出した。


「でも、金がない」

「気にするなよ。飯も奢ってやろう」


ラングがキッドの肩を抱くようにして言った。キッドがさすがに申し訳なさそうにラングを見上げる。ここ数日、世話になっただけでもありがたいことなのに、この上そんな面倒をかける訳にはいかない、と、少年なりに気を遣っている顔だった。


「知ってると思うけど、おれ食うよ」

「喰うなんてもんじゃない。"こいつの胃袋は底なしなのか?"って何度思ったことか。でも、ま、成長期だからいいじゃないか。あ、マーロがシャツは買ってくれるからな」

「おい、言ってないぞ」

「よかったわね、キッド。元気になったお祝いよ。お兄さんとお姉さんに任せなさい!」


カレンとラングに押し切られる形で、キッドも外へ出た。マーロは既に考えてあった昼飯のプランを夕飯に持ち越すか明日に回すか、そんなことを考えながら最後に店を出て、入り口に鍵をかける。カレンの声に急かされて、早足で三人を追いかけた。

 


 テッドの衣料品店は主に紳士服を扱っている店である。若い女が来ること自体が貴重な上に、カレンのような美人が入ってきたので、店主のテッドは店番を任せていた女房をはねのけて接客をした。

 小さな店である。客が四人と店主とその女房、ぜんぶで六人立てば、もうずいぶん狭かった。


「彼の服を見てほしいの。今すぐよ」


カレンがキッドの手を引っ張って店主の前に立たせた。テッドは小さな丸い目を見開いて、上から下までキッドを眺めて、まるっきり見たままの感想を口にした。


「ずいぶんサイズのちがう服だ」

「そうよ。だから、すぐに用意してちょうだい」

「しかし、困ったな」


うーむ、とひとつ唸って、テッドは腰に手を当てた。


「何が困るんだ、テッド」


マーロが横から口を出した。


「マーロ。お前さんたちが連れて来たってことは、この坊やは例の早撃ちの?」

「そうだが、それが何か?」

「いや。わしの姪っ子が彼のファンでね」


マーロが思い切り眉間に皺を寄せてテッドをにらんだ。テッドはその顔を見て思い切り口を開けて、腹を揺すって笑いだした。


「はっはっは!いやあ、冗談、冗談。姪が噂を聞きつけて会いたがっているのは本当だがな。わしも見たかったなぁ。残念だ。見事な早撃ちだったそうじゃないか?」

「そんなに大したことじゃ……」

「謙遜しなさんな!お前にやられた髭もじゃの、あの男な、あいつには会ったんだよ。この間、仲間とシャツを買いに来てな。褒めていたぞ。はじめはなんて生意気な小僧だと思ったが悪いことをしたってな。そのまま町を出ると言って、もしお前さんに会ったらと伝言だけ置いて行った」


キッドが首を傾げて見上げると、分厚い手がキッドの左腕を叩いた。


「この腕だ。この左腕を褒めていた。"お前の左腕と、度胸と、お前の友人に、敬意を表する"と、伝えてほしいと言っていた。それから仲間のことも自分のことも殺さずにいてくれたことを感謝してたぞ。子どもに侮られたと逆恨みしてもおかしくないところを、そう言えるんだから、相手もなかなか偉いじゃないか」


それを聞いたマーロがうんうん頷いて、カレンは不満げに眉を寄せた。そもそも撃ち合いなどをしなければいいのだと、女の目は言いたげである。

 キッドがラングに苦笑して、ラングはキッドにウインクしながら肩を竦めた。何が、相手もなかなか偉いだ。当事者でもないくせにさも見たように噂話をして、ちょっと文句を言いに来た子どもを袋叩きにするような連中が偉いはずはない。


(大方、いざ撃たれたら死ぬのが怖くなっちまったんで逃げを打ったんだろう。思ったよりキッドが正確な射撃を見せて本物だとわかったわけだ。生き延びた仲間を連れて意趣返しに来られたら勝ち目はない、とか、そんなところだろうな)


ラングはキッドの話を聞いていたから肚の底では呆れるような思いであったが、テッドにもマーロにも何か言う気にはならなかった。

 たぶん、これは良いことなのだ。これ以上あんな中年男とその仲間にキッドが煩わされずに済むのなら越したことはない。キッドの射撃の腕を認めての発言なのは間違いないのだし、目を瞑っておくのが大人の対応であろう。

 ラングは、あの隣村の事件に、いつまでもキッドのような少年を縫い付けておきたくなかった。ロブという男をキッドはずいぶん尊敬しているらしいが、それだけのために生きるのでは、彼は、いずれ憎悪の炎に囚われてしまうかもしれない。しかもアレックもハンの一味も死んだ今、復讐する相手もなく、憎しみだけの人生はいつか行き詰まり、負の感情の捌け口を求めて更なる泥沼へと入り込むだろう。

 そうなれば、この少年が持っている瑞々しい魅力が損なわれてしまう。それは絶対にいけない。

 少年時代の憧憬を炎に包んだままで、まっすぐな男になれるはずがないとラングは思う。あの火事で焼けてしまった青春を取り戻して、キッドは少年から青年へと成長していくのだ。そうでなければならない。幼い夢をしっかりと味わってから、新しい場所へと少年は旅立たなければならないのである。

 キッドの澄んだヘーゼルグリーンの瞳には、既に別れの悲しみが混じっている。だが、それはほとんど暴力に似た別離であった。それではいけない。

 ラングの考えでは、いつの時代も、少年の瞳に映る別れとは青春の幻から旅立っていく初恋のような色でなければならなかった。そういう別れを知ったあとには、大人になったときにふと思い出す、故郷の朝露のようなきらめきを持った瞳になるはずで、キッドがそうした大人になることを、ラングは期待していた。

 ラングは、初めて顔を見たときからこの少年をひどく気に入っていた。髭男と対峙した際の相手を射抜くような視線には正直痺れたし、店の二階で初めて話したときには、少年の無邪気さと危うさにひどく心惹かれた。

 キッドは、初夏の風が運んできたような少年であった。瑞々しい新緑の輝きを持った瞳が自分を見上げるたび、ラングはこの少年の傍でずっと見守ってやりたいと感じたし、同時に、少年が大人になるときにそっと助けてやりたいと願った。何故そんなことを思うのか、ラング自身も不思議であったが、こういう偶然の出会いから始まる人生の変わり目を、きっと運命とか言うのだろうと、普段考えてもみないことを考えたりもした。

 とにかく、キッドのために、あの髭もじゃや、騒動の影が周囲から消えてくれるのは有難い。

 この二週間余りの共同生活で、キッドはずいぶん彼らに馴れたが、未だ夜中に悪い夢に魘されているような声が聞こえる日があった。彼の部屋には今も拳銃があり、時々それを握って物思いに沈むキッドの横顔を見かけもした。そのたび、ラングは、少年の背にしがみつく亡霊のような影を見るのである。

 カレンは必ずしもラングと同じ気持ちではなかった。だが、彼女なりの正義感と慈しみの心が、結果としては、ラングの心を代弁するようなことばを選ばせた。


「騒ぎを起こす馬鹿なおじさんたちがいなくなってよかったわ。もうああいう人間に関わってはだめよ、キッド。まっすぐにいい男になるためには銃を撃ってるだけじゃあ、だめなのよ」


この女は、鉄道も船も、夢見るばかりの冒険譚も好まない。カレンの父親はいくつかの船を所有する小さな会社を経営している貿易商である。父は主に陸上で船や荷物、乗員の管理をしているのだが、時々外へ航海に出てしまうことがあった。

 そのたびに見たこともないような宝物を持って帰ると言って父は出かけていく。それがカレンは嫌いであった。かつて、そう言って出て行った父親を待つ間に母が病死したからである。

 カレンはそれからずっと淋しさを隠し、父を支えて生きてきた。将来は優しく頼りがいのある男と結ばれ、愛する夫と、愛する我が子と、ごく平凡な当たり前の幸福を暮らす、それが彼女の強い望みである。

 そういう彼女の人生観から来る気の強さが、ときどき外に出るのだが、それが玉に瑕だとラングはこっそり思っていた。

 このときも、その癖が出た。


「きちんとした人間になるには、まず身なりからよ。というわけで、テッド。早くこの子にピッタリの服を用意してくれる?」


カレンには決して悪気はないのだが、語調の強い早口に、テッドはやや心を挫かれた。彼の妻はその様子を若い娘に色目を使った罰だと思ったが、カレンはそれにも気が付いていない。


「お洗濯するときの替えも必要だし、いくつか見せてもらえない?」


この少年がいかに上手く銃を扱うかなど、彼女にはまったく関係のないことであった。それよりも今後の少年の未来のために、身なりを整え、まともな生活をさせてやらねばならない、と思っている。

 これは不思議なことだ、と、マーロは思った。幼馴染のラングのことも、心から惚れているカレンのことも、マーロはよく見ている。この二人の仲は良好だったが、価値観を共有するということは稀であった。ラングのロマン溢れる歌をカレンは理解できなかったし、カレンの断定的な正義感をラングは危ういと常々こぼしている。そんな二人が、そろって目の前の名前もわからない少年をずいぶん気に入って、彼の将来のためにあれこれ考えを巡らせているのは意外であった。

 ラングが一番多く少年とは話をしているし、とりあえず少年に「キッド」とひねりのない呼び名を与えたのは彼である。マーロの思うに、ラングは男のロマンを愛する質であるから、少年の纏う雰囲気に青春の夢を見ているのであろう。ラングはそういう男であった。

 カレンはもともと、面倒見のいい女である。近所の子どもらの教師みたようなこともしているし、キッドはそういう子どもたちから見ればずいぶん大人であったが、カレンにはあまり変わりがないのかもしれなかった。

 思えば、となりのロズもそうであった。キッドがラングとマーロの店に運び込まれてから、もう何度も様子を見に来ていて、そのたびに「本当にかわいい坊やねぇ」と嬉しそうに呟いて帰っていく。女から見たキッドは、ひどく母性本能をくすぐる何かを、ふんだんに持っているらしい。

 などと考えているマーロも、他人のことは言えなかった。

 マーロの近頃の楽しみは、キッドにとにかく腹いっぱい食わせてやることである。野良犬を飼いならすように、食事を提供することで急激に少年との距離を縮めたマーロは、既にキッドの味の好みをかなり把握していた。

 この少年は体は小さいくせに異常な大喰いで、成長期といったって食べ過ぎなほど食べるのだが、マーロにはそれが嬉しくて仕方がなかった。大食いだが、味わうことを知っている少年は、実に旨そうに、そして楽しそうに食事をする。店で食事を提供している客も美味しいと彼の料理を褒めてくれるが、おかわりを持って行ってやったときの少年の嬉しそうな顔は客の賛辞に余程勝る。

 恐らく、これがキッドの持って生まれた一番の才能であった。

 人たらしと言っていい。なんとなく他人に世話を焼かせたがるというか、放ってはおかせない奇妙な魅力をキッドは持っていた。

 それは彼の澄み切ったヘーゼルグリーンの瞳と無邪気な笑顔のためであろう。そしてそれらに相反する危うさ――つまり、時折薫る銃や血の気配、どこか退廃的な眼差し、そういった凡そ少年らしからぬ虚無感のためであろう。

 本人はまるで無自覚に生と死を往来しているような、有と無が同居しているような、確かにそこに見えているのに、決して触れることのできない夏の陽炎のような存在感。奇妙なことに、マーロを含めた大人たちは、その不安定さにほとんど無意識に支えの手を伸ばしてしまうのである。そして少年が幸せになることを願ってやまない、そう思わせる天性の魅力が少年にはあった。


「……ピッタリと言ってもなぁ」


テッドの声に、マーロは意識を戻した。衣料店の主はまじまじとキッドを観察しながら首を捻っている。


「お前、いくつになるんだ?坊主」


子ども扱いされていることに、ちょっとムッとした様子ながら、キッドは正直に「知らない」と答えた。


「十五にはなってるはずだけれど」

「そうか。まあそのぐらいだろうな。なあ、カレン。知ってるかわからんが、男の子ってのはこのぐらいで急に伸びるやつがいるんだよ」

「ああ、確かに」


カレンの代わりに、ラングが同意した。


「マーロなんか半年で十センチ伸びたもんな」

「うそっ」


キッドの目が輝いた。希望を見出した、という顔つきである。


「どうしたら伸びる!?」

「わからん。ほっといたらこうなったから……」

「えーっ!だめだよ、マーロ、思い出してよ!」


どうも本人は子ども扱いが嫌らしい。前にいたところでは末っ子呼ばわりだったというのだから無理もないが、残念ながら必死に訴える声は、男らしいと表現するには程遠かった。だが、まるきり子どもの声というでもない。テッドがまたふーむと唸った。


「声変わりは済んじまってるみたいだなぁ。女子みたいな声だが……」

「女子でもない!」


やや興奮しているせいで、より甲高い声になっていることに本人は気がついていないらしい。うしろでラングが笑いをかみ殺した。


「ふむふむ。声変わりしてるんだと、残念ながらもうピークは過ぎてるかもしれん。それにお前、顔つきの割に筋肉がついてるな。力仕事をしてきたろう」

「あー、まあ。馬の世話とか、水汲みとか。いろいろやってたし」


筋肉を褒められるのは、なんとなく男子には嬉しいものだ。ちょっと得意げなキッドの無邪気にまた犠牲者が出た。テッドの女房である。これもやはり母性本能を刺激されたらしく、先ほどまでの不機嫌などすっかり忘れて「えらいわねぇ」とかなんとか言いだした。曰く、ここの息子は何も手伝わないのだそうである。今度は亭主のテッドが顔を顰めた。


「あー、とにかく。坊主が期待しているほどは伸びないまでも、ちょっとはでかくなるだろう。この辺でいいんじゃないか」


そう言ってテッドが出してきた、キッドの本来のサイズより少し大きな服を躊躇わずにマーロは買ってやった。礼を言って店を出ようとして、何気なくディスプレイを見やったマーロが、キッドを呼び止める。


「ちょっと待て。来い。これ、被ってみろ」


呼ばれて素直に戻ったキッドの頭に、マーロが無造作に何か乗せた。テッドが心得てすぐに鏡を持ってくる。顔を上げて自分の姿を見たキッドの、例のヘーゼルグリーンの瞳がふわりと開いた。

 黒い山高帽である。キッドが黙って鏡を見つめていると、ラングがうしろから覗きこんで褒めた。


「いいじゃないか。大人の男は帽子ぐらい持ってないとな。紳士の嗜み」

「あなたにしてはずいぶんセンスの良い買い物だわ、マーロ」


カレンも喜んだ。少年が被るにはまだ早そうだが、そのアンバランスさがまた意外なほどキッドには似合っている。


「よし。テッド、これも貰っていこう」

「悪いよ!さすがに、こんなに……」


遠慮するキッドの肩をラングが抱きよせて「いいから貰っておけよ」と機嫌よく笑った。


「だってお前、欲しそうだぞ、ものすごく」

「そ、そんなことない!」


キッドが顔を真っ赤にして、慌てて帽子を脱いだ。途端にまるっきり子どもの顔になる。マーロが白い歯を見せた。


「いいんだ。実は、お前の話を聞きたいって店に客が増えたんだ。その礼だよ」

「そう。そういうことなら……」


キッドは口を尖らせて言ったものの、また両手で帽子を被りなおして鏡を覗き込んでいる。その微笑ましさに大人たちが顔を見合わせたことには気が付かなかった。

  • Xで共有
  • Facebookで共有
  • はてなブックマークでブックマーク

作者を応援しよう!

ハートをクリックで、簡単に応援の気持ちを伝えられます。(ログインが必要です)

応援したユーザー

応援すると応援コメントも書けます

新規登録で充実の読書を

マイページ
読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
フォローしたユーザーの活動を追える
通知
小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
閲覧履歴
以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
新規ユーザー登録無料

アカウントをお持ちの方はログイン

カクヨムで可能な読書体験をくわしく知る