首くくりの物語

日々野いずる:DISCORD文芸部

綺麗な子供の話

首くくりの物語


 ことりと音がした。それは命尽きる音だ。

 私の手の感触からして子供の細い骨が締め付けられて鳴ったか、幻聴だろう。何度も握り直して確かめてみる。子供の首に耳を近づけるが、そんな音はしない。だから、命が落ちた音だ。そうに違いないと思った。

 ぐったりとした子供は目を見開いてこちらを見ている。子供の青みがかった白と光をはじく黒の目は、人工的にはめ込んだガラスのようだ。真白く、細くてやわらかそうで、新雪に似た儚さを抱かせる子供の首は、いつも私の手あとがついてしまう。それがこれに関する唯一の不満であった。

 聞いた話によると、上手く柔らかく首を締めあげれば、気道ではなく血管のみを上手くやれば、跡がつかないという。そうしよう、といつも思うのだけれど、いざ本番となり力を込め始めれば、締め上げることに夢中になってしまい、その決意もどこかへ行ってしまう。

 そうして跡が残る。この跡は死んでしまうと、どうやっても消えない。生きていればすぐに治る痣も、死んだらそのままだ。

 初めのうちは首に布を巻いて隠してしまう。だが、肉は足が速く、じわじわと締め跡から腐食していってしまう。手元に置いておくのは二日が限度だ。

 このように綺麗な目の子供の場合、まずは目に光があたる場所に子供を置いてじっくりと見る。

 子供の目は格別綺麗だ。もっとも世には目のみホルマリン漬けにして保管しているような輩がいるが信じられない。子供についているからこそ一番輝くものだ、理想論的に言えば。だが、長く楽しみたいなら、彼らの方法がやはり賢いのだろう。目が光り輝きため息が出るほど美しいのは初めだけで、空気に触れているのが悪いのか白く濁ってくる。

 名残惜しくも、数時間じっくりと見たら瞼を落としてやらないといけない。そうすると綺麗な目をした子供の記憶だけが残る。そのあと瞼の下でどうなろうともかまわない。目の濁った子供なんて見たくない。

 瞳を閉ざした子供は眠っているかのようだ。眠っている子供を私は次に日陰に置いてやる。そうしてブランケットをかけて、子供の安眠を祈る。

 しばらく、寝かしておいている間に今日やるべき仕事を片付ける。仕事の連絡に、としょっちゅう電話がかかって来る。たいそう煩わしい。しかし働かないと食べていけないので、そうする。電話にでるのが憂鬱だ。応対に誰か雇おうかと考える。雇ったら雇ったでその雇われ人は私の生活に口を出してきそうだ。どうも周りの人間は私に関わり過ぎる。以前の職場も、それでやめた。

 仕事場と自宅を分ければ良いと思うが、その場合私が仕事をしている間、誰が子供の面倒をみるのか。子供は一人にしていてはいけない。

 仕事はしようと思えばきりが無く、終わりもないので適当なところで終わりにする。電話で今日の仕事終わりを知らせた。

 終わりにすると言えば相手は素直に承諾してくれる。これもこの仕事を始めたときから終わりにすると知らせたら、頑として、たとえ相手がなんと言おうとも、仕事仕舞いをしてきた積み重ねの結果である。そんなことをしていると、私の仕事が無くなりそうだと思うかもしれないが、私のしている仕事は少し特殊で、手間がかかるものだから依然として私のところに仕事は来る。

 そうして私はおやつの用意をする。

 子供はおやつが好きだ。だから用意してやる。子供がおやつを食べる姿などは実に心が温まる。僅かな甘味で幸せそうな笑顔をこぼす。その笑顔は天使にも勝るほどだ。

 しかし、残念ながら死んでしまっているので、子供はおやつを食べない。用意してやるだけでも嬉しそうに見えるので良しとする。

 そうして私はおやつを食べる。

 あまり甘いものは好きで無い。子供のように笑顔がこぼれるわけでもなく、天使に勝るわけもない。自分で思うに律儀な性質が影響して用意したものは食べないといけないという心境に追いやられるのだろう。食べ、そのあとブラックコーヒーを飲む。少しはましな気分になる。

 まだ子供は眠そうなので今度は底が円弧を描いている椅子の上に置いてやる。ロッキングチェアーという物らしい。ゆらゆら揺れる子供の質の良い頭髪に陽がさし、よい景色だと思う。そうして私は朝から手をつけていなかった新聞や書類を日の暮れるまで読む。

 字に熱中していると時がたつのが早い。明かりをつけたまま読んでいるとつい子供の世話を忘れる。ある日考えついたのが、日の光を自然の時計にして字が読めなくなったら、食事の準備をするという決まりごとだ。これを思いついてからは食事を忘れるということが無くなった。

 二日目、夏など早ければ痛み出す。

 なので子供はもう捨てなければならない。だいたいの場合業者に引き渡す。その為朝から忙しい。方々に電話をかけ引越しのため一時休業と伝える。その中でも友人にはまたかとため息をつかれる。失礼な奴だといつも思う。引っ越しの手配は簡単に身の回りの荷物をまとめるだけで済ます、あとは業者が持ってきてくれるということになっている。

 段取りを終えると、子供に別れを告げる。たまに離れるのが惜しいと思う子供もいるが、取っておくと言う未練がましいことはしない。子供は子供のままにしておくのが一番良いからだ。

 業者がやってきて、いつもの通り金を渡そうとする。しかしこれは私の方が引き取ってもらっているのだから、金はいらないといつもの通り告げる。ついでにもっと早く連絡をいただければ新鮮でいいのにと軽口をたたかれる。しかしそれでは子供に別れを告げる時間が少なくなってしまう。という理由で断る。いつものことだ。

 その時この男は呆れたような何かおいしくないものを食べた子供のような顔をする。

 これもいつものことだ。


 そうして私は空き家になった家を出る。

 二日子供と一緒に過ごし引っ越しを済ませ、新しい家に馴染むと次の綺麗な子供を探す。

 綺麗なとは容姿のことではなく、まっとうな心をもち純真な子供だ。そういうものが綺麗だと思う。いくら正しく育っていても少しませた、賢い子供はすぐに大人になってしまい殺したくなる。しかし小さすぎる子供も話している内容がつまらない。ちょうどいい年齢というものがあるが、その年代はすぐに育ってしまう。

 子供には申し訳ないことをしていると思う。だからその代わりになるべく純粋であって、大人になるのが遅いような子供に目を付けているつもりだ。

 ということを何かの折に話した時、友人はひきつった顔をした。

 お前の頭はおかしい。という。

 でも私はこういう質なので諦めてもらわねばならない。今後お付き合いを願うならば。

 さて、どこで子供を見つけるかと云うとこれを話すとそこら中が警吏ばかりになるので教えない。

 しかし、ヒントは教えよう。街中、である。

 おおざっぱ過ぎてわからないって?しかし分からない方が良い。あまり詳しく言うと現実味が出てしまう。もし君たちのお子さんが私に目をつけられたらと心配するあまり、君たちは外出禁止を子供たちに言い渡すかも知れない。それは不幸だろう。

 子供は自由であるべきだ。何も不自由を知らなくて良い。やりたいことをしている子供が一番の宝物だ。


 次の子供を見つけたら、仲良くなる。これが次に重要だ。

 何より、子供は知らない人を前にすると委縮しがちであるからだ。より良い関係はよりよい笑顔をくれる。子供も私も幸せになる。

 子供との関係は主に半年から長くて五年続く。やはり個体それぞれの成長差がある。共通しているのは子供との幸せな時間はそう長く続かないということだ。

 少しの違和感が大きな苛立ちにつながる。子供が成長するのは当たり前のことで、罪はないので、自分勝手に乱暴にふるまうわけにはいかない。しかし、辛抱も限界になると、この世でもっとも酷いとされていることをしてしまう。その時は締めることばかり考えているから、子供がどのような顔をしているか知らない。

 幸い私は人好きのされる形をしているらしく、仲良くなるのにもさほど時間はかからない。時には子供の親とも交友がある場合もあった。

 しかし経験上、親と親しくなるのは懲りた。綺麗な子供の親ならば、まだ人としてましかと思えば、その通りで無い。子供が消えたら、親は泣きわめき、そうまでいかないまでも取り乱す。

 そうしてその心情を私にこぼす。賢い親の場合、方々に聞きまわる前に警察に届ける。

 そうしたら近いうちに交友があった私の家にも警吏が来る。警吏は苦手だ。以前無礼にも私の家に踏み込んできて、子供を見つけられてしまったことがある。

 丁重にお引き取り願ったが、今彼の位置に居るものは彼本人ではない、らしい。そういう処理をお願いしたが詳細は知らない。

 いくらうまく誤魔化しても、いつか気付かれる。長く住めば土地に愛着も生まれる。しかし警吏が踏み込んできてからというもの、懲りてなるべく早くに引っ越す事にしている。愛着が生まれる前に引っ越すのでもう私は自分がどこに住んでいたかを憶えるのはやめてしまった。

 どこかちょっと出かけるような態度で家を出る。荷物は少なく、身は軽く。


 カタンと電車が音を立てて止まった。電車が深呼吸をするかのように空気を吐き出す。わずかに車両が上下する。もう降りるべき駅のようだ。パラパラといた乗客は誰も降りずに知らんふりして座ったままで好きなことをしている。網棚の上に置いた荷物を下ろす。どうやら私が降りるのを待っていたようで降りた瞬間にドアが閉まった。ワンマンカーの車掌はこちらに一瞥もくれないで窓から首を出し、ホームの安全を見守りながら、次の駅へ向かって行った。

 大きくセミが鳴いている。

 改札が無く、駅員もいない。町のほうへ向かいたいがどこに行けばいいのだろう。

 駅にあるおおざっぱな行き先案内板を見るがよくわからない。

 夏の暑さにじりじりやられながら、ぼんやりと駅名を眺めていると、あることに気が付いた。


 ああしまった。


 気付かなかったのだが、知人の住んでいる地域の駅だった。

 これは拙いなと、私は思った。

 私にも付き合いはある。知人との付き合いもその一つだ。たいてい電話越しだが。


 電話での彼がまくしたてるお説教は切ってしまえばお終いだから、聞きしながら作業でもしてしまえばそれでいいのだけど、あの説教を直接受けることになると辟易する。しかし、もうすでにホームに降りてしまって、電車はすでに発車してしまっている。気づいたのが遅かった。不幸なことにこの路線では二時間に一本ほどしか電車は来ない。もし屋根の無いこのホームで次の電車を待っていることにしたら、干し上がる気がする。

 私は大きく迷ったが、暑さに観念した。

 彼とは水と油のような関係で、会えば何らかの面倒なことは起こるだろう。しかし、根本的な解決にならないにしても、なるべく見つからないようにすれば、しばらく平穏な生活を送れるだろう。

 駅周辺はひらけた平原になっていた。

 膝の高さ程の草の中にけもの道ほどの細い道が続いている。おそらく町へとつながっているのだろう。もし予想が違っていても大したことにはならない。町から伸びる煙突が平原から見えていた。

 道すがら一人、人にあった。

「町のほうはどちらです」と問うと、この町の人々は親切なのか「どちらまで行かれるのです」と案内してくれそうになる。 どちらまで、と言われて困ってしまった。

 唯一住所が分かっている知人の家を挙げると、彼に会ってしまいお説教を受ける。かといって、私が住む予定の住所を告げることもできない。知らないからだ。

 一般的に自分が次に住む場所を知らないのはおかしい。それくらいは分かる。急しのぎに観光と答えてもみろ、次の日からその人間が住んでいたら余計におかしい。

「いえいえ、大丈夫ですよ、行ってみれば何とかなるものです」と人好きのする笑みを思い起こし、顔に貼り付け町人と別れた。

 細道は小高い丘に導かれた。見下ろしてみると広広した町が見えた。高い建物といえば煙突くらいで、のっぺりと地面にへばりついている。


 さあ、次の子供を見つけないと。


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