浴衣と林檎飴の恋〜After Story〜

 私たちは手を繋いで、誰もいない裏山へのぼった。

 彼は私の足のケガを最優先に考え、会話の中に心配する様子のフレーズをいくつか織りこんでくれた。

 さらに、私のケガが悪化しないように、遅いペースで一緒に歩いてくれた。

 歩き始めは少し申し訳なく思っていたが、木が目立つようになってからは、彼の気遣いを素直に受け止めることにした。

 彼に対して素直になると、余計なことを考えなくて済んだ。


「ここなら誰もいないでしょ」

「そうだね……」


 “誰もいない”ということを現実としてしっかり認識すると、急に2人きりが実感されて恥ずかしくなった。

 未だ手は繋いだまま。

 お互い火照った体を片手で一体とさせている。

 最近は2人だけの時間というものが少なくなっていたが、今だけは本当に幸せだった。

 この上なく、彼が愛しいと思えた。

 少し強めに彼の手を握り直すと、それが合図だったかのように、夜空に大きな花が咲いた。


「わぁっ……花火……!?」


 赤、緑、黄、青。

 様々な色が私の心をさらに色彩豊かにしていく。

 そんなつもりはないのだろうが、彼がサプライズで花火をくれたようだった。

 ひとしきり花火を見てから、私は彼の顔を見上げた。

 感動していて、何も言えなかった。

 私の屈託のない笑顔を見て、彼は少し頭を掻いた。


「お前、花火大会のことは知らなかっただろ? ――急に花火が上がったら喜ぶんじゃないかって」

「……ありがとう」


 彼の言い訳じみた言葉が、今はただただ嬉しかった。

 花火の灯りに照らされた彼が、ちらりと私の目を見た。

 嬉しさであふれていた笑顔が、彼に見つめられたことによってどんどん硬くなっていく。

 遂には笑みが消えた。

 2人きりの場所に、2人だけの時間が流れた。

 私の手には汗がにじみ始めている。

 もしかしたら彼の手も、私の手と同じ状況におかれているのかもしれない。

 私たちは互いに体の向きを変えた。

 私は少し上を、彼は少し下を見ていた。

 瞬きをして一瞬だけ彼が隠れることさえ嫌だった。

 いつまでも彼を感じていたい。

 そう思った途端、軽く手を引かれた。

 不意のことで、いとも簡単に私の体は彼側に寄せられた。

 ふわりと彼の匂いが香った。

 驚きの中で、私は彼の匂いに気をとられそうになった。

 ここまで私は彼の上手な手順で運ばれていると思った。

 そして次も。

 彼もきっと緊張しているだろうに、自然に私の腰へと腕をまわした。

 足の力が抜けそうになり、彼の肩に手をかけて耐えた。

 すると、彼の顔が私の耳の真横にあった。


「……しても、いい?」


 彼の優しい声と言葉と吐息が同時に届き、私は肯くしか術がなかった。

 腰にまわされていた手が、今度は腰を掴んだ。

 連続した花火が、私の耳をずっと刺激している。

 顔を上げると、すぐそこに彼の顔があった。

 今まで経験したことのない距離に動揺した。

 どうしていいのか分からず、少しの間、動かずにいた。

 彼の優しさがあふれることを待った。

 案の定、彼の優しさが表れて、少しずつ私と彼の唇が距離を詰めていく。

 私が彼に辿り着くには1分ほど要したと思う。

 どれだけ進んでも届かないと思った。

 しかし、互いが触れた瞬間、心臓が跳ねて、猛烈に彼を求めた。

 たかが口づけでと思うかもしれないが、このときの彼は意地悪さと優しさを併せ持っていたのだ。

 私はただ彼に酔いしれた。

 私たちのキスを目撃した花火は声を潜めて隠れてしまった。

 それほどまでに私たちのキスは魅力的だったのだろう。

 長い長い口づけを終え、互いに唇を離すと、安心したように花火がまた上がり始めた。

 閉じていた目を開けて彼の目を見つめた。

 彼は恥ずかしがって目を合わせてくれなかった。

 しかし、それでよかった。

 この短時間で彼の知らなかった部分まで発見できたのだから。

 無意識に微笑んでいると、それが彼に見つかってしまった。


「ニヤニヤしてんじゃねぇよ」


 そう言って彼は私の頬をつねって楽しそうに笑った。

 大人の雰囲気がする彼もいいが、やはりいつも通りの無邪気な彼が好きだった。


「ひはいほー!《いたいよー!》」


 私は彼の手を顔から離そうと必死になった。

 しかし、手はなかなか離れず、彼は再び真剣な表情になった。

 その変化に目を奪われた。

 どうしたのかと疑問に思っていると、私の頬を掴んでいた彼の手が私の顔を覆った。

 今度は何をされるのか分からず、私はただ彼を見つめることしかできなかった。

 急に彼が唇の距離を詰めた。


「……っ!」


 私が驚いたときにはもう遅かった。

 私と彼の唇はたった2cmの距離で停止していた。


「お前のことは離したくない……離さない。俺はお前が好きだ」


 彼の吐息がかかったと思ったら、既に私の口は塞がれていた。

 これまた長いキスだった。

 淡くて甘い、この世のすべてが溶けていきそうなほど。

 互いの唇が離れるのを見計らって、私は彼に伝えた。


「私、君がいないと生きていけないくらいに、君が好き。好きで好きで、たまらない」


 私の言葉に刺激されたのか、彼は驚いた表情のあと、腕で顔を隠してしまった。

 彼を照れさせることに成功し、喜びを感じた。

 小さな達成感を味わっていると、突然彼が私の頭に手を置いた。


「俺のほうがお前を愛してるけどな」


 一瞬だけ心臓が跳ねたが、そのあとには大きめの敗北感が私を包んだ。


「私だって愛してるもんっ……!」


 小さな言い合いをして、2人で笑った。

 ひとしきり笑ったあと、少し静かになって、彼が口を開いた。


「そろそろ帰る?」


 その言葉で急に妄想から現実に引き戻されたような気がした。

 彼と一緒にいるのは現実なのに。

 私はうつむいて正直な答えを言った。


「まだ……2人だけでいたい」


 彼が少し戸惑ったのが分かった。

 私の素直な答えを聞いて驚いたのだろう。

 しかしすぐに笑って、私の肩を抱いた。


「そうだな。俺も、今はお前と2人きりでいたい」


 心も体も、距離が近くなった。

 私は彼の肩に頭を預けた。

 私たちは花火に照らされ続ける限り、そこに立っていた。

 きっと私たち2人が静寂に包まれるときは、私の唇が彼の口を塞ぎ、彼の唇が私の口を塞ぐときだろう。

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浴衣と林檎飴の恋 千ヶ谷結城 @Summer_Snow_

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