浴衣と林檎飴の恋

千ヶ谷結城

浴衣と林檎飴の恋〜Main Story〜

 熱帯夜に祭りは開かれた。

 お囃子がそこらじゅうに鳴り響いていた。

 道の両脇には数え切れないほどの露店。

 店と店の間には何万という数の人間が所狭しと歩いていた。

 私たちはその中を手を繋ぎながら、ゆっくりと進んでいった。

 恥ずかしさから無口になってしまう私と彼。

 特に欲しいものもなく、淡々と先に進む。


「あ、終わっちゃったね」


 気づけばそこはもう店がない、ただの人間の溜まり場に辿り着いていた。


「戻る?」


 新しいことを提案してくれる彼だったが、私はもうへとへとだった。

 浴衣で来たせいで息苦しい。

 疲れたからといって、彼を困らせるわけにもいかない。


「そうだね、戻ろうか……」


 なんとなく言葉の歯切れが悪くなった。

 きっと鼻緒が指の間に擦れていたからだろう。

 しかし、彼は私のそんな言葉の変化にも気づかなかった。


「戻るって言っても、欲しいものとか俺はないんだけど」

「私もないよ……」


 私は内心、欲しい物が無ければ休みたい、と思った。

 自分で彼に戻ることを決断したのに、やっぱり、と言うことは嫌だった。

 コロコロと意思を変える人間は、俗に“優柔不断”と判断される。

 そんな表現はされたくなかった。


「じゃあ、疲れたし、ちょっと休む?」

「え?」


 彼の気持ちが変わったことに驚き、私は聞き返してしまった。

 休憩になったことは嬉しいが、祭りを楽しまなくてどうするのかと思ったからだ。


「休憩で、いいの?」


 不安になって彼にちゃんと尋ねる。


「だってお前、足痛いんだろ? そんなんで歩ける訳ねぇじゃん」


 気づいてた!?

 彼の一言に優しさが100%含まれていて、私は嬉しくなった。

 彼は心配そうな表情をしている。

 このまま自分だけの気持ちを押し付けて戻ると言ったら、きっと怒るだろう。

 私は素直に、彼に甘えることにした。


「……うん」


 掠れそうになる声で、私は彼に応えた。


「手、貸すぞ」

「あ、ありがとう……」


 優しさが溢れて仕方ない彼の腕にしっかりと掴まり、ゆっくりとベンチに移動する。

 腰かけると、彼は私に謝ってきた。


「ごめん」


 急なことで、私は一瞬だけ痛みを忘れかけた。


「どうしたの?」


 私はなぜ彼が謝るのか不思議で仕方なかった。

 彼は俯いてしまった。


「お前のケガに気づけなかった。本当は真ん中ぐらいから痛かったんだろ?」


 私は見透かされている気分になった。

 彼の言うとおりだった。

 鼻緒で痛くなることは想定済みだったが、まさかあんな早く痛くなるなんて思っていなかった。

 一応、絆創膏は所持しているが、浴衣を着ているために自分で貼ることは不可能だ。


「絆創膏、持ってるか?」


 なんだか私は彼と一心同体のような気がしてきた。


「持ってる」


 簡単に私は答えた。

 その先も予想できていた。

 きっと貼ってくれるのだろう。


「出して。俺が貼ってやる」


 まるで目の前のことを予知しているようだった。

 彼の優しさが現実になっていくことが嬉しかった。

 ベンチから立ち上がり、彼は私の前にしゃがみ込んだ。


「ほら、早く。貼ってやんねぇぞ」


 少し意地悪なところまでやっぱり好きだと思った。

 どうしようもなく愛しくなった。

 このまま貼ってもらわなくてもいいかな、と思ってしまうほどに。


「はい。キレイに貼ってね」

「わがまま言うな。俺が貼ってやるんだから」


 他愛のないこれだけの会話だって嬉しい。

 いつもは大雑把に物事をこなしていく彼が、小さな絆創膏の包装を剥がしている。

 いつもは私の頬をつねってガハガハと笑っている彼が、大人びて見える。

 好きだ。

 目の前にいる彼が、世界一好きだ。


「よし、これでいいか?」

「え、あ、うん。ありがとう」


 彼がぱっと顔を上げる。

 表情から考えていたことが伝わりそうになり、ポーカーフェイスを保った。

 幸いなことなのか、生憎なことなのか、彼は私の気持ちには気づかなかった。

 ベンチに腰かけ直した彼は、スマートフォンを弄り始めた。

 私がケガしなければお祭りをもっと楽しめたのに……。

 暗い顔をして俯いた。


「くそ、こいつら変なこと言いやがって」


 急に言葉が乱暴になったので、俯いていた顔を上げて彼を見た。

 彼の目線の先の画面にはいくつかのふきだしが表示されていた。

 友達と、チャット……? デート、してるのに……。

 自分と一緒にいることが嫌になったと勘違いし、たった一人で沈み込む。


「あ、あのさ……」


 乱暴になっていた言葉遣いが直り、優しさが戻る。

 私は彼の顔は見ずに、手元を見る。

 なぜだか、顔は見ないほうがいい気がした。

 きっと彼も顔は見て欲しくなかっただろう。


「えーっと……」


 彼が言いたいことを私は察することができなかった。

 予想すらできなかったために、黙って次の言葉を待つしかなかった。


「あー、なんで次が言えねぇんだろ」


 彼は髪をくしゃくしゃにして焦った。

 私は手元にやっていた目線を遂に彼の顔にやった。

 ちゃんとは分からなかったが、どこか顔が赤く感じられた。


「どうしたの、友達に何か言われた?」


 今の私にはそんな言葉をかけるしか方法がなかった。

 彼が困っているのに、察して助けることもできない。

 悔しかった。

 彼は私の苦しみに気づいて助けてくれたのに。

 私は……。

 自分の行動を悔やんでいると、突然私のスマートフォンに通知が来た。

 彼が困っているのに、応答しても良いのか迷った。


「出ていいよ」


 彼が少し複雑そうにそう言った。

 反論するつもりだったが、彼が許してくれたのだから出ないわけにもいかない。


「じゃあ……」


 電源を入れると、そこには彼の名前が。


「えっ……」


 驚いて隣を向く。


「とりあえず読んで。話はそれから」


 恐る恐る指を進める。


『……誰もいないところ行かない?』


 謙虚そうに文字は私に問いかけてくる。

 言いたかったのはこれか。

 謎が解けて、私はそのまま画面内で返答した。

 謙虚そうに。


『いいよ』


 私の気持ちが彼の手の中に届いたらしく、嬉しそうに手元が音を奏でた。

 そして、彼は立ち上がった。


「じゃあ、行くか」


 嬉しそうに誘ってくれる彼は、手を差し伸べた。


「うん」


 その手は、私以外の人間には届かない。

 その手は、私以外の人間には繋げない。

 その手は、私以外の人間には触れない。

 その手は、私以外の人間には――――。

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