第76話

 壁いっぱいに広がる本棚に部屋の奥にある紙や道具が散らかった机。天井でキイキイと音を立ててぶら下がる照明が部屋に舞う埃を照らしている。ウールは机に座っていたスタークに「掃除くらいちゃんとしろ」と言って向かい合うように座った。


「これでも綺麗な方じゃよ。昨日メリッサが掃除してくれたからのう」


 説得力のかけらも無い。そんなずぼらな彼だが意外にも身なりだけは以前の浮浪者のようなものからマシになっていた。ローブは変わらず灰色だが新調しているようで擦り切れたあとが一つもない。そして伸ばし放題だった髪や髭も綺麗に整えられていた。そんなマトモな身なりのせいか散らかり放題の部屋が余計に悲惨さを増していた。


「それでこの有り様か。怒られるぞ?」


「もう何度も経験しておるわい。しかも『あなたは昔っから手間がかかりますね!』って散々言われるから困ったものでのう……放っておけと言ってもダメだといって聞かんのじゃよ」


 彼の言うメリッサの印象が若干違うのにウールは少し疑問を抱くが、早々に話題を切り上げさっさと本題に入ることにした。


「ところでメアリスも連れてきているようだが、手記について何か分かったのか?」


 ウールが訪れた時には既にメアリスがいた。彼女は椅子に座って退屈そうに望遠鏡をいじったり、それを使って夕暮れの広がる窓の景色を見たりしている。しかし太陽をうっかり直視してしまい痛そうにうずくまる。


「いんや全然」


「……帰っていいか?」


「ウールに賛成」


「まあ待たんか二人とも。ここに呼んだのはわしの提案を聞いてほしいからなんじゃ」


 ウールがそれについて聞くとスタークは机に地図を広げある場所を指さす。ウールはその場所を見て不思議そうに彼を見つめた。そこはウールがかつて眠っていた迷宮だった。


「ここに調査しに行きたいのじゃがどうじゃろうか?」


「どうと言われてもな。まず理由を教えてくれなければ何とも言えんぞ」


 それもそうかと彼はひげをなでる。


「黒の手記についてはお手上げなんじゃよ。調べても言い伝えぐらいしかなくてのう、かけられた防御魔法を解く方法が全然見当たらん。それでにっちもさっちもいかんから唯一魔法が効かないお前さんら二人に関係のある物や場所を調べることにしたんじゃ」


「それであの迷宮というわけか。だがあそこがメアリスに関係しているのか?」


 スタークが「らしいぞ?」とメアリスに確認すると彼女はこくりと頷く。


「古い記憶で曖昧だけど行ったことある気がする」


「……本当に大丈夫なのか?」


「冒険に安心を求めるのはナンセンスじゃよ」


 ふぉっふぉっと笑うスタークにウールは何か違う気がすると呆れた。そんな彼女をよそに彼は自分の言葉に酔いしれながら計画を話し始める。


 数日以内に王都を出発。三日か四日ほど馬を走らせ続け迷宮へ到着。そして迷宮全体の調査は一日もあれば終わるくらいだ。往復で二週間もかからない旅だ。


「ちょっとした冒険みたいなものじゃよ。そんでここの調査をするんでしばらく王都を留守にしようと思うのじゃがかまわんか?」


「お前なら寿命以外で死にそうにないしな。分かった、無事に戻ることを願っているぞ」


 スタークはそれを許可されたと受け取りご機嫌になる。のんきなものだと思いつつウールは「ま、頑張れよ。成果を期待しておるぞ」と言葉をかけた。だがスタークはとぼけ彼女はそれを不審がる。


「なに他人事みたいなこと言っておるんじゃ? お前さんも行くんじゃよ」


 しばらく続く沈黙。そしてウールがようやくひねり出した言葉は「……馬鹿なのか?」だった。


「馬鹿じゃからこんな命知らずなことを積極的にやっておるんじゃよ」


 スタークはのんきに笑い「まあ今回はあまり刺激がなさそうじゃがの」と付け加える。というのも迷宮が噂とは違い獰猛な魔獣やドラゴンがいないことを彼は昔ベルムから興味本位で聞いていたからだ。


 ウールはなんだか言いくるめられたような錯覚に襲われていた。しかしすぐに頭をぶんぶんと横に振り気を取り直して意味を訊ねた。


「関係しとるお前さんとメアリスが行かんでどうする? それにじゃ、手記だけ持って行っては無駄足になる可能性が高いと思わんか?」


 もっともだとウールは言葉に詰まる。メアリスはというと私も? と首をかしげている。しかしウールを悩ませる彼の主張はこれだけではなかった。なぜなら彼は護衛のためにホーナーまで連れて行くと言い出したのだ。


 余計に混乱するウールを放っておいてスタークはトントン拍子で話を済ませようとする。しかし「ちょ、ちょっと待て!!」と彼女が慌てて遮った事で危うい流れが止まった。


「いくらお前でもさすがに認められんぞ! リスクが高すぎるし何も得られなかったらどうする気だ?!」


「その時はその時じゃよ。それに大いなる力を得るには相応のリスクを冒さんとな」


「そんなものに頼らずとも皆がおる。鍛練し策を練れば勝機を掴めるだろ。大体いきなり大きな力を得ようとするなどろくなことにならん。そんなことくらいお前なら理解でき――」


ならお前さんの考えはもっともじゃ。じゃがそうは言っておれん」


 スタークは「ここを見てくれ」と地図の最南端を指した。そこには何の変哲もないただの山が記されているだけだった。そこから少し北へ行くとキャンベル家の領地だ。


「ここが何だと言うんだ?」


「この山にはかつて魔王を討ったとされる伝説の勇者イダが使った魔剣『イダの剣』が封印されておるんじゃよ」


 話を聞いていた二人の目の色が変わる。スタークは「いい反応じゃ」と満足げにしながら仕事の片手間に勇者の物語を調べていたらこの事を知ったという経緯を説明した。かなり古い書物に記されており、さらにイダの剣だけでなく黒の手記と対をなす『白の手記』と呼ばれる物の存在についても記されていた。


「お前はその内容を信じるのか?」


「信じておる、と言いたいが絶対とは言い切れん。なにせ実物を見たことがないからのう。じゃがもしこの内容が本当なら厄介じゃぞ?」


「どういうことだ?」


「少しわしの考えを聞いてほしい。まず白の手記についてじゃがどうやらかなり高度な魔導書らしくそれ相応の魔法が記されているらしいんじゃ。じゃからお前さんが力を失った、いやことに関係しておるかもしれん」


 魔力を奪う魔法というのは極めてリスクが高い代物だ。下手すると命を落とすか魔力が暴走し異形へと変化してしまうかもしれず、確かな魔法の実力を持つ彼でさえ手を出したくない魔法だと言わしめるほどだ。そんなものを扱える魔法使いがもしいるのなら彼の耳に必ず届いている。しかし彼はそんな人物に身覚えがない。


「となると白の手記を使ったという以外あまり考えられないな」


「そうじゃ。じゃからイダの剣がこの山にあるという根拠につながると思わんか? そして今を取り巻くこの状況でそんなことをする者と言えばあやつしかおらんじゃろ」


 スペンサー。


 ウールはその名を口にする。そしてすぐにハッと顔をあげた。


「でも待て、あいつが私の力を得たというならそれで十分ではないのか? なぜわざわざ剣を取りに行くんだ?」


「剣を手に入れるという事は勇者と魔王どちらの力も得るということじゃ。それはまさしく神に近い存在と言っても過言ではないじゃろうな」


 ウールは言葉を失った。かつて持っていた力がどれほどのものか知っているせいで、それを上回るということがどれほど脅威であるかも容易に理解できたからだ。


「よいかウール、わしがかつて王都にいた頃あやつに目の敵にされておった。じゃがあやつがどんな男かをよく知っておる。あやつは慎重かつ大胆な男じゃ、今は行方をくらませておるが恐らくキャンベル家に隠れ時を待っているに違いない。となると剣を手に入れるのも時間の問題じゃ。……ウールや、考える時間などもうあまり残されておらんぞ。わしらも黒の手記の魔法を解き何か対抗できる術を得ねばならん」


 ウールは難しい顔をしたままうなだれ、そして虚空を見上げた。この決断が簡単な事では無いのはスタークも承知の上だ。彼は考えを巡らせる彼女を黙って待ち続ける。


「……分かった。だが他の長老達とシャーロット、それからベルムに話を通してからだ。それが筋だろ?」


 スタークはあいわかったとうなずき「話は以上じゃ」と重い腰をあげる。そしてウールとメアリスを見送ろうと扉の方へ歩き出す。するとウールはふと思い出したように彼の方を振り向き「ところでリリーの修行は順調か?」と訊ねた。


「すまんが難航しておる」


「そうか……。お前に任せっきりですまないな。私も時間ができれば見に行ってやりたいんだが」


「お前さんこそレオと一緒に鍛錬しておるんじゃろ? レオに負けんくらい頑張っとるとセドから聞いておるぞ」


「当然だ。レオなんかに負けるわけにはいかんからな」


「似たような事をレオが言ってたというのもセドから聞いたぞ。しかし魔王と勇者がこうも似ておるとは実に面白いものじゃのう」


 ウールはごまかすようにそっぽを向く。メアリスが「変なの」と追い打ちをかけると口を結んで恥ずかしそうにする。それをスタークは笑って眺めていた。


「まあとにかくじゃ、お前さんはお前さんで頑張れ。リリーにもそう言い聞かせておるし、わしも最善を尽くしていくつもりじゃ」


 ウールは手を振っている彼に任せるように微笑むと部屋をあとにする。そしてスタークはすぐに旅の荷造りを開始した。

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