第74話
「ううウウァァァァ……」
苦しそうに体をうずめるリリー。その苦痛に抗うように漆黒の翼と尾が生えていく。やがてそれは自我を持ちだしたかのようにひとりでに動きだした。
「あれは!! でもなんで?!」
正気を失っていくリリーにレオは足がすくんで動けなくなってしまう。しかしセドは彼のようにはならなかった。彼は素早く彼女の背後に回り込み彼女の首筋に手刀を放ち気を失わせた。
するとリリーから翼と尾が蒸発するように消えていった。セドは彼女を抱きかかえ悪夢にうなされているように苦しむ彼女の顔を覗き込む。冷や汗がダラダラと流れ髪はぐっしょりと濡れていた。ハンカチで汗を拭いてやっているとレオが心配した様子で近づいてきた。
「どうして……。戦ってただけなのに……」
「少年、リリーのあの姿に見覚えがあるみたいだな」
レオは心配そうにリリーを見たまま頷くと数か月前に起きた玉座の間の戦いをセドに語った。彼は一通り聞き終えると「なるほどな」と表情を曇らせる。
「あ、あの! リリーさんのこれは一体何なんですか?」
リリーを抱えたまま歩いていたセドは止まって振り返る。そしてレオに対し咎めるように言葉を発した。
「代償だ」
「代償?」
「そうだ。リリーとウールが力を求めた結果のな」
♢
リリーが目覚めた時にはすっかり陽が落ちていた。虚ろな目で辺りを見ていると誰かが呼びかける声がする。
しばらくその声には反応せずリリーは見覚えのある天井を見つめたままだった。次第に意識が徐々に戻りだす。痛む頭を抑えながらベッドから半身を起こそうとするが誰かの手でそっとベッドに戻された。
「無理をするな」
柔らかで暖かさのある手の主が言う。リリーはゆっくり顔をあげ――
「……まおうさま?」
力の入らないリリーの手をウールはギュッと握った。リリーがぐらぐらと痛みが残る頭で辺りを見渡すと心配そうにしているレオとセドの姿があった。
「リリーさん。具合はどうですか?」
「平気だ。……レオ、私はどうして部屋で眠っているんだ?」
「覚えていないんですか? リリーさんは以前のように暴走しそうになって。それをセドさんが止めてここまで運んだんですよ」
リリーは『暴走』という単語を何度も口で繰り返した。徐々に彼女の様子が変化していく。やがて呼吸が早く激しくなりはじめるとウールは声をかけながら必死に彼女の手を握った。その甲斐あって彼女は落ち着きを取り戻す。
「俺がいない間に何があったかは少年から聞いた。このことについては他の長老達とも話し合ってみる」
「分かった。……すまない」
「謝る事ではない。ただ一つだけ言わせてもらう。ウール、もしこの状態が今後も続くなら最悪の場合リリーを始末する」
レオはすぐ抗議した。しかしセドはウール達を見たまま何も言わない。それはウール達も同じだった。仲間であるはずなのに。リリーはウールにとって大事な存在であるはずなのに。彼は気味の悪い感覚に襲われふらふらと椅子に座った。
「お前にはもう以前のような力がない。だからリリーが暴走しても止められるのは俺達長老くらいだ。それに一人のために他の大勢の命を危険にさらすわけにはいかない。魔王であるならどちらを優先するかくらい分かるだろ?」
「…………ああ」
長い沈黙の後に発せられた声は息の詰まるような苦しいものだった。ウールはセドを見たまま感情を押し殺している。しかしこらえきれなかった一筋の涙が頬を伝う。レオが見た事の無い悲しみに満ちた顔。彼のまばたきは増え押し寄せるどうしようもない感情を制御するのに必死だった。
「なんでだよ……。なんで反対しないんだよウール!! 大事な仲間なんだろ?! それなのに――」
「セドの言うことは筋が通っている。だから私は何も言わない。……何も言わないんだ」
「筋が通ってるって……! だったら殺されてもいいのかよ?!」
「いいわけないだろ大馬鹿者!!!!」
ウールは声を荒げて立ち上がっていた。レオは面食らい暗い表情をみせる。歯を食いしばったまま彼を睨むウール。彼女の目から大粒の涙が数滴流れ出し目が赤くなっていた。ウールはすぐに謝るがしおれた花のように椅子に座った。
「……レオ、これは私達の問題だ。私達で解決しなければならない問題なのだよ。それにお前にはお前のすることがあるだろ」
「なんでそんなこと言うんだよ。心配しているのに、力になりたいのに……」
「だからこそお前はセドと共に自分を鍛え強くなれ」
しばらく彼は手を強く握りしめたまま黙っていた。
「レオは優しいな」
うつむいているレオにリリーが声をかける。ハッとして顔をあげた彼は髪が乱れたリリーが彼の方を穏やかな顔で彼を見ているのに気が付いた。
「だけどなレオ、私も魔王様と同じで今は鍛練に励んでほしい。こう言ってるのはレオが頼りないからではない。それが私達の望みだからだ」
レオは力なく何度か頷いた。それを見て安心したようにリリーは微笑む。
ウールはそれを見て頃合いがいいだろうとセドに目で合図を送った。セドは納得していない様子のレオに外へ出るよう促す。レオは二人の方を見ながら遅い足取りで扉へと向かった。思い悩んだ眼差し、ウールは黙ってそれを受け止めていたが彼が扉の取っ手に手をかけたところで彼を呼んだ。
「私がお前をここまで気にかけてるのはな、お前が勇者を名乗るに相応しいと思うからだ」
「勇者か……。そう言ってくれるのは嬉しいけどそんなことないよ。俺なんてちょっと魔法ができるだけで皆より弱いし足手まといだし」
「それは違うぞレオ。確かに今のお前はそこまで強くない。しかし強くないからって勇者ではないということはない」
「じゃあ何だったら勇者なんだ?」
「勇敢であること。それが勇者であることだ。立ち向かう心、思いやる心。それは多くの者が持っているようで持っていないものだ。だがお前は馬鹿正直なほどそれを持ってる。だから勇者に相応しいんだ」
「ありがとう。……でも馬鹿正直って言い方はちょっとひどくないか?」
「分かりやすいだろ? 馬鹿でも理解できるほどにな」
冗談を言うウールにレオは「うるさいな」と口をとんがらせる。しかし彼女の弱弱しい笑みをしているのに気づくと耳をすましてようやく聞こえるほどの声で「ありがとう」と言い残し部屋を出た。
そしてウールは残ったセドに託すような眼差しを向ける。セドは任せろといいたげにフッと笑い部屋をあとにした。
「相変わらず甘いですね彼」
「期限を設けないあたりなんて特にな。イーラだったら何が何でも理由を付けて殺そうとするだろうな」
リリーが小さく笑う。ウールは「笑い事ではないのだが」と呆れるが彼女の顔を見ていると次第に表情が柔らかくなる。しかしリリーがふと苦しそうに声を漏らす。ウールは慌てて彼女の手を握り汗を拭いてやった。
「魔王様、最近は特にあなたの考えが分かってくるようになってきました」
「……どうした突然」
「そして今はこう考えていますよね。『私のせいだ。私がリリーに呪いを植え付けたせいだ』と」
図星なのかウールは目をそらす。
「そう思わないでください、と言っても無駄ですよね。だって魔王様はお優しい方ですから。まるでレオみたいに」
「あ、あいつと一緒にするな」
ウールはまるでレオみたいに口をとがらせてそっぽを向く。リリーはクスクス笑うとウールにこっちを見るよう言う。そうして振り向いた彼女に続けて顔を近づけるよう言った。言われるままにウールが顔を近づけると熱を測るようにリリーは額を合わせた。
「魔王様、以前私が暴走した時に言ったことを覚えていますか?」
「……すまない。覚えていない」
「こう言いました。『リリーはひどい失敗をした。だがまだ生きてる、次がある』と。そしてこうも言ってました。『後悔しているか? ならば強くなれる。きっと、これ以上に』」
「そう言えばそんなことを言ってたな。しかしよく覚えているな」
「愛するお方の命がけの言葉ですから」
ウールはつい視線を外す。リリーは微笑みながら手でウールの頬をさすり言葉を続ける。
「魔王様、共に強くなりましょう。大丈夫です、私達は心まで繋がっています。それにセドをはじめ皆がいます。一人で抱え込む必要はありません」
ウールはリリーの手を握ったまま「ああ、そうだな」と囁き彼女を寝かせる。そして今日は休むよう言うと彼女が寝静まるまでそばでずっと見守り続けた。
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