第73話

 翌日


 心地よい陽射しが降り注ぐ昼、王都から出てすぐの平原。そこにレオとリリーはいた。レオは茶色の革鎧に剣を携え、リリーは漆黒の鎧にハルバードを手に持っている。二人はいつでも戦闘ができる状態だ。


 しかし二人がここで決闘をするわけではない。彼らがここにいるのは向かいにあぐらをかいて座っているセドに呼ばれたからだ。彼はウールを思い起こさせるような自信に満ちた笑みをみせながら二人を物色するように眺めている。


「あ、あの。なんで俺達が集められたんですか? こんな所にわざわざこなくても鍛練なら城でもできますし馬術ならもう必要ないと思うんですが……」


「ああすまない少年。言い忘れていたな」


 セドはヒョイと立ち上がり服の両ポケットに手を突っ込む。


「俺はお前達を鍛えるようウールに命令された。だからここに連れてきた。ここなら存分に力を発揮できるだろ?」


 セドはやけに乗り気で片方の手の感触を何度も確かめたり地面の土を蹴っていた。


「でもなんで俺達二人なんですか?」


「二人には伸びしろがあるとウールが見込んだからだ」


 レオは少し驚くと照れくさそうに頭をかく。リリーも似た感情を抱きもじもじとしている。顔もほんのりと赤い。


「リリーさん、いつもと様子が違いますよ? 何かあったんですか?」


 不意をつかれたリリーはらしくないほど動揺してしまう。


「そ、そんなに変か?」


「誰が見ても分かるくらいにですよ。ほんとどうしたんですか? 昨日もウールのこととなると恥ずかしそうにしてましたし、あの後何かあったんですか?」


 レオの言う通りウールとの夜を過ごした後のリリーはすっかり様子が違っていた。気づけばのぼせているようにボーッとしていて、レオとの手合わせでうっかり負けてしまうほどだった。


「お前にはまだ早い」


「リリーさんもそう言う……なんで皆そう言うんだ。俺が子供だからか?」


 ブツブツと拗ねる彼の姿はまさに子供だった。セドは笑ってそれを見ていたがリリーは胸に手を当てたまま思い悩んでいる。


「……聞きたいか?」


「え?」


 レオは思わず聞き返してしまう。さっきまで笑っていたセドは思いもよらない発言にふき出し慌ててリリーを純粋な少年から引き離す。そしてレオに聞こえないように肩を組んだ。


「何考えている!? あいつはまだ子供だぞ?!」


「しかし子供といっても彼はもう年頃です! なのにことを何も知らないままというのは可哀想な気が――」


「だからといっていきなりその、を語ってどうする?! あいつには刺激が強すぎる! それに将来に影響を与えたらどうする?!」


「ですが知識も耐性も無いのはよくありません! 間違いを犯してからでは遅いのですよ?!」


「……妙に説得力があるな。というかお前もかつてウールに似たようなことをしていたような……」


 リリーはぐうの音も出なかった。


「とにかく俺達があまりどうこうしてはダメだ。そうだな……シャーロットあたりに今度相談でもしておこう。だからリリー、間違っても少年に変な事を吹き込むなよ?」


 話し終えた二人が振り向くとキョトンとしたままレオが何を話し込んでいたのか聞いてきた。


「少年! 好奇心旺盛なのは良い事だ。だがについてはしばらく触れないでほしい」


 セドの迫真の言葉に圧倒され彼は「は、はあ……」とこれ以上聞こうとしなかった。それを見て安堵するとセドは剣を持つよう指示を出す。


 レオは大きな声で返事をし剣を構える。セドの要望もあって彼の手にしている剣は模造のものではなく本物だ。


「はああああああ!!!!」


 平原に響く少年らしい威勢のいい声。その声に呼応するように足元から細い稲妻がほとばしると彼の髪がふわりとあがる。やがて剣に稲妻が宿った。


「行きます!!」


 レオが彼に突っ込む。だがセドは立ったまま動かない。思わず攻撃を躊躇ちゅうちょしてしまう。


「何をしている?! 全力でこい少年!!」


 セドの声にレオはハッとする。そして唾を飲み込むと再び声をあげ勢いよくセドめがけて走る。そして剣を渾身の力で振りぬいた。


 ガキィィィン!!!!


 体に伝わる確かな感触。しかし肉ではなく金属を叩いたかのような感触だ。だがそれは金属ではなかった。


「これは――?!」


 レオの剣をセドは手で受け止めていた。その手は黒鉄くろがねのように変化していて黒い炎もまとっていた。そして人間のようだった指はドラゴンの鉤爪のように触れただけで切れそうな鋭いものへと変化していた。


「怯えるな少年! 俺に全力を見せろ!!」


 レオは自らを鼓舞するとセドの思いに応えるように何度も攻撃を続ける。


 彼の攻撃は見切ることが容易にできる程度のものだ。並みの傭兵程度の者が相手ならなめられるだろう。それほどに未熟だ。しかしセドは一切そんなことを気にしていない。どころか見極めるようにレオを見て、そして戦いを楽しんでいた。


 攻撃は数分ほど続いた。やがて彼は「十分分かった」と剣をあっけなく弾き飛ばした。息切れをおこしているレオに対しセドは試すような表情をしている。


「まだまだ未熟だ。しかし見どころはあるな」


「ありがとうございます。ですがまだ俺はやれます」


 そう言うとレオは落ちた剣を拾い再びセドめがけて走ろうとした。しかしすぐに彼に止められ出鼻をくじかれてしまう。


「なるほど。ウールの言ってたことが少しわかった気がする」


 彼の呟きはレオに聞こえたようで彼はどういう意味かを聞いた。


「少年のことを俺がきっと気に入るだろうとウールは言っててな。まだ少しだけだがどうやらその通りになりそうだ」


「そうなんですか?!」


「ああそうだ。ところで少年、聞きたいことがある。少年はなぜ戦う? なぜ強くなろうとする?」


「皆を守るため。それと……俺のせいで誰かが傷つくのが嫌だからです! だから俺は強くなりたいんです!」


 迷いなく答えるレオの目は眩しいほどに純粋で呆れるほどにまっすぐだった。セドはそれを聞くと大笑いし、頼もしい表情を浮かべながら「お前とはもっと話をしてみたいものだな!」とレオの肩を何度も叩いた。


 戸惑う彼に助け舟を出すためリリーは大きな咳ばらいをする。それに気づいたセドは謝りながらリリーに準備するよう言った。


「もうできていますよ」


 リリーは得意げにハルバードを構えてみせた。勇敢な立ち姿にレオはつい口を開けたまま目を奪われていしまう。


 そしてセドはレオの時とは違いすぐにリリーに距離を詰め攻撃を繰り出した。彼女は巧みに体をひねり、足を使い避けていく。しかし隙がなかなか生まれず防戦一方になってしまっていた。


「どうした? 守ってばかりでなく攻めてみろ!」


 攻撃が大振りになる。リリーはそれを見逃さずハルバードを振るう。しかしセドは予期していたかのように避け距離を取る。彼の掌の上で遊ばれていた。しかしリリーは構わず攻勢に転じ、彼も負けずに反撃する。


 一歩も譲らない攻防をレオは少し離れた場所から見ていた。それは五分以上続いたが不意にセドが攻撃の手を止めた。


「ならしはこれくらいでいいだろう」


 レオが「あれで準備運動?」と驚いているとセドは不敵な笑みを浮かべた。そして奇妙な間があった後、さっきまでとは明らかに動きが変わった。


 レオがパチパチとまばたきを数回しただけだった。その間に数十メートルはあっただろうセドとリリーとの距離が無くなったのだ。それだけではない。リリーは不意打ちに対処しきれず腹に彼の一撃を受けてしまう。その一撃は彼女の鎧に無残なヒビを入れるほどのものだった。


 リリーは苦戦を強いられた。しかし一方的というわけではない。辺りに霧を放ちハルバードに氷をまとわせつつ機会を待っていたからだ。だがその機会は一向に訪れない。


「まだだ、まだできるだろ!!」


 セドは思いきり地面を手で叩きつけた。視界を覆うほどの土が宙に舞う。それに気を取られたリリーの背後に彼はすぐに回り込んだ。


 その一瞬、レオはセドの変化に気が付いた。彼は緑の瞳をしているはずだった。しかし一方の瞳は赤く煌めいていた。もう一方の目も緑ではあるが同じように煌めいている。


 宝石のように輝く瞳。その瞳には文字通り炎が燃え盛っていた。


「どうした? それでは死ぬぞ!!」


 炎を目に宿したセドは彼女のわき腹に打ち上げるような鋭い一撃を入れた。鎧にさらにヒビが入る。苦悶の声をあげながらリリーの体が宙に浮かんだ。すると彼は間髪入れずまだ落ちてない彼女の腹を叩き落とすように殴った。地面に叩きつけられた彼女は体にムチ打ってすぐに起き上がるが血を吐いてしまう。


 リリーは目を背けたくなるほど痛めつけられている。それでも必死に食らいつく。触発されたセドも気が高まっていきそのせいか攻撃がより激しくなる。


 しかし数分ほど続いて彼は急に攻撃の手を止め距離を取った。


「急にどうした――」


「少年、離れていろ」


 彼の忠告通りレオは離れていく。だが異様で、身に覚えのあるプレッシャーを彼は感じリリーの方を見た。


 そこにはもちろんだがリリーがいた。だが体を震わせる彼女の足元に霧が異常なほどに集まりつつあった。不気味に思い彼は目を凝らす。そして思わず声をあげてしまった。


 リリーの背中、そこにはおぼろげな漆黒の片翼が生えていた。

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