第58話

 スペンサーの右腕にできた傷痕からは焦げ臭いにおいが煙と共に漏れ、血がドクドクと流れ落ちていた。彼はあまりの激痛にうめき、顔を歪ませている。だが炎の槍はほんの数秒で消えてしまいウールは「やはりこの程度か」と舌打ちする。


 ならばもう一度とウールは槍を作り出す。しかしその前にスペンサーは逃げるように走り出した。


「逃がすか!!」


 彼の姿は騎士達の間からしか見えず場所を捉えにくい。それでもウールは足を大きく踏み込むと思いきり槍を放った。


 一発目よりも鋭く一直線に飛ぶ。射線上に見事、彼が入り込んだ。


 だが届く直前、騎士達が塵となり跡形も無く消え去った。同時に彼は手をウールの方へ向ける。すると彼と槍の間に光の壁が浮かび上がった。


 ギィン!! とつんざくような音がしたかと思うと槍は数秒削るように回転を続け消え去った。彼はなりふり構ってない様子でウール達を無視して再び走りだす。


 ウール達が追いかけようとすると、彼の走る先にいたリリーとキャロルの姿が目に飛び込んだ。リリーは彼女に馬乗りになって首を絞めていた。リリーの腕には抵抗しているキャロルの爪が痛々しいほど食い込んでいたが彼女は構わず締め続ける。


「……き……さまなんかに……負けて――」


 キャロルの体が反り返っては地面に叩きつけられる。もがく足からは次第に力が抜け彼女の唇は青くなり始めていた。そしてリリーがとどめだといわんばかりに力を更に入れようとした瞬間、スペンサーから放たれた炎に気づいた。


「ジャマをするなあああああああああ!!!!」


 狂ったように尾を動かしながらキャロルから手を離すとスペンサーめがけて飛び込んだ。だが彼は攻撃をかわすとリリーに光の塊をぶつける。リリーが遠くへ吹き飛ばされると、彼は転がり込むように咳き込んでいるキャロルに近づき手を握った。


 そしてリリーが起き上がった時、ヘンリーが逃げた時と同じ赤い光が二人を包んでいた。リリーは声をからしたまま「逃がすか!!!!」と走るが時すでに遅く、捕まえようと手を伸ばした時には二人の姿がどこかへと消えていた。


「……まタか……またワたしは……」


 ガタガタと歯を鳴らし、震える両手には大粒の涙がボロボロと零れ落ちていた。尾と尻尾は乱れる感情を表現するかのように暴れ狂う。


 そして、天を穿つほどに泣き叫んだ。


 その声には人間味のない化け物が混じっていた。蝋の光が消え窓が次々と割れる。ウール達が耳をふさいで耐える中、取り乱した彼女は頭を無茶苦茶にかきむしっていた。


「リリー!! しっかりしろ!!」


 まだ叫び声が響く中ウールは耳をふさぐのをやめ必死の思いでリリーに駆け寄る。そして彼女の体に触れた瞬間、リリーの加減など一切ない一撃をくらい吹き飛んだ。


 勢いは柱にぶつかるまで止まらなかった。ウールは苦悶の声を漏らしながら柱にもたれかかっている。レオとシャーロットが慌てて駆け寄り無事かどうか訊ねると、ウールは二人を支えに立ち上がりふらふらと歩き出す。


「リリーを……止めなければ……」


「おい待てよ! そんな状態で行ったら死んでしまうぞ!!」


「うる……さい……。あいつはわたしの……大切な――」


 意識が遠のき白目をむいてウールは力なく倒れてしまう。二人が見てられないと近づくが、すぐにウールは意識を取り戻す。そして二人の制止を振り切って痛む体にムチ打つと再び立ち上がり、這いずるように歩き出した。


「魔王……なんでそこまで」


「勇者……お前と同じだ……守るもののために…………。そのためにわたしは命を……かけるだけだ」


 レオとシャーロットはウールを止めなかった。いや、止めることができなかった。呆然としている二人に見守られながらウールはようやくリリーのそばにたどり着いた。そして大きく息を吸い込み――


「リリー……目を覚ませ」


 リリーは呼びかけに気づくと拒むようにうなり、再びウールを飛ばそうと腕を振るった。だがウールは彼女の攻撃を避けると思いきり彼女を抱きしめた。


 リリーは再び苦痛に満ちた叫びをあげ、引きはがそうとウールを掴む。ウールの体のあちこちから悲鳴があがる。それでも彼女は抱きしめるのをやめず目をギュッとつむり何度も呼びかける。


 やがて悲痛の叫びが消え、リリーはだらりと腕を垂らした。


「わたしは……なんてことを……」


 正気を取り戻したリリーは天井を見上げながら涙を流している。体に生えていた尾と翼が光の粒になる。やがてそれは形を崩して宙へと舞い、そして消えた。


 その時、リリーは頬に暖かさを感じた。ウールの手が添えられていた。彼女は顔を下げ涙ぐんだ目でウールを見た。


「いいんだ。無事ならそれで」


「ですが……失敗しました……。それだけでなく我を見失い……魔王様まで傷つけて……」


 リリーは涙を何度もぬぐいながらこらえるように泣く。するとウールは顔を寄せ彼女の額と自らの額を合わせた。


「たしかにそうだ。リリーはひどい失敗をした。だがまだ生きてる、次がある。リリー、後悔しているか?」


「……はい」


「ならば強くなれる。きっと、これまで以上に」


「ですが……できるか分かりません。また失敗してしまうかもしれません……」


「大丈夫だ。私がついてる。それにリリー、お前はもうかつてのように一人なんかじゃない。皆がいる。分からなければ頼るといい」


 ウールは顔を離すと安心させるように微笑み、もう一度リリーを抱きしめた。今度は優しく、慰めるように。リリーの頭を撫でる手は痛みで震えていた。


 リリーはついにこらえきれなくなり泣きじゃくった。


 全てを吐き出すかのように。泣いて、泣いて、そして泣き続けた。






 レオとシャーロットは何も言葉をかけることができず、ただ見守る事しかできなかった。そうしていると彼らのもとに兵士達がやって来た。兵士達はウール達に気づくとすぐに武器を構えた。


 ウールもすぐに魔法を使おうと構えるが、痛みが走りリリーにもたれかかるように倒れてしまう。リリーは身を挺して守ろうとしているが戦いの傷は彼女の方が深刻だ。十人を超える兵士相手にとても戦える状態では無かった。


 それでも戦おうと立ち上がろうとした時――


「この者達に手を出さないで!」


 シャーロットが毅然として兵士達に命じた。兵士達だけでなくウールとリリーも驚き、困惑した様子で彼女を見た。だがレオは分かっているかのように黙っている。


「しかし姫様、こいつらが例の侵入者では――」


「姫である私の命令が聞けないの?」


 兵士達が互いを見ていると彼女は「二人の治療を。早く!」と続けた。ウールはすぐにシャーロットを見るが彼女の目を見て信頼したように頷くと不安そうにしていたリリーを安心させる。


 恐る恐る兵士達が近づくとウールは「私はいい。それよりリリーの治療を優先してくれ」と頼み、ウールはシャーロットに礼を言う。


 シャーロットは心配そうに見ていたがウールは「今すぐお前と話しがしたい」と言って兵士達に運ばれていくリリーを見送った。


「なぜ助けた?」


「仲間を助けるのは当然でしょ?」


「どういう……。まさか――」


「ええ、あなたの考えに乗るわ。でも最後に確認したいことがあるの。あなたが守ろうとしてるもの、その中に私達は含まれてる?」


「協力すればな。だが裏切ったり敵になったりすれば容赦はしない」


「それはこっちも同じ」


 シャーロットは座り込んでいるウールに歩み寄ると手を差し伸べた。可愛らしい手のはずだが、今の彼女の手は姫のものとは思えないほど血と傷で汚れていた。


「そういえば名前を聞いていなかったわね。私はシャーロット」


「シャーロット、良い名だ。私はウール」


「ウール? なんだか弱そうな名前ね」


「……うるさい」


「ごめんなさい。つい口に出てしまって」


 ウールは「否定はしないのか」と一瞬ムスッとなるがすぐに気を取り直して差し伸べられた手と彼女を交互に見た。そして応えるように力強く握りしめ立ち上がった。


 互いに向き合った二人の少女を月明かりが照らしていた。


 一方の少女はいつものように得意げにニヤリと笑い、もう一方の少女も覚悟を決めた眼差しを向けたまま微笑んでいる。相容れないはずの互いの思いが結ばれた時だった。


「レオ、あなたはどうなの?」


「シャーロット様がそうするのなら私もそうします。ただ魔王」


「ウールだ」


「言い直そう。ウール、俺はお前に聞きたいことがある」


「なんだ? 言ってみろ」


 レオはうつむきになり何か迷っているように何度も口を結ぶ。いつもならしびれを切らして急かすウールだったが無言のまま彼の言葉を待つ。シャーロットは苦しそうに悩む彼を意外そうに眺めていた。


 そしてレオは拳をギュッと握ると顔を思いきりあげた。


「ウールはカスマ村みたいな……。あんなひどいことがもう起きないと約束できるか?」

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