第50話
ポルーネの戦いから一ヶ月が経った王都の夜は兵士達で賑わっていた。
大敗したことなどすっかり忘れたように酒を飲み腕を自慢し合い、男女問わず誰もが湧き出る欲に忠実になってむさぼるように体を求め合っていた。それを兵士でない者達もやれ面白そうだとか、書き入れ時だとかで彼らを煽り騒々しい笑い声をあげている。
こうして彼らが騒ぎ立てているのも、あと数日で魔王率いる連合軍との戦いに向かうからだ。戦地へ向かえばしばらく遊べない、だから今のうちにと。
どんな戦いだったか体験していない彼らは命からがら帰還した者達を「臆病者だ」とか「弱いだけ」だと呑気に
そんな馬鹿騒ぎが王都のいたるところで繰り広げられている中、人通りのほとんどない夜道を歩く二つの人影があった。
薄汚れた茶色のローブを羽織り、頭をフードで隠している。顔は夜の闇もあいまってかほとんど見えない。
「随分と騒がしいな」
背の低い人影の言葉にもう一つの影が「まったくです。こんな薄汚いところ魔王様にはふさわしくありません」と不満を漏らす。
「そう言うなリリー。まあ王都が思った以上に臭うのは気に食わないが……」
リリーは「同感です」と急にウールの前で背中を向けたまましゃがんだ。
「何をしている?」
「私の背中にお乗りください魔王様。汚物を踏んでしまうかもしれませんので」
リリーはさあさあと促すが妙に積極的だったのでウールはつい遠慮してしまう。そのせいか彼女がシュン……としてしまうがウールは構わずさっさとついてくるよう言って歩き出す。
だが数歩進んでウールは足に違和感を覚えた。グニャリとして気持ち悪い、うっかり足を滑らせてしまいそうな感覚。続けて顔をしかめるほどの異臭が漂ってきた。
急に立ち止まったウールにリリーは「どうしたのですか?」と訊ねると彼女はギクシャクと振り向き「やっぱり乗せてくれないか?」と引きつった表情を浮かべながら靴の裏を地面に擦りつけていた。
リリーは察したが乗せられる嬉しさとウールに対する気の毒さで微妙な表情を浮かべている。
「リリー。私が王国を統治できるようになったら真っ先にすることがたった今決まったぞ」
しゃがんでいるリリーの背中にウールが乗るとリリーは「それは何です?」と聞く。
「掃除だ。衛生環境を徹底的によくするぞ」
「……骨が折れそうですね」
「頑張る。死ぬ気で頑張る」
♢
それから数十分後。
二人は夜道を歩いていた。ウールが退屈そうに道が合ってるかを訊ねるとリリーは「間違いありません、あと十分もかからないかと」と安心させる。
ウールは安堵した返事をするとリリーの背中に顔をうずめた。するとリリーの目が泳ぎ彼女の歩く速度は高鳴る鼓動に合わせて早くなる。だがすぐに立ち止まったのでウールは疑問に思いどうしたのかと顔をあげる。
「兵士です。こっちに来ています」
「面倒だな……。どうする?」
「私にお任せを」
兵士達数人は顔を赤くしふらふらとおぼつかない足取りだ。二人の正体には気づいてないようだが女であることには気づいている。
物色するように顔を覗かせながら近づく兵士達。するとリリーの素顔に気づいたのか先頭を歩いていた兵士がニンマリとご機嫌な笑みを浮かべた。
「こんな暗い夜道を歩いていては危険ですよ。悪漢がいるかもしれませんので」
兵士は「例えば彼みたいな」と後ろにいた兵士をクイッと親指で指す。言われた兵士は「なにお前だけいい顔しようとしてんだ」と肩で小突く。そんな三文芝居をリリーは興味なさそうに見ていた。
「ところであなたみたいな綺麗なお嬢さんがなぜこんなところに?」
「ついさっきここに着いたばかりでして。今は王都にいる知り合いの家を探しているのです」
「そうですか。しかしこんな人通りがあまりないところを歩くのは危険ですよ?」
グイグイと兵士達が二人に近寄る。リリーが目をそらしながら言葉を濁していると視界の端に顔をうずめているウールが目に入った。
「今日は随分賑やかでしょう? それで妹を怖がらせない為にあえて人混みを避けているのです。妹は怖がりですので」
ウールは思わず「え?」と顔をあげてしまう。その時兵士達と目が合ってしまった。まずい! と思ってしまうがいらない心配だったようで、兵士の一人が「姉に負けず可愛い妹だ」とのんきにまじまじと見つめだす。ウールは慌てて顔を隠すようにリリーに体を寄せる。
「リリー! そんな設定聞いてないぞ!」
「すいません。ですが言ってしまったものは仕方ないので合わせてください」
兵士に聞こえないくらいの小声で作戦を伝え合うと、ちょうど彼らの一人が「ところで妹なんか連れて何しに王都へ?」と顔を覗かせてきた。
ウールは鬱陶しいなと思うと急に怯えたようにリリーの肩から顔を覗かせて兵士達を見た。そして「お姉ちゃん、早く行こうよ……」と普段なら絶対ならないような舌足らずな口調で訴える。
兵士達は戸惑い申し訳なさそうに少し離れた。だがリリーにも効果があったのか微妙に彼女の息も荒くなっていて、ウールは必死に抑えるよう言い事なきを得る。
落ち着きを取り戻しホッとしていたウールだったがリリーの口から「魔王討伐に加わるために王都に来ました」と飛び出しウールは内心仰天してしまい顔をリリーの背中にうずめる。
「ですが妹は戦うことができません。それに頼れる両親もすでに亡くなっていて……。なので知り合いの場所にまず預けようと」
リリーが暗い表情をするとそれに合わせてウールも悲しげな顔をする。そしてリリーが「では先を急ぐので」と言い立ち去ろうとするが兵士の一人が道を塞ぐ。
すると丁寧な口調の兵士が「夜道は危険です」と後ろから二人に近づく。
「こいつの言うとおりあんたらみたいな綺麗な姉妹に王都の夜道は危険だぜ。そうだ、ここであったのも何かの縁だ。俺達がその知り合いの場所まで護衛してやるよ」
リリーが断ろうとするも兵士達は強引に近づいてくる。ウールは顔をうずめたまま強くリリーのローブを握りしめた。
そして兵士の手がウールに触れた瞬間、リリーの目つきが変わった。
「魔王さ――」
ウールは慌てて「ん゛ん゛!!」とこれまでの可愛らしさからは想像もつかない大きな咳をしてリリーを引っ張る。リリーはミスに気づき咳払いをして気を取り直す。その様子を兵士達は「はあ?」と呆けた様子で眺めていた。
「妹に触るな」
落ち着いた口調から一転、低く殺意に満ちた声が響き兵士達は思わず飛びのいてしまう。一方ウールはリリーの切り替えの速さに感心していた。
「な、何もしませんよ!」
兵士が同調するように他の兵士を見て彼らもそうだそうだと頷く。だがリリーは彼らを睨みつけたまま歩き、道を塞いでいた兵士に近づくと腰に下げていた剣をちらつかせる。
「貴様らに関わる気はない。分かったらさっさと道をあけろ」
だが兵士は恐怖のあまり動きが鈍くなっていて中々動けない。するとリリーはさらに一歩踏み込み胸が当たるほど近づいた。
「聞こえなかったのかうすのろ。二度は無いぞ」
ビクビクしながら兵士が道をあけるとリリーは不機嫌そうに彼らの前を去っていった。ウールは後ろをちらりと見て気の毒だなと思うと顔を前に向ける。
「妹……いいですね」
「私は最悪だったぞ。今後絶対しないからな。二度としないからな!」
リリーは「そうですか」と残念そうにトボトボ歩く。ウールは疲れからかもたれかかるようにうなだれた。
「…………たまになら――」
「嫌だッ!!!! 諦め悪いな!!!!」
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