第49話

 灯りと呼べるものは部屋の壁にかけられた皿の上にある短い蝋燭ろうそくだけだった。


 広さは最低限ほどで進んで住もうという気を起こさせない、城に住む者なら普段は利用しないじめじめとした場所だ。使うとすればせいぜいやましいことをする時くらいだろう。


 その部屋にヘンリーの姿はあった。彼は難しい顔をしたまま向かいに立つ黒色のローブを着た男を見ている。


 男は灰色と黒色の混じった髪をしていて、背中は少し曲がっていたが体格は申し分ない


「結果は言わなくてもいい。それとも言いたいか? 二週間もあれば私の耳に届くのだがね」


 口調は穏やかで落ち着いたものだ。だがヘンリーは目をそらしながら深々と謝る。男は「謝罪を聞きたいわけでもない」と言い顔をあげるよう促す。


「どのような戦いが展開されたのかを聞きたい。それと、私が与えた指輪の使い心地だ。見たところ綺麗に使いきったみたいではないか」


「申し訳ございません……」


「なぜ謝る? むしろ使ってくれて感謝さえしている。使わなければいよいよお前は無能だと触れ回っていたところだ」


 だろう? と言いたげに男は首をかしげる。ヘンリーは後ろで手を組むと爪が食い込むほど握りしめている。そして彼はひと呼吸入れると戦いの経過を話し始めた。


 話を聞いている間、男は終始興味深そうに頷いていた。だがリリーが魔物を瞬殺したことを聞いた時、忌々しそうな表情を浮かべた。


「なるほど、それで撤退したと」


「はい、手も足も出ませんでした」


「貴様では無くがだ」


 男はヘンリーに背を向けブツブツと独り言を言いながら部屋を歩き回る。するとローブの裾を足で踏んでしまい彼は苛立たしげに腕をあげる。その手から炎が弾けると疲れたようにうなだれ再び思案にふける。


 そんな彼をヘンリーはどうすればいいか分からず目で追っている。彼が魔法を意図せず発動しそうになるたび縮み上がっていた。


「スペンサー殿、まだ魔力が安定しないのですか?」


 恐る恐るヘンリーが訊ねるとスペンサーは震える両手に炎を出して「ああそうだ」と疲れた様子で言い炎を消した。


「魔王の魔力がこうも扱いきれんものとはな。おかげで今は生活するので精一杯だ」


「ですが随分マシになったのでは? 魔力を得たばかりの頃など突然爆破魔法が発動し、かと思えばスペンサー殿がどこかへ飛んで行ったり」


 ヘンリーは彼の滑稽な姿を思い出したのか吹き出してしまう。よほどだったのかなかなか彼の笑いは収まらない。スペンサーが額をかきながら大きな咳をすることでようやく落ち着きを取り戻した。


「話が逸れた。とにかく魔王がここに攻めてくるのも時間の問題。だが魔王の魔力をまだ使いこなせそうにない。この場であるから正直言おう、我々が次の戦いで必ず勝つとはいいきれん」


「そんな弱気な事を――」


「聞いてなかったのか? では、だ」


 ヘンリーは訝しげにすると「王都を捨てるのですか?」と訊ね、スペンサーは淡々と「やむをえまい」と返す。


「だがタダで明け渡しては今後の我々の立場が危うい。次の戦いはできる限り全力であたる。国や人々を守るために全力で戦ったという事実があれば次につなげられる。それにだ、王都には我々と繋がりがある者も大勢いる。取られたとして魔王が統治に手こずるのは必然。その間に準備を進めればよい」


「しかし姫がいます。彼女は口では言ってませんが我々に反抗している――」


「あんな世間知らずの小娘の話など誰が聞くか。魔王をおびきだす餌程度の価値しかなかった勇者のガキをわざわざ自らの護衛にするような奴だぞ」


 そう言うとスペンサーは部屋から出ようとする。だがヘンリーに止められ「なんだ?」と振り返ると不安な面持ちのヘンリーが「次の戦い、私はどうなるのですか?」と訊ねた。


「安心しろ、貴様は確実に生き延びるよう手配しておく。貴様の家を失うわけにはいかんからな」


 ヘンリーは胸を撫でおろすと部屋を出ていくスペンサーを見送った。





「意外ね、魔王との戦いに敗れたというのに平然としているなんて」


 ヘンリーとの密会を終え廊下を歩いていたスペンサーは後ろから声をかけられ鬱陶しそうに振り返る。もちろん表情にはそういった感情を一切見せず平静を装って。


 振り向いた先には金糸のような長い髪と目をした少女がいた。煌びやかで意匠の施された青と白を基調にしたドレスを着ており少女らしい可愛さがある。


 だがたたずまいは立派なもので彼を見つめる彼女の姿はまるで騎士のようだ。


 そして彼女の隣には同い年くらいの見た目をした少年である勇者がいた。彼もまた彼女と同じように敵を前にしたような目つきをしている。


「敗れたからこそ平静を保たねばなりません。取り乱せばそこから崩れますます敵に隙を与える。それくらい分かっているのでは?」


 嫌味ったらしくスペンサーが言うと姫よりも先に勇者が反応し一歩踏み出そうとする。だが姫は手で彼の行く手をふさぐと「もっともね」と素っ気なく返した。


「では姫様、わたくしはこれで失礼します。国のために働くのはあなたが思ってる以上に忙しいので」


 スペンサーはわざとらしく一礼をしそそくさと二人の前から去って行く。その姿を勇者が忌々しく目で追っていると「レオ、落ち着いて」と彼女は声をかけた。


「ですが姫様! 馬鹿にされて黙っていろなんて! いつもあんな風に嫌味を言われて悔しくないのですか?! 奴が王の代わりに王国を動かしているといえど、王の娘である姫を――」


「そう、私は王の娘。それだけよ。今この国で力を持ってるのは私ではなく彼」


「しかし――」


「レオ、これは事実よ」


 勇者――レオは不甲斐なさそうに拳をギュッと握りしめていた。すると彼女は彼の手を両手で包み込むように握りしめ、意志のこもった目で彼を上目遣いで見つめる。


「でもね、あなたのそういう真っ直ぐなところは気に入ってるの。ああでも、何でもかんでも突っ走るのはダメ。あなたが勇者になると名乗りをあげてここに来た時なんて、こんな人が本当にいるんだってびっくりしたのだから」


 レオは「……その話はやめてください」と顔をほんのりと赤くし恥ずかしがってしまう。彼女はその姿にクスクスと無邪気な微笑みを浮かべていた。


「それとレオ。私を『姫様』なんて堅苦しい言い方を正式な場以外で呼ぶのは止めて。私にはシャーロットって名前があるの」


「しかし身分をわきまえずにそんな――」


「身分とかそういう話じゃないの。『姫』なんていう人形じゃなくて一人の人間としてみてほしいの」


 レオは戸惑いつつ返事を返し納得してみせる。すると彼は「でもなぜです?」と訊ねた。


 シャーロットは「窮屈だから。それとあなたを気に入っているから」と少し得意げに返す。それを聞いて彼は嬉しそうに笑みをこぼした。


「私もひめさ、ああいえ。シャーロット様の事が好きです」


 嬉しそうにレオが答える。するとシャーロットはしばらく天井を見上げ、彼もつられて上を見上げた。瞬間、シャーロットがポンと彼の体を軽く突く。


 レオは何事かとシャーロットを見るとシャーロットはジト目のまま「そういうところは嫌い」と少しつんとしてしまう。彼はなぜそう言ったのか分からずあたふたしていた。


 シャーロットはそんな彼を放っておいて「熱くなってきたわ」と手で顔を扇ぎながら歩き出す。だがレオが「今日は涼しいと思うのですが」と不思議そうに訊ねるとピタッと歩くのを止めて振り向いた。


「……そういうところもよ」


 そう言い残して背を向けると彼女は再び歩き出す。彼女の歩幅は少し大きくなっていた。

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