第46話


 メアリスはあっけなく倒れた。


 表情はいつものように読めないものでまるで痛みなど無いようだった。だが腹からドクドクと流れる血が地面へと広がっていく。


 人形のように血だまりに浮くメアリス。それを見た誰もが状況を理解できずにいた。


「や……やった……」


 血塗られた両手を震わせテレサは膝から崩れ落ちて泣いた。アイザックは朦朧もうろうとする意識の中で血のあとを引きながら彼女に近づく。


 まもなく彼の命は尽きるだろう。だが恐怖に打ち勝ち仲間の復讐も果たした。涙で濡れている彼女の膝に手を乗せると一滴の涙が彼の頬を伝う。


 その勇気ある二人の行動に兵士達はどよめき、何か淡い期待のようなものを抱き始めていた。


 誰かが武器を手に取った。すると他の者も武器を取る。次第に広がるウール達にとって都合の悪い勇気に傭兵達とゴブリン達は焦りを見せ始めてしまう。


「魔王様、これはまずいです――」


「まあ待てベルム、慌てたら負けだ」


 ウールは焦るベルム達をよそに周囲を見渡していた。そして亡霊達に特に異変がない事に気づくと呆れてため息をつきメアリスを見た。


 その時、兵士達の中から「諦めるな!!」と誰かが叫んだ。その声は彼らの心に届き、次第に大きくなる。


「そうだ!! まだ戦える!!」

「あの二人に続け!!」

「魔族といっても所詮――」


「メアリス! いつまで寝てる? さっさと起きろ!」


 ウールは誰よりも大きく、通る声で呼びかけた。誰の耳にも届いたがメアリスは反応しない。ベルム達は一体どうしたのかと頭をかしげ、兵士達の中にはどうせハッタリだろうとニヤニヤする者もいた。


「おいこら!! どういうつもりだ!! 遊びじゃないのだぞ!!」


 それでも反応しないメアリスにウールは口角をヒクヒクさせながら苛立ち、馬から降りてずんずんと近づいていく。そして呆けたままのテレサを無視してメアリスの体に突き刺さったままの剣を勢いよく引っこ抜いた。


「うわぁ……魔王様大胆」


 ベルムがボソッと言うとウールはうつ伏せになってるメアリスを仰向けにし何度も体を揺らす。


「何してるの?! そんなことしても無駄――」


 テレサの予測はすぐに裏切られた。メアリスは無理やり起こされた子供のように眠たそうな声を漏らすと目を擦り、じーっとウールを見つめた。そんな呑気なメアリスにウールは首をガクッと曲げてうなだれてしまう。


「驚かなかったの? 残念」


「驚かすためにやったのなら怒るぞ?」


「半分はそう、でも半分は違う。じゃあ半分怒る?」


「やめろ、それ以上混乱させるな。いいから立て」


 メアリスはコクリと頷くと何事もなかったかのように立ち上がった。とはいっても傷を受けたことに変わりはなく、腹には体の向こうが少し見えそうな穴が空いている。それを目の前で見たテレサは「ああ……ああ……」と顔を振りながらやがて悲鳴をあげた。


「うるさい」


 メアリスはテレサの腕を一瞬にして掴むと彼女の手を自らの胸に押し当てた。発達途中な膨らみが持つ柔らかな感触が手を通して伝わる。だがその感覚はメアリスがテレサの耳元に顔を近づけることで感じられなくなってしまう。


「私に傷をつけたのは褒めてあげる。でも狙うならここ――」


 テレサの視界が二つに割れた。痛みさえ感じず、が空を仰ぐと赤色に染まった。






「配下にしなくてよかったのか?」


「すればよかった」


「……ではなぜ殺した?」


「うるさかったから」


「そ、そうか……。まあメアリス、これを期に感情を制御することを心がけるがいい」


「お説教?」



 メアリスは真っ二つになった死体を物惜し気に眺めている。一方ウールは与えられた二つの選択肢を素直に実行している兵士達を監視しながらメアリスの腹に布を巻きつけていた。手がメアリスの血で汚れていくが特に気にしていない。


 ふと傷の深さを心配してか、ウールはしかめっ面のまま具合を訊ねる。返ってきた返事は「平気」とどこか呑気なものだった。


「それにわざとだったから」


「私を困らせる為にか? だったら二度とするな」


「ごめんなさい。でもそれだけじゃない。配下を増やそうとしてやったの。でもウールが起こしたから増やせなかった」


「それってどういう。……まさか兵士達が反抗するのを狙って」


 メアリスはうんと頷くと、立ち去ろうとした兵士達を物色するように見つめ「そうすれば沢山殺せた」と言った。近くをたまたま通った彼らは縮み上がりこけてしまいそうな足取りで去っていく。


 そんな彼らを気の毒そうに眺めてながらウールが巻き終えると突然、通りの方から血相を変えて馬に乗った傭兵がウールのもとへと駆けてきた。


「どうした? 何かあったのか?」


「き、緊急事態です! ま、魔物が街の入り口近くにどこからともなく現れました!!」


『魔物』と聞いた瞬間、ベルムとリリーが大慌てで傭兵に詰め寄った。傭兵は萎縮してしまうがウールに落ち着くよう言われ息を整える。


 ウールは難しい顔をしたまま考え込んでしまう。するとベルムが代わりに状況を訊ねた。


「はい、今は傭兵とゴブリン数十人、それからエイリーンさんで抑えています。ですがどれほど持つか……」


「その魔物は野生か? それとも使役されているか?」


 傭兵は意味が分からず目をキョロキョロとさせて答えに困ってしまう。ベルムはそれに気づくと「近くに人間はいましたか?」と落ち着いた口調で言い直す。すると傭兵は何度も頷き「誰がとまでは分かりませんがいたのは確かです」と言った。


「それが分かれば十分だ。とにかくご苦労だった、助かったぞ。さて……、ベルム! お前は他の奴らと一緒に捕虜を見張れ! リリーとメアリスは私と一緒に来い!」


 ベルム達が頷くとウールは近くにいたゴブリン達数十体を呼び、彼らに状況を説明するとすぐに馬に乗る。だが直後、馬に乗ろうとしたメアリスが突然ガクリと体勢を崩して座り込んだ。ウールはそれに気づくと慌てて馬から降りて駆け寄った。


「メアリス! 今はふざけてる場合では――」


「眠い」


「……は?」


「血の出しすぎかも。眠い」


「はぁ~まったく……。次からはふざけた真似を絶対にするではないぞ? いいな?」


 メアリスはウトウトしたまま「うん……」と弱弱しい声で言いウールに体を預けた。今にも眠ってしまいそうな彼女を抱きかかえたウールをはじめ、周囲の者達はみなすっかり困り果ててしまう。するとウールは報告に戻ってきたばかりの傭兵を呼びつけた。


「すまないがメアリスの面倒を見てやってくれないか?」


 半ば押し付けるようにウールは丸くなっているメアリスを傭兵に渡す。傭兵は「え?! 俺がですか?!」と血の気の引いた顔をしている。


「あ~……。心配するな、いくらメアリスでもさすがに味方まで取って食うようなことはしない! ……多分」


 そう言うとウールはそそくさと馬に乗ろうとする。傭兵がまだ何か言おうとしているとリリーが振り向く。


「安心しろ、もし亡霊になっても戻してやる。いつになるかは知らないが」


 何も解決していないどころか余計に不満を与えただけにも関わらず、リリーもすぐに馬に乗るとウール達と共に街の入り口へ駆けて行った。


「まあ大丈夫ですって。あ、ところでお酒持ってます?」


 傭兵は申し訳なさそうに首を横に振る。ベルムはすぐに了解しここで待つよう指示すると酒と布を取りに走って行った。


 すっかり取り残されてボーッとしていると、腕の中で丸くなっているメアリスがもぞっと動き彼は驚いて下を向く。目と目が合う。彼は時間を忘れたかのようにじっと見つめてしまう。


 するとメアリスは瞼を重そうにパチパチとさせながら「……ありがとう」と言って彼の服を握ると、顔を彼の体に寄せて目を閉じる。


 メアリスの頬の感触、体温、そして息遣いを一身に感じてしまい、彼は口を結んだまま目を泳がせている。そんな彼の気苦労をよそにメアリスは小さな寝息を立てていた。

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