第47話

 大通りをウールは馬を走らせ駆け抜ける。勢いは他の追従を許さないほどで後ろを走るリリーと猪に乗ったゴブリン達はなんとか食いつくように追いかける。


 それでもウールは不満と怒りのまま手綱を強く握りしめ、構わず前を向いていた。


「魔王様、確認したいことがあります」


 リリーの呼びかけにウールは反応し速度を落として横につく。しかしリリーは目を伏せたままためらっている。もう一度ウールが念を押すように訊ねると険しい表情をし口を開いた。


「……場合によっては殺す事になります。よろしいですか?」


「構わん。……覚悟はしていた」


 そう言うとウールは馬を加速させる。その目は真っ直ぐで迷いのない、憎しみに満ちたものだった。





 街の入口に轟音が響く。


 道の石が砕け土煙があがり周囲を包む。その中から二つのおぞましいうなり声が聞こえると、煙の中から二つの影がその正体を表した。


 一方はワイバーン、そしてもう一方は四足歩行で深海に住む生物のようにぬめりとした薄桃色の皮膚をした魔物だった。


 体格はワイバーンよりも一回り小さく、ギョロリとむき出しになった目は焦点があっていない。尾はまるで幼体のように発達途中なもので体格のわりに短くみえる。


 風貌からはワイバーンよりも格下のように思われる。実際、魔物の皮膚にはワイバーンの鉤爪の痕がいくつもあり、動きものっそりとしていて攻撃を一方的に受けていた。


 にも関わらず背中に乗っているエイリーンは苦い顔をしている。気合いを入れ直し攻撃の指示を出す。ワイバーンは咆え、空に舞い上がると両足で魔物を掴もうとした。


 だが引っ掻くだけですぐに逃げるように飛び上がる。爪先が皮膚をえぐる直前、魔物が異様に発達した後ろ足で立ち上がろうとしたからだ。


 魔物は筋肉と血管が盛り上がった前足で骨ごと砕くような勢いで掴もうとした。当然ワイバーンは既に飛び去っているので捕らえるのに失敗する。魔物はよだれを垂らしながら再び四足で立って空を見上げた。


「何なんだこいつは……。攻撃が通用しているのか分からないしこれでは消耗するだけだ」


 ワイバーンと魔物は互いに見合ったまま動かない。その様子を魔物の遠く後ろにいた兵士達が眺めている。


 その中にはイライラした様子をみせる白金の鎧を着た男――ヘンリーがいた。


「撤退しなくてよろしいのですか?」


「何の成果も無しに撤退しろと? ならん! せめて魔王を連れ去らなければ!」


「しかしもはや勝ち目は――」


「だからこそ! だからこそ魔王を手に入れなければならんのだ!! 敗北を喫したという事実だけを持ち帰るなど許されん!!」


 ヘンリーは震える右手で隣にいた兵士を指しながら怒りに燃えていた。その手には三つのリングがはめられていた。


 二つは宝石が付けられ、一つは宝石を取り付ける部分に何もつけられていない。


「それにしてもあのドラゴン、随分と粘るな……。あの乗っている女が優秀なのか? いや、魔物がうすのろなだけか。まったく、さっさと始末すればいいものを」


 ヘンリーは忌々しそうにグチグチと文句を垂れ続ける。しかし苛立ちは募るばかりで歯ぎしりをしていると、ついに限界に来たのか「早くそいつを殺せ!」と叫ぶ。


 だが思いは届かず状況は拮抗したままだ。余計に腹が立ち彼が腕を振り下ろして背を向けた瞬間、轟音と共に地響きが兵士達に伝わってきた。


「な?! なんだ一体?!」


 振り向くと、魔物が地面に足をめり込ませたまま空に向かって地を這うような低い唸り声をあげていた。体は震え、背中から破れるような音が聞こえている。


 ヘンリー達も、そしてエイリーンも吐き気を催すようなものを見るように目をしかめていた。


 魔物の目から瞳孔が消え真っ赤に染まる。背中からは胎児のようにヌメりとした赤い翼がゆっくりと姿を見せていた。


「形態が変わった?! まずい!――」


 エイリーンはすぐにワイバーンを上昇させる。だが昇り始めた瞬間、それを上回る速さで魔物が飛び上がってきた。


 ガクリと上から押さえつけられたような感覚がエイリーンを襲う。足を掴まれたワイバーンは抵抗する間も無く引きずりおろされていく。


 そして地上に叩きつけられると腹部に魔物の前足による重い一撃が入れられた。


 ワイバーンはよろめきながら後ろへ下がると血を吐いて地面に倒れてしまった。絶望を浮かべたまま何度もエイリーンは呼びかける。だが返ってくるのは虫の息になった呼吸音だけだ。


 ズシン……。


 重い足音がエイリーンの体を駆け巡り前を見た。迫りくる魔物。成す術を失いエイリーンはすがるようにワイバーンに身を寄せ剣を抜いた。


 その時、視界の端を黒い影が一つ過ぎ去った。直後、魔物の低い悲鳴が辺りに響き渡った。


「え……?」


 後ろ足に鉤爪によるものとは違う傷跡が一つできていた。その傷跡は深く、周りは霜のような白いものがついていた。


 のそりのそりと血を垂らしながら魔物は後退する。その目の中に、青白い刃をしたハルバードを手にリリーが映っていた。


「無事か?」


 振り向いたリリーに訊ねられるがエイリーンは呆然としたまま何も答えない。だがハッと我に返ると「な、なんとか」と答える。


「ならいい。他の者はどうした?」


「避難させた。あんな魔物普通の人間がどうにかできる相手じゃないと判断したから」


「なるほど、それは良い判断だ」


 リリーとは別の声が聞こえ振り向くといつの間にかウールがゴブリン達を率いてそこにいた。


 エイリーンは安堵するが「だが時間稼ぎが目的なのにまともに戦おうとしたのはいただけない」と指摘され居心地悪そうに頭をかいてしまう。


「まあいい。リリー、さっさと終わらせろ」


「承知しました」


 リリーがハルバードを構えると魔物は我を忘れたように突撃して来る。右足が振り上げられ、風ごと捻りつぶすように叩き下ろされた。


 地面が揺れ土煙があがる。瓦礫が吹き飛ぶと道にできた巨大なへこみができた。


 そこにリリーの姿は無かった。


「――すまない」


 リリーは一瞬にして魔物の腹の下に潜り込んでいた。そして足を一歩踏み込み、弧を描くようにハルバードを振り下ろす。


 体格は魔物の方が何十倍も大きい。だが彼女の放つ一撃は魔物のもの以上に強烈だった。


 踏ん張るほどの風が凍えるような冷たさを乗せてウール達を襲う。


 数十秒ほど続きようやく風が落ち着くとウール達は目を開く。すると視界に巨大な一本の氷柱に貫かれ息絶えている魔物の姿が映り込んだ。


「リリーってこんなに強かったのか……」


「当然だ。私が最も信頼を寄せる配下の一人だからな」


 リリーの耳がピクリと動く。リリーは回れ右をするとウールの方へスタスタと早足で近づいてきた。


 返り血を浴びていたせいかギラギラとした目で近づくその姿にウール達はゾッと身震いするが、リリーはそれを全く気にせずウールの両手を強く握りしめた。


「今の言葉もう一度お願いします」


「なんでそうなる?!」


「気持ちが高ぶってきましたので――」


「言ったら余計に高ぶるだろうが!!」


「確かにそれは一理あります……。さすが魔王様、では後ほどた・く・さ・ん・お願いします。できればこう、囁くように――」


「変な注文を加えるな!! ったく、調子が狂うな……」


 ウールは気まずそうに辺りを見渡すと怯えた様子でこちらを見ている兵士達が目に入る。ウールの目つきがガラリと変わり、脅すような恐ろしいものとなる。


 だがその目には兵士達の姿はない。あるのはなぜか余裕をみせているヘンリーの姿だった。


「貴様が魔王か? なるほど、噂通り実に可憐で美しい」


「お褒めの言葉をどうも、着飾った下衆野郎」

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