第45話

 アイザックの手から魔力水晶がウールめがけて放たれ、馬が灼熱の炎に包まれるとウールは炎の中で悶え苦しむ。そこにすかさずテレサの一撃が加わりとどめとなる――


 はずだった。


「……させない」


 まるで言葉に魔法がかかっていたかのように水晶を握った手が動かない。だがそれが魔法ではなくメアリスが骨をきしませるほど強く握っていることに彼が気づくのに少しの時間を要した。


「死なせない……。ウールを死なせはしない」


 メアリスはうわごとのように何度も言葉を繰り返していた。


「守ると誓ったから――」


 骨のきしむ音は悲鳴へと変わり、彼の手首があらぬ方向へと折れ曲がった。電撃のように痛みが体を駆けるとアイザックは耳をつんざくような悲鳴をあげ鼻息を荒げながら必死に堪えようとする。


「ん? 何をしているメアリス。そいつが何かしようとしたのか?」


「ウールを殺そうとした――」


 瞬間、アイザックの手が宙を舞っていた。呆然としたまま彼は空に飛ぶ自分の手を見上げると、焼けるような熱さと痛みが遅れてやってきた。


 表情を歪ませたまま悲鳴をあげ、血が噴き出す手首を体を曲げながら抑える。痛みでどうにかなりそうだったがそれでも彼はメアリスの姿を見た。


 メアリスの片方の手には血の付いた剣を握っている。そしてもう片方には彼の手が握られていた。


 兵士達も、そして傭兵達でさえその一瞬の出来事に動揺し息をのんだ。するとウールは少し驚いたまま「証拠はあるのか」と訊ねる。メアリスは頷き彼の切り取った手の指を無理やりこじ開けると、中に入っていた水晶を取り出してウールの目の前に投げ捨てた。


 パリンと割れる音がした。直後、何もないウールの目の前に炎が勢いよく燃え上がる。ウールは興味深そうに眺めていたが、数秒ほどで消えると「この程度か」と一蹴した。


「舐められたものだな。この程度の魔法、私どころか魔族を誰一人として殺せはしないだろうに」


 ウールは不機嫌そうに吐き捨てるとアイザックを取り押さえるよう指示を出す。アイザックはすぐにメアリスによって抑えられ、ウールの目の前へと連れて行かれた。


「ウール。こいつを?」


「まあ待て、何かに使えるかもしれん。それよりも今はこいつらに話をしたい」


 メアリスは頷きアイザックを地面に押さえつける。テレサは手で口を抑えたまま過呼吸になるがウールは気づかず兵士達に語り掛ける。


「さて、馬鹿のせいで中断してしまって不愉快だが話を続けるとしよう。まずお前達に言いたいことがある。我々は決してお前達を根絶やしにしたいというわけではない。むしろ共に手を取り合いたいと考えている」


 兵士達にどよめきが起きる。アイザックは「嘘だ!!」と叫ぶがメアリスに顔を思いきり蹴られ鼻と口から血を出してしまう。


「ポルーネの人々と違いお前達と何の関わりも無いから信じられないのも無理はない。だがそれでも聞いてほしい。いや、まず聞きたい。お前達はなぜ我々魔族を敵とみなす?」


 兵士達は不安な面持ちをしたまま互いを見る。だがどよめきこそあるが誰も答えようとしない。


「かつて勇者にも同じような質問をしたことがある。その時奴は魔族は悪い奴だと答えた。まあその根拠が本に書いてあったからという実にくだらないものだったが……。だが実際、奴のように過去に敵対していたからという歴史的な理由で敵視している者は多いのではないか?」


「で、でも!! 魔族は人を殺している! 村にいた知り合いは山に採取しに行ったら殺されたんだ!!」


 どこかからそう答える声が聞こえウールが探すと、兵士達の集団の真ん中あたりに涙を浮かべながらウールを指さしたまま睨む男がいた。彼は周りの兵士達の制止を振り切りずんずんと前へと進んで行く。すると彼に続けて何人かの兵士が同じように訴えてきた。


 だがウールは一切の動揺を見せない。どころか真っ直ぐ彼らを見つめたままだ。


「それは悲しい事だったな。だがそれが果たして魔族だけに当てはまるものなのか? 私は違うと思う。人間同士で殺し合うこともある。それに人間だけじゃない、動物によって殺されることもある」


「そ、そりゃそうだけど――」


「それとお前。人間だけが殺される、だから俺達は被害者だ! などと思っているだろう。だとしたら私は異を唱えたい。魔族もまたお前達と同じく生きている。ならば当然同じように殺されているのだよ。人間によって、動物によって。あるいは、魔族によって……」


 言葉の最後に違和感を感じ兵士達を見張っていたベルムはふとウールを見た。ウールの手がギュッと強く握りしめられている。何か言葉をかけてやりたい衝動にかられるが首を横に振ると再び前を見た。


 沈黙が続く。ウールは固く口を結び顔を伏せている。兵士達は次の言葉を待った。


「……これ以上長く言っても仕方ないな」


 ウールは勢いよく顔をあげた。その目は世界征服を決意した時と同じものだった。


「……私は、今の現状が実に嫌いで馬鹿馬鹿しいとさえ感じている。種族が違うから、過去殺し合っていたから。自分ではどうしようもないことで恨み合い、そして殺し合う。そんな理由で争うなど実にくだらないとは思わないか? 私はそう思うぞ。こんなことで私を慕う者達が悲惨な眼にあわされ、殺されるなど何であろうと許せない!!」


 ウールはより強く手を握りしめた。手には炎がひとりでに燃えている。兵士達は突然魔法が発動されて驚きの声をあげながら数歩下がってしまう。


「くだらない理由で悲惨な目にあっているのは我々だけではないだろう! この街の人々、そしてお前達と戦った傭兵達もまた同じだ! だから我々はこの愚かな流れに終止符を打つために手を組み、王国を打倒するためにお前達と敵対したのだ! 聞こう!! この戦いにお前達の意志はあったか!? 我々はあったぞ!! この世界を変えようという意志が!!」


 誰もが伏し目がちになってしまう。抑えられているアイザックも、そしてテレサでさえも。


 誰も答えられなかった。するとウールは目をつむって空を仰ぐと一息入れた。


「……選択肢を二つ与えよう。一つは我々に加わり共に戦う。そしてもう一つは、二度と我々の前に立ちはだからないと誓いこの場を去るかだ」


 兵士達はどういうことかとどよめき、混乱した表情を浮かべる。するとベンやリチャードが怒りと不安で混乱したままウールの前へ飛び出してきた。


「おい待て!! 捕虜を逃がすっていうのか?! いくらウールでもそれは賛成できねえ!! 一体どういうつもりだ?!」


「ベンの言うとおりだ! 逃がしたらまた俺達の敵になるに決まってる!! 今回はうまくいって勝てたが次は分からないんだ! それなのにこんなリスクを増やすような真似を――」


「そうか? 私はむしろ望まぬ者を無理やり引き入れることこそがリスクのある事だと思うのだがな」


「……裏切りの可能性を減らすって言いたいのか? だけど逃げなかったからといって必ず協力的になってくれるとは――」


「味方を信じられなくてどうやって勝つ? 敵は強大だ、疑心暗鬼のまま挑むなどそれこそ自殺行為だ」


「…………どうしてもそこは譲れないのか?」


 リチャードは強い眼差しを向けたまま石像のようにまるでその場を動こうとしない。だがそれはウールも同じだった。


 切迫した空気が流れ沈黙と時間ばかりが過ぎていく。だがリチャードはついに根をあげ腕をだらりと振った。


「分かった。ウールの意思を尊重しよう」


「すまないな。だが私は本気なのでな」


「それは驚いた。だったら尚更信じられるな」


 リチャードは弱弱しく微笑むと背中を向け去っていく。一方ベンは納得しない様子でウールを横目で見るがすぐに彼の後を追いかけて何か話し込んでいた。


「さて、中断して悪かった。では選ぶがいい。我々に加わる者は膝をつけ。そうでないものはここからすぐに立ち去るがいい。ただし――」


 ウールはアイザックを見た。彼はその目に見覚えがあった。リリーと対峙した時に見た蔑むような目だ。戦慄が走る。拒絶しようと口を開――


「それ以外の選択、例えばこいつのように私を殺そうとすればこうなる。メアリス、殺れ」


 アイザックは必死に嘆願するがもうウールの耳に届いていなかった。そして彼の耳に入ったのはメアリスの「わかった」という淡々とした声と、血の噴き出す音だった。


「ガッ……アッ……」


 苦悶の声を漏らす。彼の腹にはメアリスの剣が刺され、へそさえ貫通している。次第にアイザックの体が灰色へと変わっていく。だがメアリスは構わずさらに深く、深く刺していく。


 だが次の瞬間、どこからか頭めがけてナイフが飛んできた。メアリスは軽々と避けるが、既にテレサが剣を両手で握り距離を詰めていた。


「殺させない!!!! アイザックを殺させはしない!!!!」


 メアリスはわずかに眉をひそめるとアイザックに刺していた剣を抜こうとした。


 が、ビクともしない。不思議に思い剣を見ると、アイザックが灰色になった両手で決して離すまいと刀身を握りしめていた。彼の手のひらは切れ赤黒い血がドクドクと流れている。だが表情はしてやったりといわんばかりだった。


「…………」


 メアリスは抜くのを諦めすぐにもう一方の剣でテレサを斬ろうとした。だが振りぬいた刹那、テレサは姿勢を低くして避ける。


 表情はアイザックと同じだった。


 そして彼女の一撃は、メアリスの腹を貫いた。

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