第41話

「どうなってやがる……」


 大通りから外れた脇道で、アイザックは剣を抜いたまま周囲を見渡していた。夕陽は次第に落ちていき、辺りは薄暗く、どころか人っ子一人も見当たらない。まるで化かされたかのように静かな街には、指令を飛ばす兵士達の声と、あちこちを物色する音だけしか聞こえなかった。


「どうアイザック? なにか見つかった?」


「水と食料、あと金になりそうなものが少し。それはいいんだ、だけどテレサ。さっきから嫌な予感がしてしょうがないんだ。分かるだろ?」


「ええ……。私達以外に人がいないみたい。これほどの街でそんなことができるというの?」


「あるいは、皆昨日見たあれになった――」


「悪い冗談はやめて!!」


 テレサの声はひどく震え、金切り声になっていた。もう聞きたくない、そう思うかのように耳をふさぎ顔を横に何度も振る。アイザックは「悪かった」と言うと震えている彼女に水を渡し肩を貸した。そうして二人は一度皆と合流しようと、大通りへと向かった。


 通りに出ると大勢の兵士達が周囲を警戒したまま待機していた。ヘンリーも難しい顔をしたまま地図とにらみ合い、どこどこを調べてこいなどとせわしなく指示を出している。


 アイザックとテレサはそんな彼らの姿を見て心から安心した。もし二人だけの状態で昨日の少女と出会えばどうなるか明白だからだ。


 二人は近くにいた兵士達に近づくと状況を報告し合った。が、結果はどれも同じで敵兵どころか人の姿さえ見つけられなかったという。ある兵士は「女が見つからねえのは辛いが、無事に食料と金目の物を手に入れられただけマシか」と調子のいいことを言っていた。


 他の兵士が彼に同意していると、アイザックは二人のもとにロバートとモニカが来ているのを見て手を振った。二人は手を振り返すがどうも浮かない顔をしている。


「どうも気味が悪いねえ……。誰もいやしない」


「そうか、そっちもか……」


 アイザックとテレサが視線を下に向けると、モニカはどうやら自分達だけでは無い事に気づいた。


「だとすると敵は一体どこに行きやがった? ここを捨てたか? それとも待ち伏せして……」


 いくら悩んでも当然答えが出るはずもなく、とりあえずアイザック達は物色した成果を見せあった。金目の物は苦労の割にはまだ十分ではなかった。だが食料と水、そして酒を確保できたことが今は金目の物よりもずっと嬉しく、テレサ達はようやく満足のいく食事にありつけた。


 しばらくして簡単な食事を終え、アイザックが空になった瓶を捨てると海側の方にいた兵士達から街の奥へ進軍するよう命令が伝わってきた。四人は一瞬目を合わせてどうするか考えたが、もう少し物色しないとここまで来た意味がないという結論に至り命令に従うことにした。


 こうして他の兵士達と共に街の奥へと向かうアイザック達だったが状況は変わらず、陽が落ちていくばかりだった。気味の悪い違和感と静寂も相変わらずだが、大勢の兵士達がいるおかげで気がまぎれた。それは彼らも同じで、たまに冗談を言い合ったりしてどこか余裕があった。


 だがそれは、一人の兵士の言葉によって終わりを告げる。


「おい……なんだあれ」


 頼りない声が疑問と恐怖を伝える。普段なら聞き逃すだろう。だがこの時はなぜか、その場にいた全員の耳の奥にまではっきりと届いた。震える兵士の指す先を一人、また一人と目を向ける。


「嘘だろ……ドラゴンだと?」


 咆哮。


 それは落ちゆく真っ赤な陽を背負ったワイバーン達によるものだった。まだ海上高くいるはずなのに、けたたましい咆哮は兵士達の体の芯まで届いた。


 遠目からでも分かる巨大な翼が生えた体。足と、そして翼に生えた鉤爪は既に獲物を求めている。ワイバーンの数は両手で数えられるほどだ。にもかかわらず、そのおぞましさ、抵抗する意思をも砕く姿に人々は絶望した。


 再び響き渡る咆哮はまるで最後の通告のようだった。その慈悲は届かず、誰も足が動かなかった。


 次第に姿をハッキリと見て取れるほど距離が迫る。そして頭上高くまで来ると、ワイバーン達は一斉に彼らめがけて急降下を始めた。


 遥か上空にいたはずだが、一瞬と思える速さで兵士達を一方的に蹂躙する。ある者は足に生えた鉤爪によって腹を貫かれ、ある者は空高くつかまれると落とされてしまう。


 兵士達は大混乱に陥った。悲鳴と咆哮。血があちこちで飛び、逃げようとして飛び散った肉片に足を取られる。右も左も、そして上さえも地獄絵図だった。それはまるで、猛獣達の檻に放り込まれたかのようだった。


 だが窮地に陥ると人間は力を持つもので、勇敢に抵抗の意志を見せる者が現れだした。ある兵士は槍を構えると目の前に降り立ったワイバーンに腰が引けてしまう。だが涙を浮かべた目で雄叫びをあげると無我夢中で突撃した。


 放たれた決死の一撃。それはワイバーンの体を貫くことは無く、届く前に何本もの矢が彼に突き刺さった。


「撃てえええええええええ!!!!」


 大通り沿いにある建物の窓や屋根、あらゆる場所から一斉に矢が放たれた。ワイバーン達は予見していたかのように見事に矢が放たれる瞬間飛び上がり、「攻撃止め」という声が響くとすぐさま降下を開始した。


「なにこれ……。私達はこんなのを相手に戦おうとしていたの……」


「しっかりしろテレサ!! 絶望するのは後だ!! とにかくここから逃げるぞ!!」


 アイザックはよろめくテレサの腕を強引に握って彼女を引っ張ると、「こっちだ!!」と小道へ来るよう叫ぶロバートとモニカの方へ死に物狂いで走り出す。


 急げ!!


 急げ!!!!!


 死にたくない!!!


 アイザックは飛び出そうにドクドクと鳴る心臓を息を何度も飲み込んで落ち着かせる。


 あと十歩。あと五歩!! もう少しだ!!!!


 だが次の瞬間、数歩後ろから伝わる轟音と振動でバランスを崩して倒れてしまった。何かが後ろに降り立った。痛みをこらえながらもがくように地面を這いずり、本能では分かっているその正体を見ようとアイザックは振り向く。


 そこには、黒と黄色を基調にしギラギラと妖しく輝く装具を身に着けたワイバーンがいた。爬虫類のように黄色くおぞましい眼には恐怖に打ちひしがれているアイザック達が映り、荒い鼻息に合わせて開いたり閉じたりを繰り返している。無数に生えていると思えるほどの白い牙は、所々赤く染まっている。ワイバーンの息には人の匂いが混じっていた。


 その姿を前にして氷のように固まるアイザック達。だが彼らが驚いたのはなにもワイバーンだけではない。


「女だと……」


 ワイバーンの背には、冷徹な眼差しを向けた女騎士の姿があった。紅の鎧を身に纏い、金色の髪は夕日に照らされながらなびいている。美しい顔立ち、豊かな胸の双丘。虜にするような容姿をした彼女の目には、殺意しか無かった。


 彼女の目つきがより鋭くなるとワイバーンの首筋をそっと撫でながら体を寄せた。彼女の艶やかな髪が垂れ、豊かな胸の膨らみはそっと体に触れる。そして何かを伝えるように口を少し動かすと、ワイバーンはすぐさま威嚇するように吠え、右翼を大きく広げアイザック達を叩きつけようとした。


「させるかよ!!」


 ロバートはそう叫ぶと魔力水晶をワイバーンめがけて数個投げた。ワイバーンはすぐさま高く上げた翼で体を守るが、破裂音と共に現れた炎をまともに浴びてしまう。


 女が恨めしそうにロバートを睨みつけると、ワイバーンは怒気を孕んだうなり声をあげ再び攻撃しようと口を大きく開いた。だがそのころにはアイザック達は逃げ出し、ダメ押しの魔力水晶が再び投げつけられた。


 ワイバーンは怒髪天をつき何度も地面を鉤爪でえぐった。そして近くにいた兵士達を鋭利な棘が数本生えた尻尾で吹き飛ばすと、空へと戻って行った。

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