第42話

 息を切らしたままアイザック達は薄暗く入り組んだ道を無我夢中で走り続ける。幸い敵には遭遇していない。だが遠くの方からワイバーンの咆哮に乗せて兵士達の悲鳴が届き彼らの精神をすり減らしていく。


「ねえ……、私達ここで死ぬのかな」


「何言ってんだテレサ!! いつもの威勢のよさはどこいった?!!」


「ごめんなさい、でもアンデッドだけじゃなくドラゴンまでいるなんて」


「テレサ、あんたいつの間にこんな手間のかかる子になったんだい? そりゃ相手が予想以上におっかなくてあたしもビビってる。でも不意を突かれただけでまだ正面切って戦ってないじゃないか。対策すれば案外勝てるかもしれないよ」


 そう言うとモニカはテレサの背中をバシッと叩いた。二人の前を走っていたロバートは呆れ、背中を向けたまま「そう思わねえとやっていけねえよなぁ……」と愚痴を漏らしている。


 ちょうどその時四人は角を曲がった。そしてその先の道に、森で見た亡霊達数十体を相手に苦戦している兵士達の姿が目に入った。


 すぐに助けようと駆けだすアイザック達だが一瞬目を疑ってしまう。連なる亡霊達の後方には生きた人間が数人、弓を構えていた。亡霊達に何の恐怖も抱かず、彼らはまるで共闘しているかのようだ。


「信じられねえ。本当に人間と魔族が手を組んだのか」


「そんなことは後だ!! 彼らを助けるぞ!! テレサ、いけるか?」


「……平気。足手まといにはならないから。それに、戦えば自信を取り戻せそう」


「頼もしいな。じゃあ行くぞ!!」


 アイザックの言葉を合図に一斉に駆けだす。追い込まれつつある兵士からこちらに注意を逸らそうと声を張り上げる。目論見通り、亡霊と傭兵達は彼らに気を取られてしまう。その一瞬の隙をついて、兵士達は次々に斬りかかり、数秒後にはアイザック達も加勢した。


 だが数はまだアイザック達の方が不利だ。加えて後方には弓兵が数人構えている。ふとアイザックが目の前の亡霊を斬ると、横にいた兵士の首に矢が突き刺さった。


「クソッ! ロバート、後ろの奴を頼む!!」


「注文するのが遅くねえか?」


 ロバートは乱闘から少し引いた場所に既に位置を取り剣を斜めにかざしていた。剣先が赤く光るとそれはたちまち炎となり、やがて鋭く短い槍へと姿を変えると弓兵めがけて放たれる。弓兵は炎を目で捉えることができず、ようやく捉えられたのは胸に貫通した時だった。


 アイザックが褒めるようにニヤリと笑うと、ロバートはさっさと戦えと言わんばかりにクイッと首を動かした。アイザックは気を取り直すとすぐに目の前に迫ってきた二体の亡霊に剣を振りかざした。





「た、助かった……。あんたら、強いんだな」


 数分ほどで戦いが終わると生き残った一人の兵士はへなへなと座り込んだ。だがすぐモニカに「それじゃ情けないわよ」と立たされてしまう。そしてアイザック達はついさっきまでのテレサのようにフラフラとしている兵士を抱えて、ひとまずそばにあった建物内へと避難した。


 中は一般的な住居で隠れるのにはあまり向いていない。だが休憩するにはちょうど良く、アイザック達は床に座りようやく一息つく。兵士はよほど気が滅入っていたのか、所々擦り切れている大きな垂れ幕がかけられた前に座り込むと、両手で顔を覆いため息を吐いた。


「なあ、今この街はどうなってるんだ?」


「最悪だよ。お前この近くの大通りにいなかったのか?」


「ああ……。ちょうど取るもの取って戻ろうとしたらドラゴンの声が聞こえてきてな。それで合流しようにも怖くてできずにいたら奴らと遭遇したんだ。あんたらが助けに来なかったら今頃死んでたよ」


「それか、アンデッドになっていたかもな」


 ロバートが軽口をたたくと兵士はさらに怯えてしまう。だが限界に近いのか兵士の反応は鈍かった。


「それにしても、魔族の中に人間が混じっているなんてやっぱり奇妙なものだな」


「まったくだ、それに大通りでのあの戦い方。見事に待ち伏せをしてやられたな。普通なら申し訳程度にしか効果ねえのに、ドラゴンやらアンデッドやら……。魔族と組むとこうも効果があるのか」


 ロバートは目を擦ると魔力水晶を入れてる袋に手を入れる。すると一瞬、口をとんがらせるがすぐにアイザックに数個渡した。アイザックが「なんでまた?」と訊ねると「さっき使っただろ?」とロバートは強引に渡し、やれやれとあぐらをかきなおした。


「それにしても、ここからどうやって脱出するんだい? どこ行っても待ち伏せされてそうであたし気が滅入るよ」


 モニカがそう言った瞬間、うなだれていたテレサがバッと顔をあげて立ち上がった。アイザック達が何事だと思った頃には既に剣を抜いていて、血気迫る顔をしたまま「早くそこから離れて!!」と兵士に叫んだ。


 そしてテレサが兵士の服に手をかけた瞬間、兵士は後ろから剣で貫かれた。彼の口の中がすぐに血で一杯になり、ゴボゴボと音を立てながら溢れる血が胸に空いた穴から噴き出す血と交わる。そして嘔吐するように血を吐くと目を見開いたまま息絶えた。


「クソッ!!」


 テレサがすぐに垂れ幕を引きはがすと小さな覗き穴がいくつもあった。だがすぐに壁がガラガラと音を立てて崩れると、緋色の炎のようなものが入った瓶が一つ投げ入れられる。


 瓶はいとも簡単に割れた。すると中のものが小さな蛇の姿へと変わりアイザックめがけて飛び掛かってきた。すぐさま体をねじって避けると蛇は空を噛んで床に落ちる。だがうねうねと体を動かすと今度は足めがけて飛び掛かった。


 同じ要領でアイザックが避けようとした瞬間、壁の向こうからいくつもの足音が聞こえ、かと思うと数人の傭兵がアイザック達のいる部屋へと入ってきた。腰には蛇が入っていたものと同じ瓶を数個下げている。それをアイザックは見つけるや否や、蛇を右足で踏みつけ、右足を軸に半ば無理やり体を回転させて一番手前の人間を斬った。


 後ろにはあと数人が控えている。だが彼の攻撃に気を取られていた一瞬のうちに、テレサとモニカの連携の取れた攻撃をくらうと、抵抗する間も無く倒れた。


魔法具マジックアイテムまで持ってるとはな……。どんだけ用意周到なんだこいつら」


「ロバート、気になるのは分かるがとにかくここから出よう」


 そう言って出ていくアイザック達のあとを、横目で死体を見ながらロバートはついて行った。





 陽は既に落ち、小道にはわずかな月明かりしか届かず先を見るのが困難だった。戦いが始まって数時間、大通り以外にも、別の場所から次々と剣のかち合う音と悲鳴、そしてワイバーンの咆哮が響いている。


 目や耳を覆いたくなる船上の中をアイザック達は無我夢中で走り続けていた。時々亡霊や傭兵達に遭遇するせいか消耗が激しい。それでも突き進むしか選択肢はなかった。死への恐怖と早く街を脱出したいという焦燥感が彼らをそう思いこませていた。


「ねえ待って! 闇雲に走ってもただ消耗するだけよ! 一旦落ち着きましょ?!」


 アイザック達はテレサの提案に苛立ちを覚えるが、立ち止まると深呼吸をし心を落ち着かせた。全員の足が笑っているようにがくがくと震え、息をするたびに心臓が締め付けられているかのような感覚に襲われる。


「さっき来たのがこっちだろ……。それで海が恐らくあっち。だったら――」


「ねえアイザック。ちょっと寒くない?」


「何言ってんだテレサ? 恐怖で頭がおかしく――」


 その言葉はすぐに撤回された。アイザックもまたすぐに深い雪の中に足を踏み入れたような寒さを感じたからだ。その寒さは収まらず、彼はロバートとモニカにも聞こうとするが、二人の表情を見て聞かずとも同じ気持ちを抱いているのを理解した。


「ロバート、これって……」


「魔法だ。それもこの一帯すべてにこの薄ら寒い魔力を感じる。……相当やばいのが近くにいるな」


 その時、四人の目の前の角から人の頭らしきものが飛び出してきた。それはつぼみが割れたようにパックリと割れている。一瞬戦慄を覚えるが、ハッとするとすぐに武器を構えた。この角の先にいる敵がどのようなものか知らずに。


 やがて白い霧が角から忍び寄るように漂うと、霧の主が姿を見せた。


 漆黒の鎧を身に纏い、体ほどある巨大なハルバードを握っている。刃には氷柱つららのように凍った血が付き、握り心地を確かめるようにギリギリと柄を握りしめていた。


 いよいよ悪魔がやって来たのかとアイザック達は思った。だがその考えはすぐに消えた。


 凛としたたたずまい、鎧と同じ艶やかな黒髪をした美しい女性。死を象徴するような装いとは対照的な、騎士としての、そして女性的な魅力を身に纏っていた。


 同じ人間とは思えないほどの美しさにアイザック達は言葉を失ってしまう。そんな彼らに、『黒騎士』の名を持つ彼女――リリーは侮蔑するかのような眼差しを向けたまま言葉を吐き捨てた。


「呆れたものだ。身も心も焦がれそうなほど愛しい我が魔王様に刃向かう愚か者がこうもいるとはな」

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