第40話


 翌朝


 ヘンリーは親指の爪を噛みながらテントの中を落ち着きのない様子でウロウロとしていた。彼の口からはウールへの恨み節がマグマのように垂れ流されとどまるところを知らない。


 兵士達は彼の苛立つ気持ちには同情している。だがそれ以上に、この困った上官をどうすればいいかで頭を悩ませていた。


「ええいッ!! よくもあんな姑息な真似を……。おかげで数時間ほどしか寝れなかったではないか」


 そう言う彼だったがまだ眠れただけ随分マシな方だ。ここにいる兵士達はもちろん、大勢の兵士が夜襲への警備に駆り出されて眠っていなかった。そして警備にあたっていない者でも、夜通し続いた亡霊達のうめき声と時々それに混じって聞こえた兵士達の悲痛な叫びのせいでろくに睡眠がとれていない。


「それで、被害の方は?」


「はッ! 今朝までの被害は数百人程度と報告を受けてます。ただ……」


「どうした? 何か不都合でも」


「その……。ハッキリ申し上げますと現在、兵士達の士気が極めて低いです。空腹と喉の乾き、加えて昨夜の魔族の襲撃。そのせいか脱走する者も現れているとか」


 近くにあった椅子が音を立てて吹き飛ぶ。ヘンリーは険しい顔をしたまま痛む足を撫でている。普段の余裕からくる見下すような態度はどこかへ消え、今は体を震わせながら拳を強く握り、息が闘牛のように荒くなっている。


「敵を前に逃げ出すとはなんと愚かな。そもそもここで逃げて一体奴らはどうするつもりだ? 既に周囲の村での略奪は終えている。この森で魔族にビクビクしながら飢えをしのぐか? はっ! なおさら自殺行為だ!!」


 彼は再び椅子を蹴り飛ばすと進軍を急ぐよう伝えテントを出た。だがすぐに兵士が「お待ちください!」と慌てた様子で後に続いてくる。


「このような状態で行軍するのは危険です!! ただでさえ奴らがどんな手を仕掛けてくるのか不明ですし、それに兵達の士気が――」


「貴様は、脱走した兵達と同じ末路を我々に迎えろというのか?」


 どうなんだ? と彼は額に血管を浮かばせて反対しようとした兵士に詰め寄る。兵士は「それは……」と言葉を濁してしまう。彼以外の兵士も反対したくてもできなかった。例え撤退しようにも既に王都からは距離があり、とても食料が持つとは思えない。どちらにせよ、魔族と人間の同盟軍の追撃は避けられないだろう。


 ならば進む以外に道は無い。それがヘンリーの結論だった。


「貴様と議論をしているだけ時間の無駄だ。今日中にポルーネに着き、奴らを根絶やしにし、何としても食料と水を確保せねばならん。そうしなければ我々は犬死にだ」


 そう言うと彼は兵士達に怒鳴りつけるような大声で指示を出した。兵士達は蜘蛛の子を散らすように走り去る。ヘンリーは彼らが去ると剣を棒のように突っ立ててうなだれてしまった。





「あ~……。頭が回らねえ、おまけに視界がぐらぐらする。……あれ? ロバート、いつの間に新しい魔法を使えるようになったんだ?」


 進軍を始めてから随分と時が経っていた。今が何時くらいか、いつもなら腹の減り具合で分かるアイザック達だったが、まともな昼食を取れてないせいで見当がつかない。それは他の兵士達も同じだったが、彼らのほとんどは水すらまともに飲めていない。そのせいかこうしている間にも倒れてしまう者や脱走する者が次々と現れる始末で、もはやポルーネ襲撃ではなく街に着くことが目的になっているようだった。


「はあ? 何言ってんだアイザック? 俺はただ歩いているだけだぜ?」


「だってロバートが二人に見え……いや、三人か? すげえなロバート、そんなに腕をあげたのか」


「……おいおい、しっかりしてくれよ」


 呆れながらロバートは水筒の水を一口飲むとアイザックに差し出した。するとアイザックは虚ろな目でふらふらとしていたが、水筒が目に入るとカッと目を見開いて奪い取る。


「あッ!! おいこらてめッ!! 俺の分まで飲むんじゃねえ!!」


 彼がそう言った頃には既にアイザックは何口も水を飲み干していた。ロバートは「信じらんねえ」と愚痴を吐きながら思いきり彼を殴って奪い返すが、時すでに遅く、あと数口ほどしか残っていなかった。


「そりゃこうなってる奴に渡したらそうなるさ。なんだって渡したんだい?」


「なんでってそりゃ、ほっといたら死んでしまいそうにしてたからだ」


「へえ、あんた何だかんだ言って優しいんだね」


「うるせえ。だけどこれで学んだ、いや学ばせてもらった。優しくするのは俺に余裕のある時だけにする。他の奴がくたばろうが知った事じゃねえ」


 そう言うと彼はフンッと背を向け、腰に下げていた袋に手を入れ魔力水晶の数を確かめだした。それを見ながらモニカが水を飲んでいると、テレサが消え入るような声で「エドウィン……」と呟いた。


「テレサ、死んだ奴のことなんて考えても何の足しにもならないよ」


「いえ、そうじゃないの。こうやって戦いに出てるのだから彼が死ぬのはしょうがないこと。でも……」


 その先の言葉を言おうとするが、歯がガチガチと震え出しテレサの顔色が真っ青になる。すぐにアイザックとモニカが二人がかりで体を支えると彼女は何度も「ごめんなさい」と嗚咽交じりに謝った。


「おいテレサ、そんな調子で大丈夫かよ」


「……魔王に会わなければ大丈夫」


 数分経って落ち着きを取り戻したテレサはハッキリした口調だった。だがまだ目が涙で潤んでいる。するとロバートは鬱陶しそうな顔で腰に下げていた袋に手を入れてガサガサと中をあさる。そして魔力水晶を取り出すと数個ずつアイザック達に手渡した。


「余裕が無ければ優しくしないんじゃなかったのか?」


「うるせえ。それにこれは優しさじゃねえ、保険だ。ポルーネからずらかるときにお前らが生きてねえと儲けが減っちまうだろうが」


「でもそれじゃあんたが――」


「多少減ったくらいで何ともねえよ。それに俺はお前らと違って魔法が使えるし剣の腕も立つ。というか人の心配より自分の心配をした方がいいんじゃねえか?」


「それはこっちのセリフでもあるねえ」


 ロバートはしばらく頬を掻きながらどういう意味だと思ったが、すぐに気づくと「だな」といって笑い出した。そんなどこか呑気な雰囲気を出す彼につられてアイザック達も笑い出す。


 彼らを包んでいた空気が穏やかになっていく。つかの間の平穏。エドウィンが死んだことなどまるで忘れてしまったかのように。


 だがそれは、森の出口に差し掛かるにつれて消えていった。先頭を行く部隊が平原へと出る。しばらくしてアイザック達も森を抜けた。


 ようやく魔族の奇襲に遭わなくて済む。心の中で誰もがそう思ったが、平原の先にある街を見てその安らぎは消えた。


 戦いはむしろこれからなのだ。夕陽となりつつある太陽が不安と体の限界でどうにかなりそうな彼らを、そして戦場となる美しいポルーネを照らしている。目に焼き付けるように兵士達が目の前に広がる光景を眺めていると、ヘンリーの檄が風に乗って飛んでくる。そしてついに、進軍の命令が平原を駆け抜けた。





「さて、いよいよか」


 王国軍がいよいよ街への侵攻を開始した頃、ウールはただじっと館のバルコニーから外を眺めていた。普段の装いとは違い、今の彼女は赤と黒を基調にした鎧を着ている。少女が着るには少し荷が重く禍々しいものであるが、自信満々なウールにはむしろ丁度いいくらいだ。


 そんな彼女の腰には鞘に納めた緋色の剣をさげている。時々手で柄を握っては感触を確かめていていつでも出陣できる状態だ。


「こうも焦って進軍するとは。読み通り相当余裕がないとみた。これなら奴らを倒すのも造作の無い事……。フフフ、我らの、そしてこの剣の錆びになるのも時間の問題だろうな」


 ウールは怪しく、挑発的な笑みを浮かべながら見下すような目で街を見下ろす。まるで勝負は既に決まっているとでも言いたげで、あふれ出る自信は彼女をさらに痛々しいものへと変えていく。


「でも魔王様。正直な話、その剣を今回使う可能性は低いですよね。魔王様が出陣するのは最後の最後ですし」


「……言ってみただけだ。いいだろ別に」


「まあカッコつけたい気持ちは分かりますが――」


「カッコつけるとか言うな!!」


「え?! じゃあさっきの言葉、素で言ったのですか?! いや~……さすが魔王様ですね」


「それ褒めてないだろ。まあいい、どうせ勝つまで暇なんだ。ベルムよ、共に我らが勝つ様を見物しようではないか」


 ベルムは「承知しました」と丁寧に言うとウールの横に立った。その時、空の彼方から地を揺るがすような咆哮を二人は聞いたような気がした。

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