第24話
「そう、その調子」
必死に逃げるウール。だが目の前に柱があり勢いを失う。背後に迫りくる少女の剣。頭を低くして避けるとすかさず柱の後ろへと回り込んだ。
「おい待て!! 私は武器を持っていないのだぞ?! 卑怯ではないのか?!」
柱を間に置いて二人が何度も右へ左へと顔をひょこっと出す中ウールは命がけで訴える。どうせ聞く耳を少女が持ち合わせていないことは承知の上だが、それでも口から自然と漏れる。
そして右に顔を出した瞬間、どういうわけか目の前に亡霊がボーっと立っていた。
素っ頓狂な声を出して驚くウールに対し亡霊はごめんねといったようにのんびり頭を下げる。目をパチパチとさせながら顔の欠けたそれに気を取られてしまう。
「そんなの知った事じゃない」
少女の声が聞こえウールの顔から零れ落ちる砂のように血の気が引く。目の端に映る少女の姿。慌てて前へと飛ぶと少女の一撃が先ほどまでウールが立っていた場所を虚しく斬った。ウールはその様子を見ようともせず起き上がると近くに亡霊を少女めがけて押し飛ばした。
飛ばされた亡霊を少女は鬱陶しそうに押しのけている。その間にウールは無我夢中で舵のある方へ一心不乱に駆けていく。
「クソッ!! 何か無いのか?! 何か――」
息を切らしながらキョロキョロと物色していると、縄梯子なわばしごが張られている近くの手すりに少女が持っていた刀身の錆びた二本の剣がたてかけられていた。
ウールはしめたと思いすぐさま剣を一本握るがあまりの重さに腰をまげ思わず大股になった。
「なんて重さだ……。こんなものをあいつはああも平然と持っていたのか」
「そう。すごいでしょ?」
驚いたウールは飛び上がり、うっかり手に持った錆びた剣を落としてしまう。隣にはいつの間にか少女が背中に手を回したまま立っていた。攻撃する様子を見せずに「どう?」と首を傾げながら訊ね、ウールは顔を引きつらせながら褒めると少女は満足そうにコクリと頭を縦に振る。
「褒めてやったのだから何かくれてもいいんじゃないか?」
「……時間をあげてる」
「ああそういうこと――」
少女の手が剣に差し伸べられる。だがその前にウールは手すりへと飛び乗った。そして振りかざされた一撃を見切ると、タイミングを合わせて縄梯子へと飛び移る。
懸命に登るウール。逃がすまいと少女は背中を見据えたまま錆びた二本の剣を軽々と拾い、追いかける。すぐ後ろに死が迫っているような感覚に襲われながらもウールはひたすら登り続ける。
やがてマストを支える棒の上にたどり着くと両腕を広げたまま端へと歩き出す。
「楽しかった……。でもここまでみたいね」
ウールの背後から少女が一歩、また一歩と迫る。揺らめく炎、向けられる鈍く光る銀色の眼差し。逃げ場などないと薄々感じていたウールは、相対する亡霊を前に痛感していた。
最後のあがきと火球を作り投げつける。だがそれは、少女の一振りによっていとも容易くかき消された。
ウールは下唇を噛みながら眼前に広がる景色を眺める。遥か下ではリチャード達がうろたえた様子のまま二人の姿を見上げている。
ウールは目を閉じ、空を仰ぐ。
小さな胸の前に自らの手を添えて。
その姿はまるで、神へ祈りを捧げるようであった。
だがウールに神などという都合の良いものなど存在しない。
魔王である自らへの自信、それがウールの内にある限り。
「ベルム!! 受け止めろ!!」
死に物狂いで叫ぶとウールはベルム達のいる船へと飛び降りた。少女は振り下ろそうとした剣を掲げたまま固まり、下へ下へと落ちていくウールを無言で眺めている。
リチャード達は驚きのあまり動けず悲鳴をあげることしかできない。ただベルムだけは考えるよりも先に足が前に出ていた。
そして、体を小さくしながら落ちてくるウールをベルムは両足を踏ん張って受け止めた。ウールの体がベルムの腕の中に収まった時、骨がきしむような音がわずかながらウールの耳に伝わってきた。
「無理をさせてすまないベルム」
ベルムは肩をすくめると「何を今さら」と剣を渡して答える。ウールは手渡された剣を力強く握りしめると空をキッと睨みつけた。
「そろそろ決着を付けようか。『ミドファイア』」
ウールの手に炎が宿る。だがこれまでと違い赤い炎の中に漆黒の炎が交っていた。漆黒の炎は紅を飲み込むように燃え盛る。赤き炎もまた闇を飲み込むように荒れ狂う。
轟轟と燃えさかる二色の炎を剣に宿しウールは両手で柄を握る。遥か上にいる少女は剣を持つ手が震えるほど強く力を入れた。
そして少女は躊躇なく飛び降りた。ただ、一撃を交えるために。
深紅の瞳には少女の姿が映り、銀の瞳にはウールが映る。
海を駆け抜ける風の如く、二人が剣を交える時間は一瞬だった。
かち合う音が響き渡る。互いの渾身の一撃が放たれた。
目を覆うほどの炎が空へと帰り、夜の闇を打ち払う。
同時に、バキバキと床を貫く音が辺りに鳴り響いた。
♢
「……抜けない」
ウールは気まずそうに頬をポリポリと掻いていた。それもそのはず、先ほどまで溢れんばかりの殺意に満ちていた少女が、今は腕から下を船の床にすっぽりとはまったまま、まるで意識がどこかへ飛んだようなボーっとした目でウールを見つめているからだ。
「助けてウール」
「嫌に決まっているだろ」
「……ケチ」
「ケチとはなんだケチとは!!」
ウールはキーキーと喚きながら剣先を少女の目と鼻の先に私の勝ちだと言わんばかりに向けた。だが少女はずるいだ卑怯だと次々と言い、ウールも負けじと否定する。
しばらく二人の不毛な押し問答が続いた。ようやく終わった頃にはウールは喉が渇いたのか舌を出してゼーゼーと肩で息をしていた。
「実力もよく分かったから配下になってあげる」
剣を遠くへ弾き飛ばすと少女は抱っこを求める子供のように両手を伸ばす。先程までとは打って変わり見た目相応の可愛さがある。ウール達はようやく緊張から解放されて一安心し、数人がかりで少女を引き上げた。
「ところで名前は?」
「メアリス。それが一応私の名前。本当かどうかは分からないけど」
ウールは少しばかり引っかかりはしたが目の前にいるメアリスが死人だった事を思いだすと追求しようという気持ちはどこかへ消えた。
「それで、私はどうしたらいいの?」
「う~んそうだな……。まずはとりあえず私への忠誠を誓ってもらおうか」
メアリスは「分かった」と言うとスタスタとウールに近づく。だがどうも想像以上に近くに来たのでウールもベルム達も困惑してしまう。
するとウールの頬に右手を添え、目と目を見つめ合わせた。メアリスの瞳の中には目を泳がせているウールの姿が映り込む。
冷たく白いメアリスの手が滑らかにウールのうなじを撫で銀色の髪を掻きわける。春を迎えてしまった雪のように少女の手にウールの暖かさが伝わっていく。
「おい、何を――」
抱き寄せてなどいないのに互いの体が気づけば毛先が触れ合うほどに密着していた。亡霊とは思えないほんのりとした優しく甘い香りがウールを包み込むと少女は小さく口を開く。
疑問を口にしたウール。その先をまるで言わさないつもりか、あるいは偶然なのか。
メアリスは自らの艶やかな唇を戸惑いを見せるウールにそっと重ねた。
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