第23話

 水平に描かれる剣筋。驚いたウールはバランスを崩し後ろへと倒れてしまう。だがこれが幸いし少女の一撃は倒れたウールの目と鼻の先で空を斬るだけに終わった。


「待て!!」


「……なに?」


 不機嫌な様子で少女が訊ねた頃には剣先がウールの鼻先へと向けられていた。ウールは少女を睨みつけながら「ずるい!!」と子供のように喚き散らす。


「たった一撃で折れるなんてありえない! 最初からそうなるように仕込んでいただろ!!」


 少女は首を横にぶんぶんと振って否定するがウールは主張を曲げようとしない。ついにめんどくさくなったのか少女は渋々非を認めると剣をしまう。ウールは「ほら見た事か」と難癖をつけながら袋に手記を入れるとリチャードに渡し、彼から剣を受け取り再び少女と向かい合う。


「さて、正々堂々やろうではないか」


 銀色の髪をなびかせると剣を握っていないほうの手から炎を出して刀身を撫でる。剣には煮えたぎる赤い炎が宿り火の粉がまき散る。ウールは威嚇するように剣を振るい、そして剣先をつきつけた。


「どこが正々堂々何ですかねえ魔王様……」


 呆れた様子のベルムに対し、どうも理解できないエイリーンはどういう意味なのか訊ねる。周りの人々も興味深そうに耳を傾けている。ベルムが魔法を剣に宿すことで威力が上がることを説明するとエイリーンは冷めた目で、したり顔をしているウールの背中を見た。


「なんて卑怯な……」


「まあ魔王様は『あんなボロな剣を渡してきたからズルをしてもいいだろう』とでも思っているんでしょうね……」


「そうかもしれないが……。しかし大丈夫だろうな? もしあの少女が仮に同じような魔法を使ってきたら――」


 エイリーンの不安は的中した。少女は急に剣を持っていない左手で自らの剣の刃を握りしめる。手から赤黒い血が流れぽとりぽとりと床へ滴り落ちる。正気とはとても思えない少女の寄行にベルム達はおろか、向かい合っているウールでさえ言葉を失った。


「いい考えね。私もやる」


 血がドクドクと流れる少女の手から緑色に輝く炎が吹き荒れる。炎をまとったまま血で染めるように刀身をゆっくり、ゆっくりと撫でた。血塗られた刀身から炎が燃えたぎり、それは悪霊でも宿ってしまったようでもあった。


 自らの顔の前に剣を立て、魅入られたように剣をジッと眺める少女。翠緑すいりょくの炎は透き通るように青白い少女の肌を怪しく照らす。幼さ残る整った顔立ちのせいか、異様さが目を背けたくなるほど滲み出ていた。


「……ベルム、まずくないかこれ?」


「インチキしようとするからですよ」


「だってあいつが――」


「因果応報です、諦めて戦ってください」


「なんでそう落ち着いていられる?! 下手すれば死ぬかもしれないのだぞ?!」


「戦う前から弱気なんて負けを認めているようなものです、魔王様らしくないですよ。それに大丈夫ですって、どんな修羅場でも魔王様なら超えることができますから」


「何を根拠に――」


「吾輩が断言していることが根拠です」


 ウールはむすっとした顔のままベルムをしばらく見ていたが、小さく微笑み「それもそうだな」と小声で言い残し背を向ける。安心したベルムは腰にさげている剣の柄に手を添えてウールを無言で見守る。



「……いい配下ね」


「その言葉、私の配下になったら是非ベルムに言ってやってくれ。喜ぶからな」


「そうね。それに彼ともちょっと戦ってみたいし。でもその前に――」


 床を蹴り、一気に間合いを詰める少女。後には緑の火の粉が妖しく舞う。


「あなたが私に相応しいか見せて」


 低く構えたまま放たれる少女の一撃。ウールは対応しようと叩きつけるように剣を振り下ろす。


 金属音と炎が弾ける音を交わる。炎は互いを飲み込むように勢いを増しながら渦巻き二人を照らす。


 幾度となく交わる互いの剣戟。月光に照らされた二人の少女が奏でる戦いの音色は夜の闇が降りる海を波と共に漂い、消えていく。


 華麗に、そして強したたかに攻める少女。その攻撃をウールは苦々しい顔をしながらなんとか凌ぎきる。


 息をすることすら許されないような緊張が張り詰める空気の中、人々も、亡霊達もただ固唾を飲んで見守っていた。


「……上手ね」


「褒めているのか? それとも皮肉か?」


「好きな方を選んで」


 少女はわずかに目を見開く。振りかざされた一撃。ウールは辛うじて受け止めるが腕に痺れを覚えると数歩のけぞってしまった。すると船の手すりに背中が当たりつい後ろに気を取られてしまう。後ろは逃げ場を防ぐように亡霊船が漂っていた。


 隙を狙い少女は肩を入れてウールを突き飛ばす。光の無い少女の目によろめくウールが映る。


 放たれる一閃。


 ウールは間一髪首を動かす。首筋にヒヤリと冷たさを覚えるが痛みは感じない。ウールの銀色の髪が少しばかりヒラヒラと舞い降りた。


 ウールは足払いをするが少女には通用しない。少女は軽やかに宙を舞うと距離を取った。


「……楽しい」


「はあ? こっちはお前の強さに冷や冷やしているというのに……」


 表情一つ変えず、淡々と「ありがとう」と言う少女。ウールは気味が悪そうにしていたが、眼帯の下から一筋の血が流れた事にふと気がついた。


「おい、血が流れているぞ。案外無理でもしているのか?」


 ウールは「どうなんだ」と余裕を見せながら少女を煽った。だが少女はこれをきっぱりと否定する。


 ばつの悪そうな顔をしているウールをよそに少女は滴り落ちる血を指で取って舐めた。すると口元がわずかに緩み、少女の顔にあどけない柔らかな表情が浮かびあがる。ウールは背中に手を回されたようなゾッとする寒気を覚え身震いする。


「興奮しているのね、私。ねえウール……もっと戦って。もっと見せて――」


 虚ろに言葉を紡ぎながら少女は剣を振り下ろす。ウールは剣を構えてその一撃を受け止める。だが一撃の重さに片目をつむったまま片膝を曲げてしまう。


 ふと目をあげると風を斬るような少女の一撃が既に迫っていた。咄嗟に体を捻って避ける。そしてみぞおちめがけて鋭い蹴りを入れた。


 めり込むような鈍い音。


 声を漏らしながらよろめく少女をよそにウールは亡霊船へと飛び移る。少しの動揺を少女は見せるが、すぐに後を追うように飛び移った。


 だがウールは着地の瞬間を狙い、両手で剣を握り力の限りを尽くして振りかぶる。降りようとした少女も負けじと片手を床に添えたまま振りあげる。


 耳の奥にまでしつこく残るか細い金属音。


 余韻を残し音は消える。


 そしてウールの剣が宙を舞い、床に突き刺さる。


 振動を残しながら纏わりつく炎は次第に弱まり、そして消えた。


 さざ波のように流れる沈黙。


 それを打ち破るようにウールは目をつむり諦めたように両手をあげた。


「分かってはいたが魔力がないとこんなものか。……私の負けだ。おとなしく『黒の手記』を返してや――」


「何勝手に終わらせようとしているの?」


「……は?」


 すっかり終わった気でいたが水を差されウールは動揺を隠し切れない。それは見守っていたベルム達も同じだ。誰もが予想外の反応を見せた少女が次に何を言い出すのか戦々恐々とした面持ちで待っていた。


「私の決闘は相手が死ぬか私が終わりと思えるまで続くの。まだ動けるでしょ? まだ傷一つついていないでしょ? だからまだ続くの。私はまだ満足していない、だから必死に抵抗して。死ぬ気で逃げて」


 眼帯の下から滴り落ちる鮮血を舌で舐める。ほんの一瞬見せた官能的で背徳感のある舌使い、そしてかみしめる様に一歩、また一歩と感情をほとんど見せずに近づいてくる少女の姿。


 ウールの内にある全ての感覚、神経が総出で警鐘を鳴らす。


 「過去の自分を呪い殺したい!!」


 ウールは本能のままそう叫び、一目散に逃げだした。

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