第19話

 執務室へと入ったウールはあまりに予想通りすぎる部屋の作りに思わず失笑してしまう。金銀様々な装飾品の数々が飾られ、執務室というよりもまるで私室のような贅沢の限りを尽くしたような飾り付けだ。


 二人に向かい合うように置かれている机に、豚と呼んでも過言ではない肥えた中年の男が口をへの字に曲げて座っていた。街の庶民のものとは比にならない上質な素材で作られた鮮やかな赤色に金の刺繡が施された上衣は彼のぜい肉で纏った体のせいではち切れるばかりに膨らんでいる。極めつけに暖炉の上には彼の立派な肖像画が金色の額縁に飾られていた。


 ウールは冷めた目で部屋を見回し「狙っているとしか思えないほど卑しい奴だな」と、つい彼に聞こえないよう言葉を漏らした。


 罵倒されていることに全く気づいていない領主は丸々とした短い人差し指をエイリーンに向けるとウールが何者であるかを訊ねた。エイリーンは彼と目を合わさず淡々と説明し、捕まえるのに時間がかかったことを詫びる。すると領主はねっとりとした青い目を細め、湿気の多い声で嫌味をエイリーンに浴びせ始めた。


「エイリーン、さっきは疑ってすまなかった。こんなタダでも食いたくないような質の悪い肉を付けてる豚野郎が上司なら裏切りたくなるな。私でもそうする」


 エイリーンへの罵倒が続く中、ウールが冷めた目を領主に向けたまま小声で呟く。エイリーンは吹き出しそうになり、思わず頬を膨らませると慌てて彼に背を向け何度も咳き込んでしまう。


「何をしておるのだエイリーン」


「……いえ、なんでもありません」


 エイリーンは弁明をすると同時にウールの足を思いきり踏みつける。ウールは尻尾を踏まれた猫のように飛び上がりキッと彼女を睨んだ。


「何をするんだ! 私は何もやっていないだろ!」


「黙れ。本当に黙れ」


 エイリーンが噛みつくように注意するとウールはふんと視線を領主に戻す。領主は指で机をトントンと苛立たしそうに叩きながら首を曲げていた。


「随分と元気な魔王であるな」


 領主は指をクイッと動かし近くに来るよう促す。ウールはエイリーンの方をちらりと見るが、早くするよう促され渋々領主の前に歩む。領主は右肘を机の上に置くと顎をさすりながら堪能するようにウールの顔をじっくりと見続ける。


 後になってウールは、この時の彼の目つきはスライムのようにねばねばと不愉快なものだったと振り返っていた。それ程耐え難く苦痛の時間をウールは目をつむったまま黙って耐えている。


 ふとウールは目を僅かに開き机の上に並べられているものを見た。金色の文字が記された黒色の本が置かれている。ウールはこれが『黒の手記』であると確信し文字を読み解こうとしたが、それはウールが見たこともない文字だ。形が崩れているようにしか見えずどういう意味なのか分からない。


「これが気になるのかね?」


 横目で手帳を見ながら訊ねられ、ウールは無言のまま頷く。すると彼は椅子にドッシリともたれるとそれがウール達が探していた『黒の手記』だと言い、手に入れるまでの苦労話を自慢げに披露した。彼の話など微塵も興味ないウールは最後までどうでもよさげに目をそらしていた。


「魔王ならば喉から手が出るほどこの手記が欲しいのではないか? これさえあれば世界を支配できると言われている伝説の代物だからなあ」


「あー欲しい欲しい。すっごく欲しい」


 いいかげんな返事をするウールに不機嫌な態度を見せる領主を無視してウールはエイリーンの方をちらりと見る。死んだような目をしていたエイリーンは視線に気づくと目つきを変えてゆっくりとウールに近づき始めた。


「そうか欲しいか。そうだろうそうだろう。だがその願いは叶うまい」


「そんなことは分かりきってる。見ての通り私は無様にも捕まってしまっているのだからな」


「その通りだ。そしてエイリーン、お前もだ」


 部屋の外から騒音が聞こえたかと思うと扉が勢いよく開かれ、兵士達が次々と中へ入ってきた。二人は十人ほどの兵士達にすぐに取り囲まれ身動きが取れなくなってしまう。すると二人に対して領主は気味の悪い笑いをあげながら手を組んだ。


「エイリーン! お前はずっと反抗的な奴だと思ってはいたがまさか魔族と手を組むほどとはな! そんなにこの私を忌み嫌っておるのか?!」


「当たり前だ! お前みたいな腐りきった人間を誰が好むか! お前に忠義を示すよりもウールに忠義を示す方がずっとずっと良いに決まってる!」


 ウールは「嬉しいがこいつと比べられてもなあ……」と領主を見ながら微妙そうにしている。


「言うではないか、まあいい。強気でいられるのも今だけだぞエイリーン。おとなしく魔族と共にのうのうと暮らしていたらいいというのになぜのこのこと戻ってきた? いや、言わずとも分かる。この手記が目的だろう」


 領主は手帳を指さしながらほくそ笑む。兵士達が剣をちらつかせながらじりじりと迫る。ウールは降参したようにガックリと首を曲げ体をゆらゆらと揺らしていた。


「だから言っただろう、他に作戦があるはずだって」


「ウールはこの作戦の目的を忘れたのか?」


「あの手記を手に入れるのが目的だろ。それ以外に何が……。おい待て、さっきは冗談だと思っていたがまさか本気だったのか?」


 冷や汗を流しながら訊ねるウールにエイリーンは大真面目な表情で頷く。目はギラギラと殺意に満ち、体がすっかり前のめりになって既にやる気満々だ。


 絶体絶命の状況。だが獲物を前にした獣のようになっているエイリーンにその場にいた全員の腰が引けていた。ウールはこれから何が起きるか想像がつき、虚空を見上げながら両手を上下に動かす。



「この作戦の本当の目的は、憂さ晴らしだ!」



 その言葉を合図に手に持っていた縄を手放す。そして腰に下げていた剣を抜くと、近くにいた兵士の腹を貫いた。間髪入れずエイリーンは兵士の腰に下げられた剣を抜く。そして一瞬の内に隣の兵士の首がボトリと地面に落ちた。


「こんなの作戦でも何でもないぞ……」


 ウールは呆れながら両手を縄からほどくと炎で両腕を包む。握っていた縄に炎が移りたちまち轟轟と燃え盛る炎で覆わる。縄は焼け落ちることはなく、どころか自我を持ったように縄はちぎれたばかりのトカゲの尻尾のようにうねり始めた。


 縄を引きちぎりいくつかに分ける。動揺している兵士達めがけてウールは弧を描くように投げつけた。縄が兵士達の首に巻き付く。縄の断面から毒を持った蛇のように鋭い炎の牙が生え、首へ噛みつく。蒸発する血。掠れた悲鳴をあげながら兵士達は無残にもがき苦しむ。


「おお……すごいな」


 ウールは感心しながらもエイリーンを援護しようと火球を作り出す。だが突然、後ろからガコンと何かが外れる音がした。慌てて振り向くウール。だが領主の姿がどこにもなかった。


 ウールは机の後ろを大急ぎで確認する。彼の座っていた椅子の後ろの床が抜け、地下へと続く階段がそこにはあった。ぼんやりとした灯りが階段の先から漏れ、微かに領主の足音と息遣いが聞こえてくる。ウールは地団駄を踏みながら机の上を見ると、案の定手帳が持ち去られていた。


「クソッ! エイリーン、領主が逃げた! 悪いがここを任せられるか?!」


 エイリーンと対峙している兵士の数は三人。エイリーンは襲ってきた兵士の一人を蹴り上げると「早く行って!」と怒鳴るようにウールに言う。ウールは手に握っていた一個の火球を兵士にお見舞いし、階段を駆け下りた。

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