第18話

「それでどうなった? ただの兵士がそんな代物を持っているとは思えないが」


「もちろんそいつは持っていなかった、だから運良く見逃された。そしたらその少女が近くにいた全員に聞こえるようにこう言ったんだ。『今は本調子じゃないからこれぐらいにしてあげる。でも次に私が来た時には絶対に渡して』と。そう言い残して捕まえた人々と一緒に海の上を歩いて去って行った。……これが昨日起きた事の全てだ」


 リチャードが乾いた口を潤そうとコップの水を飲み干す。ウールは大きく息を吐きながら髪を巻き上げ、考えを整理しようと目をつむった。


 しばらくの間誰も言葉を口にすることができなかった。のんびりと生活していた自分たちの住処とは違う、少し離れたポルーネの街で起きた壮絶な出来事をまるで受け入れられないように。


「……助けるにはその亡霊達を見つけて取り返す、ということか」


「魔王様、失礼を承知で言いますが流石に止めておいた方がよろしいのでは? 相手は海のどこにいるかも分からない得体の知れない連中です。そんな連中を相手になど無謀すぎますし、そもそも人間のために魔王様が命を張る義理などありません」


 ウールは反論することなくベルムの主張を素直に受け入れる。リチャードもまた彼の考えには理解を示していた。だが諦めきれなさそうにジッとベルムを見つめ続ける。するとエイリーンが立ち上がり「それでも助けるべきではないのか!」と苦しそうな表情で主張する。だがウールをはじめ誰も賛成しない。どころか彼らの冷たい視線がエイリーンに向けられた。


「エイリーン、助けたい気持ちは私にもある。さすがにそこまで腐ってはいないからな。だがこれは気持ちだけで行っていいものではない、リスクが大きすぎるのだよ」


「だけど――」


「分からない、と?」


 エイリーンはまだ言い返そうと前のめりになっていたが言葉が出ず、立ち上がったウールに肩を叩かれると下唇を噛みながらゆっくりと座った。悔しそうに握り拳を震わせているエイリーンを横目に、ウールはリチャードに「すまない」と小さく頭を下げる。リチャードは大きく息を吸うと何も言わず冷静に頭を下げるがその場から動こうとしない。


 居心地の悪い重い空気が部屋を包む。ウールは途方に暮れながらリチャードを慰めようと近づき、傍に座った。


 その時、話を聞いていたグルトが「しかしそんな手記しい化け物を呼び寄せるとは、『黒の手記』とはどんなものなんですかね」と何となく口にした。するとリチャードが「手記?」と誰に訊ねているのか分からないような浮ついた声で言った。


「そうだ、手記だ! 手記だよウール――」


 リチャードはガバッと勢いよく頭をあげる。その表紙に運の悪い事に背中を撫でようとしたウールの顎に見事に彼の頭が命中した。ウールは顎を抑えたままバタバタと床を転がり回り、彼は慌てて謝る。ついでにグルトも何だか申し訳なさそうに謝った。


「うぅ~私が何をしたっていうのだ……。それでリチャード、何か思い浮かんだのか? くだらない事だったら許さないからな!!」


「え?! い、いやその。手記を奴らに返せば連れ去られた人々も返してもらえるんじゃないかな、と思って」


「そんなことぐらいで私の顎に頭突きをしたのか? そりゃあその手記? とやらがあればすぐに済む話だろうな。だが誰が手記を持っているのか分からないのだぞ? よく自信満々に言えるな」


 リチャードは返す言葉が見当たらず口ごもってしまう。だが戸惑っている彼を救うようにエイリーンが「知っているかもしれない」と答える。全員が一斉に振り向くとエイリーンは訴えかけるような強い眼差しをウールに向けたまま理由を語りだした。


「私がここに来る前、騎士達が噂で領主が『黒の手記』探しに躍起になっている事を耳にした。実際金や人員も割かれてたみたいだし、時々正規の船乗りではない連中と会っている領主を見たことがある。だからこの辺りに住む人間で手に入れる者がいたとしたら、領主以外に考えられない。もし仮に一般人が手に入れていたとしても力ずくで奪っているだろうな」


「領主というより暴君だな……」


「全くその通りだ。とにかくどうにかして領主から手記を奪ってその足で亡霊達に返しに行く。そしたら全て丸く収まると思う。どう思うウール?」


「ん? それでいいんじゃないか。まあ精々頑張れよ」


 そう言うとウールは部屋を去ろうと立ち上がる。だがすぐにリチャードに腕を引かれウールは鬱陶しそうに振り向くと、煮えたぎる苛立ちをを浮かべた赤い目を懇願している彼に向けた。


「さっきも言ったが私が協力する義理がない。それに手伝ったとしても私に何の利益がある?」


「それは分かってる。でも領主が『黒の手記』を持っているのをウールは放っておく気か? 世界を支配できるほどの強力な代物だぞ?」


「……リチャード、何が言いたいんだ?」


「つまり、ここにいるウールの仲間にとっても危険な状況だということだ。いや、領主がその気になればここだけじゃなく他の魔族も殺されることになるかもしれない」


 ウールは天井を見上げたまましばらく動かなくなる。すると独り言のようにベルム達にどう思うか訊ねると「一理ありますね」とベルムが答え、ゴブリン達も彼の考えに同調した。ウールは理解を示すと大きく息を吐き降参したように首を曲げた。


「人質を取られたみたいで不満ではあるが……いや、リチャード達も同じようなものか。まあいい、力を貸してやろう」


 リチャードの顔がパアッと明るくなりウールの両手を力強く握りしめた。ウールは体を引いたまま痛そうにしていたがよほど嬉しいのか彼は気づかない。





 リチャードを落ち着かせると、ウール達はなるべく早く行動に出た方がいいと考えすぐに計画を練り始めた。




 手記を奪ってから亡霊探しまでの段取りはすぐに決まった。だが問題は手記をどうやって手にするかだ。


 領主の住む館はポルーネの東側に位置しており、見た目は館というよりも城に近いものになっている。これは10年前に王都から赴任してきた領主の意向によるもので、彼の傲慢さと趣味がにじみ出ているとエイリーンは言う。


 加えて警備の数、そして館の広さや立地を考えると密かに潜入し手帳を奪うのは不可能だとエイリーンは主張した。ウールは「消極的だな」と言うが、そもそも潜入に向いている人材が誰もいないことに気づくと同意せざるを得ない。


「潜入が無理となると正面突破か? いや尚更か……」


「いや、できるかも」


 エイリーンがウールを見つめたまま無言で考え込む。ウールは怪訝そうに見ていたが次第に嫌な予感を感じ、居心地悪そうに体を揺らし始める。そしてウールの勘は的中し、エイリーンは考えがまとまるとウールに協力を願い出た。


「ウール、悪いけど捕まって」


「……は?」




 その日の夜


 ウールは後ろに回した両手を縄で縛られたまま、領主の住む館の長い廊下を歩いていた。無駄だと思えるほどの豪勢な装飾が床や窓、そして天井とあちこち施されている。ウールの横には出会った時と同じ大胆な装備のエイリーンが縄を手に持ったまま毅然とした表情で連れ添うように歩いている。すれ違う兵士達は誰もが興味深げに二人をジロジロと眺めており、ウールはすっかりご機嫌斜めだ。


「おいエイリーン、本当にこれで大丈夫なのか? もっといい方法が絶対あったはずだぞ」


「レッドゴブリン達の道具があるから心配ない。この縄だってそうだ、ウールは自分の部下が信用できないのか?」


「……ちっ。エイリーン、無いとは思うが裏切ったら承知しないからな」


「捕虜の身であったがウールやレッドゴブリン達に十分すぎるほど世話になった。なのに今更こんな下劣な連中に寝返ると?」


 ウールは二人を眺めている兵士達を睨みつけるように見る。エイリーンの言う通り、彼らの見る目は娼婦を前にした粘りつくような不愉快な感情をもたらすものだ。ウールが汚物を見た時のように肩をすくめたまま眺めていると執務室のドアの前に着いた。取っ手は金色の趣味の悪いデザインで見ただけで領主の人間性が大体想像つきそうだ。


「それに、成り行き次第ではクソ領主のふてぶてしい顔に一発お見舞いできるかもしれない。そんな絶好の機会を見逃したくない」


「……エイリーン。絶対この作戦に私怨が入ってる、いや間違いなくそれが目的だろ」


 エイリーンは違うと首を振るが口元がわずかに歪んでいる。加えてウールを縛っている縄を持っている手に力が入り、縄からギチギチと音がしていた。ウールはドン引きしたまま心の中で「良い魔王になろう」と誓い、エイリーンと共に執務室へと入った。


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