第17話

 翌日


 ウールは農作業をしているエイリーンを草の上に座って退屈そうに眺めていた。エイリーンはずっと視線を浴び続け何度もウールの方をちらりと見ており気が散っている様子だ。いい加減鬱陶しく思い、ぶんぶんと首を振りウールのもとへ行くと横に座って「何のつもりだ」と不満をもらす。だがウールは「別にいいだろ、ベルムがいないから暇なんだ」と素っ気なく答えるだけで、エイリーンは調子が狂い顔をしかめた。


 すると遠く空の彼方からウールを呼ぶ声が聞こえてきた。二人が振り向くと、土色と緑色の混じった小柄のワイバーンがベルムとグルトを乗せて二人の方へと降りてきていた。


「あれは……ドラゴン?」


「いいや、あれはワイバーンだ。ドラゴンはあれよりも一回り、いや二回りくらい大きくて前足と翼が別に生えているんだ。何より普通の奴がドラゴンを飼いならすのは至難の業、魔族で飼いならせるのは私くらいだろうな」


「言い切るんだな……」


「当たり前だ。だって私は魔王だからな」


 ワイバーンは風を巻き起こしながら二人の目の前に降りると、ねじ曲がった爪が生えている土色の翼を閉じ体を低くした。ベルムはグルトから感謝の言葉を受け取ると颯爽と降りて手を振った。ワイバーンはあくびのような鳴き声をあげると見送られながらグルトを乗せて森の方へと飛びさっていく。


「何を頼まれていたんだ?」


「凶暴化したワイバーンを落ち着かせる手伝いをしていたんです。前にスライムが襲ってきたじゃないですか、あれと同じようなものですよ」


 ウールは合点がいったがエイリーンは何の事か分かっていないようだった。だが魔王城が崩れたことが原因だとはとても言えるわけがないので二人は触れないことにした。


「ところで魔王様、その恰好は何ですか?」


「ん? ああこれか? どうだ、魔王らしく見えるか?」


 ウールは頭に黒色のねじ曲がった小さな角を二本着けており、さらに普段の漆黒のドレスではなく禍々しい鎧を着ていたからだ。そして内側が鮮血のような赤色をした大きな黒色のマントを羽織り、肩には角が一本ずつ生えた肩パッドのようなものが取り付けられていた。


 そんな奇妙な服装をしたままウールはくるりと回ってみせた。だがベルムは微妙な顔のまま首をかしげている。エイリーンはあれが魔族では標準なのかと不安に思っていたが、彼の様子から絶対に違うと確信し安心感を覚えた。


「まあ魔王らしいといえば魔王らしいですが、ねえ?」


 ベルムは困惑しながらエイリーンに答えを求めるが「私に聞くな!」とつけ放された。この瞬間に、二人が似たような感想を持っていたことが共有されたのか同時に頷き視線をウールへと戻した。


「なんだ二人とも微妙な反応をして。魔王らしく見えるか意見を聞きたいんだ、ハッキリしろ」


「いいんですか? じゃあハッキリ言いますけどひどいですよ。そんな恰好しろって言われたら例え仮装でも吾輩なら全力で断りますね」


 エイリーンは容赦ないベルムの言葉に冷や冷やとしていた。案の定しょんぼりと落ち込んではいたが、彼女の心配と裏腹にウールはすぐに気を取り直し、どこがダメでどう改善すればいいか素直に意見を聞き始めた。エイリーンは目を丸くしたまま二人のやり取りを見守っている。


「デザインはともかく作りは目を見張るものがありますね。さすがレッドゴブリン達、といったところですね」


「まあデザインは結構私が口出ししてしまったのだけどな」


「……魔王様、こういうのは無理に自分でやろうとせずプロに任せるものですよ」


 ウールは「痛いほど分かった」と答え森の方へ視線をそらす。すると遠くから走ってくる人影が一つ見え、ウールはあれはなんだと指さした。二人が振り向くと、そこには血相を変えて走ってくるリチャードの姿があった。


 彼は息も絶え絶えで三人の傍にくると何か話そうとする。だが息がすっかりあがって中々話せずにいる。それを見かねたウールは水筒を渡して落ち着くよう言い聞かせた。


「す、すまないウー……ル? なんでそんな変な恰好しているんだ? 全然似合ってないし服に着られている感じがするぞ」


「いや……うん、もう分かっているから」


 ウールは恥ずかしそうに頭から角が着いたカチューシャを取り外した。エイリーンとベルムは「そうなっていたのか……」と心の中で思いながらリチャードの前で小さくなっているウールを眺めていた。


 ウールは気まずそうに角(魔王風)付きカチューシャを持ったままリチャードを見上げると何の用か訊ねる。するとリチャードは急に頭を下げてウールに「クレアを助けてほしい」と藁にもすがる思いで頼み込んだ。





「亡霊が……あいつらがクレアを……」


 ひとまず屋敷へと移ったウール達はリチャードから何が起きたのか他のゴブリン達も交えて話を聞くことにした。そして今、彼の表情に影が差し込み、口が僅かに震えていた。一方でウール達は何のことやらといった様子をしている。だがエイリーンだけは彼の言葉の意味が理解でき、唾を飲み込むと「本当に見たのか?」と訊ねた。


「あんたは……エイリーンか? それにしては随分落ち着いた恰好をしているな。いつもは目のやりどころに困る恰好をしているのに」


 リチャードがそう思うのも無理はなく、今のエイリーンはエメラルド色のロングスカートのワンピースを着ており黙っていればお淑やかに見えなくもないといった雰囲気をまとっていた。これまでの本人はその気はない破廉恥な装いとはかなりギャップがあり、そのせいで有名な彼女の前評判を聞いていたリチャードにとっては予想外だったのだ。


「なッ?! 普段変態みたいな言い方はやめろ! 私は変態ではない!」


 だが誰もエイリーンを擁護しようともせず、満場一致で彼女の主張を否定した。エイリーンの顔が熟れた果実のように真っ赤になるがウールはどうでもよさそうに無視し、話を続けるようリチャードに促した。


「正直この目で見るまで存在しないと思ってた――」




 ポルーネに住む人々や船乗りたちなら皆知っている言い伝えがある。


 海のどこかに『黒の手記』と呼ばれる書物が存在している。それには絶大な威力を誇る魔法が記されているとか、国を操れるほどの財宝のありかが記されているとか、説は様々である。だが実際のところは何が書かれているかは分かっていない。ただ、『黒の手記』を手にしたものは世界を支配できる力を得ることができるのはどの説であろうと共通していた。


 だが、手にするのは何人なんぴとも不可能だと言われている。なぜならそれは海を漂う亡霊達が守っているからだ。それだけでなく、彼らの長おさが肌身離さず持っているからだ。長がどれほどの強さかは定かではないが、遭遇したもので生きて帰ってきたものはほとんどいない。辛うじて生き残った者は二度と海に出ようとしなかった。


 そして帰らぬ者たちは、亡霊達の隊列へと加わり死してなお生きていく。




「そんなおっかない連中が街に来たというのか?」


 張り詰めた空気の中リチャードは静かに頷く。エイリーンはこわばった顔をしたままいつの間にかウールの傍に寄り体を小さく震わせている。ウールはエイリーンの背中をそっと撫でながらどんな状況だったのか訊ねた。ベルムやゴブリン達は顔は引きつっていたが、怖いものみたさであるように前のめりになる。


「あれは陽が沈んだくらいのことだった。俺はその時港の近くにいて、港の方から次々と悲鳴が聞こえてきたから現場に向かった。……着いた頃には悲惨なことになってたよ。数十体の死人が生きているように動き回り、人々を追いかけまわし捕まえていた……。その中にクレアがいたんだ。俺はすぐに助けに行こうとした。だけど恐怖のあまりすぐに物陰に隠れてしまったんだ……」


「なぜだ? 怖いのは分かるがお前らしくない」


「そう、俺らしくない。だけどそうせざるを得なかったんだ。正直言って奴ら自体の強さは多分俺達人間と変わらない。……ただ」


「ただ?」


「……奴らの長だけは格が違う。助けに来た兵士達が成す術も無く次々と殺されてた。肉を切り分けるように簡単にな……。俺は息を殺して隠れることしかできなかった。見つかったら殺される……自分の無力さと目の前にある恐怖でどうにかなりそうだった。そしたら急に静かになったんだ。俺はつい顔を出して様子を見たんだ」


 リチャードはゴブリンから水の入ったコップを貰うと体の内側からこみ上げる物を抑えるように飲み干した。そして大きく深呼吸をすると真っ青な顔で口を開いた。




「……異様だったよ。少ししか時間が経っていないはずなのに、さっきまで戦っていた兵士達がたった一人を残して全員死体になっていた。生き残った兵士は死体の山の上で腰を抜かして倒れていた。そしてそいつに向かい合うように……ウールと同じくらいの少女が剣を兵士の首元に突き立てたまま立ってた。それでこう言ってた……『手記を返して』と」

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