3話 物静かな海辺のまち

結局、あの場所から10分程度で灯台まで着いたのに、そのちいさな港とおぼしきところから、この山のふもとにある旅館まで歩くのにかなりの時間を要することになってしまった。


その道のりのほとんどが急な坂で、重い荷物を引きずっていくのには苦労する。


そして、港の近くにも人はちらほらと見かけるばかりで、閑散とした町並みはただただ静かだった。

古めかしい木造の建物はかつての威厳も忘れて、よそよそしく立ち並んでいる。

そして、灰色に老い果てたアスファルトの道のわきには、矍鑠と地面にしがみつく木々と、生彩に富む植物たちが無秩序に生い茂っていた。


そう、僕は何をしにこの町に来たのだろう。



「お~い!夕凪さん!?」


突然、耳元で声がする。少女が手をメガホンのようにして僕を起こそうとしている。いや、寝てないけど。


「どうしたんです、ずっと突っ立ってて。趣味なんですか?ほら、さっきも」


ぼーっと突っ立ってるのが趣味だと思われているらしい。気づいたら、こうなっているのがままあるのかもしれない。


「あ、ごめんごめん。疲れちゃったのか、少しぼーっとしてた」


首をポリポリと掻いて取り繕う。


「まったく、いきなり話しかけても、叫んでも反応しなくなっちゃったんですから」

少女は口をとがらせる。


僕はもう一度ごめん、と謝った後、

「し、失礼します」

手がすりガラスのドアをノックした。


ノックというとコンコンとかいう擬音を期待するものだけど、たて付けが悪いのか、それはがしゃがしゃと音を立て震える。


一度振り返ってから、扉の引き手に手をかける。

段差があったのか、扉は一度ガチャンと音を立ててから、がらがらとゆっくり開いた。


「こ、

「こんにちは!」

こ、の部分だけ声が重なって、声は扉の奥に響き渡る。


大きな声に一瞬驚いたけど、それもそのはず。この旅館は少女にとっては祖父母の家なのだから。


そろそろと足をそこに踏み入れる。


外から見るとかなり年季の入っていそうだったこの建物も、中は意外と民宿というよりは旅館とに近いような様相で、外よりかは古びれていなかった。


「誰もいないですね」


布団が四枚くらい敷けそうなロビーの右側は上の階へつながっているのであろう階段があって、その奥にもまた通路があった。

そして正面には、こぢんまりとしたカウンターがあったが、もちろんそこには誰もいない。


開けっ放しの扉から入り込んできた海の風が、潮の香りとともに足元のほこりをさらっていく。


「わたし、ちょっと見てきます」


少女はぱたぱたとサンダルを脱いで、階段の奥の通路へと向かっていく。


「あ、ちょっと待って」

後ろから引き留める。


「なんですか?」


そして僕は天井を指さし、

「この、二階ってなにがあるの?」

と尋ねた。


「あ、この上ですか。客室が数個ありますけど長く使われていないと思うので結構汚なかったりしますよ」


「そうなんだ、少し見に行ってもいいかな?」


なんだか寂しげなこの建物のこの、二階だけが少し気になった。


「別にいいですよ。わたしは奥の部屋におばあちゃんを探してくるのでちゃんと戻ってきてくださいね」


少女はそう言って、階段の奥へと消えていった。









一歩足をふみこむたびに、それはぎしぎしと痛みに震えるように悲鳴を上げて、僕を拒絶する。


上を見上げると白熱電球がひとつ、ぷらりとぶら下がっていて。あたりがほの暗いせいか人魂みたいだな、と思う。

見たことなんてないけど。


階段を上ると細長い通路があった。木の板で張られた床には光が沈殿したように薄くほこりもはられていて、どれほどの間ここが時間から取り残されていたのかを物語っている。


積もっている分には害はないようで、大きく息を吸っても澄んだ空気が肺に送り込まれるばかりだった。


遠くの窓から陽ざしを当てられながら、ただ静かに床を見つめていると、うっすらとほこりが剥げて真っ黒い木の色があらわになっているところをみつける。

ちょうど、人の足の形に。


「誰か、」

いたのだろうか。


その足跡とおぼしきものは奥の窓のほうまで続いていた。

足音を忍ばせて、そっと、その足跡をなぞるように進んでいく。


みしり、という音が静けさに響いて、産毛が逆立つような感覚に襲われる。


窓に向かい、歩いていくたびに足元の床はだんだん明るくなっていった。

足跡は、窓のそば、一つの扉の目の前で消えている。


それは、この部屋のなかへと続いているのだろうか。

足跡が一方向につながっているのを見る限り、部屋の中にはまだ人がいるのかもしれない。

少女の祖母、なのかもしれない。


僕は恐る恐るドアノブに手をかける。



だが、直前で思いとどまる。

木造の、古ぼけたこの建物は一応旅館なのだ。

かく言う僕もここに泊まるつもりでここに来たのだし。 いや、少女に誘われたんだっけ。


扉の、木目と同じ向きに、そっと手を添える。

夏の陽ざしで暖められたのだろう。扉はまだ少しだけ、熱を持っていた。


だけど、この部屋のなかが、足跡が、気になるのは確かだった。

「よし、扉に鍵がかかっていたら潔く帰ろう」

僕は意を固める。


なにせここは旅館なのだから、鍵をかけないなんて不用心な客はいないだろう。

鍵をかけていなかったとしたら、きっとそう、少女の祖母がいるんだ。たぶん。


そしてまた、ドアノブの上にそっと手をのせた。

ぐっと前に体重をかけると、思いのほかそれは軽く回って。

気付いたら僕はもう、その空間に、足を踏み入れていた。




入った瞬間、そのあまりの白さに、僕は目が眩むほどだった。


白だと思っていたものの正体は光で、僕はその空間の様子を目が慣れるほどにだんだんと感じ取れるようになる。


入って正面にあったものは大きく開け放たれた窓で。


目の前には空中に浮遊する無数のほこりが、まるで光の粒子のように瞬き、煌めいていた。

それはまるで夜空に浮かぶ星々のようにドラマティックかつ繊細で、僕は思わずうなだれる。



そこに、女性が、ひとり、横たわっていた。


赤ん坊のように体を抱えうずくまって、

そして透き通るように真っ白な髪が、まるでつばさのように地面に広がっている。


あまりにも静かなこの部屋で、すーすーと女性の立てる寝息だけが響き渡っている。


子供じみた、と言ってはもっと大人びている、だけどすこし幼さを残した顔立ちをしていた。

淡い水色のワンピースは彼女の真っ白な肌によく似合っていて、恐ろしいほどだった。


息を吐きだす度にくちびるが小刻みに震える。

光の粒子はゆっくりと、ただゆっくりと、その女性の上へ積もっていく。


なんだかその光景が、夢の一場面のように美しくて。

僕は永遠に、この場所で立ちすくんで、この光景を見つめ続けているような気がした。






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