二〇一三年 四月三〇日

 心臓はバクバクと激しい音を鳴らし、手は汗でびっしょりだった。メールボックスを開くと私は鋭い目つきで第一次審査の合否を確認するリンクと睨めっこしていた。あれから約一年という年月が経ち、私は無事二冊の小説を完成させることが出来た。学校生活とバイトとの両立だったため、それほど執筆に時間を当てることが出来なかったがそれでも毎日コツコツと空いた時間に執筆を続けることで物語を完成させることができた。正直、今だに自分が最後まで書き切れたことが信じられない。どうせ養成所の時と同じように途中で投げ出すだろうと思っていたし、結局失敗に終わるだろうと思っていた。

 七時まで後、二〇分。さっきから時間が遅く進んでいるように感じるのは気のせいだろうか。何となく気分が落ち着かなかったので、私はうろうろと部屋を歩き回っていると片手がハンガーに当たってしまい、服が床にどさりと落ちてしまった。苛々しながら素早くそれを手に取りハンガーに掛けようとした時、ふと高校生の頃の記憶が脳裏を蘇った。毎朝、ワイシャツにブレザーという学校で決められた服を着用し大嫌いな学校へ登校していく毎日。苦しくても泣き言を言わずに平然とした顔で教室の中にいる私。興味がない科目でも点数のため、大学のために一生懸命勉強しなくてはいけない拷問のような日々。理想の人間関係を築きたくても、現実は全く思い通りにならず生きている心地がしなかったこと。

 ―どれも全部辛かった

 だけど、今になって私は思う。本当はいつまでもその小さな世界にいる必要なんてなかったということを。どうしても辛かったらすがすがしく辞めてしまえばいいのだ。やりたいくないことをわざわざする必要はないし、誰かと比べずに自分が歩みたいと思う人生を素直に歩いていけばきっとそこには本当の喜びが待っているのだと思う。だから私も高校なんてさっさと辞めてしまえば良かったのかもしれない。しかし、それでも今まで学校で苦しんだこと、新しいことに挑戦して失敗したことには意味がなかったとは思わない。当時はそんな風には思えなかったけど今ならそう言える。だって、もしこれらの苦しみや失敗がなかったら今の小説は存在していないのだから。

 再び時計に目をやると、七時まで残り五分というところだった。机に戻り心を落ち着かせようと手を組んだが、落ち着こうと思えば思うほど呼吸は浅くなっていった。そんな時だった。突然スマホの着信音が鳴ると私はすぐにスマホを耳に当てた。要件は分かっていた。

「もしもし、俺」

 電話越しから彼の声が少し震えているのが伝わってくる。

「俺もこれからパソコンのメール開けるね。いやー結果はもう昼頃に出ていたんだけどさ。やっぱり一緒に見たいなと思って」

 彼はちょうど俳優の養成所での預かり期間を終え、正式に事務所に所属出来るかどうかが今日発表されたようだった。私が声優の養成所に在籍していた頃に比べて人数も数倍いたので、最終的に事務所に残ることは想像を絶するほど難関だった。

「俺、無理かもしれないわー。実は来月に放送されるドラマのオーディションが俺たちの最後のテストだったんだけど、あんまり監督さんからの評価が良くない感じだったからさ」

「え??お前、凄いな!もし、合格したらお前の顔が全国放送で流れるわけだろ!お前も遠いところへいっちゃうんだな」

「脇役だからほんの少ししか映らないよ。まじで」

「やっぱ相沢はすげえよ。夢を現実に変える力があるんだから」

「まだ分からないって」

 私はごくりと唾を飲み込むと、わざと冷静な口調を装うように言った。

「七時だ。じゃあ一緒に開こう」

 リンクをマウスでクリックすると、IDとパスワードが表示された画面へと移動した。打ち間違えがないようにキーボードと画面を交互に見ながら丁寧に打ち込んだ。

「じゃあせーのでクリックしよう!」

「よし!いくぞ!せーの」

 私はゆっくりと深呼吸をすると、ぎゅっと瞼を閉じたままマウスの右クリックを押した。


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