二〇一一年三月一八日

 自分を変えようと決心したあの日から私は現在も修行僧のように毎日同じ生活を繰り返している。その成果があってか、二月に行われた期末テストではどの科目も八〇点以上とるという前代未聞の出来事が起こった。それに関して河西先生は私を職員室に呼び出し褒め称えると、私は完全に有頂天になった。

 るんるん気分で家に帰ると私はいつものように勉強机に向かわず、久々にベッドに直行した。明日からは春休みだったこともあり、気が抜けてしまっているのだろう。その瞬間、涙が目尻からあふれて両方のこめかみの所をくすぐるようにするすると流れ落ちた。それは今まで溜まっていた疲れが一気に吹き飛ぶような感覚だった。

 突然、涙が出るのも当然だ。この三ヶ月間は自分に鞭を打って、毎日同じことを繰り返しているせいで感受性が麻痺していたのだから。本当はやりたくもないのに勉強を無理矢理することは想像以上に辛く、神経をすり減らした。そのせいでここ最近はちゃんと眠れる日が少ないくらいだ。だが、ここまで自分を本気で変えようと思ったのは、母の気が変わってしまうのではないかと恐れていたからだ。実は安定した職業に入るためにはある程度の学歴が必要だというのはあくまで建前で、本当はそれなりの大学に行ってほしいというのは本音だったのではないかと考えていた。とはいっても学歴が世間で重要視されていることは事実なのだろう。それでも私はその称号を得るために必死に勉強する学生達が何だか馬鹿らしくみえた。

 やっぱり相沢が言うように結局私は、自分を自ら修行に晒しているだけなのかもしれない。でも、それならちゃんとした見返りが欲しかった。これだけ頑張っているのだから、志望大学へは必ず合格しなければならない。

 ただ、そんな息苦しい生活を送っていながらも、一つだけ嬉しいことがあった。それは細田達からの嫌がらせがほとんどなくなったことである。正確に言えば、授業中以外はほとんど教室にいることがなかったため、彼らの被害を受けずに済んだという表現の方が正しいのかもしれない。特に昼休みは授業で分からなかった箇所はあやふやにせず、ほとんど毎日のように職員室へ行って担当の先生に質問していた。そして、それが全くない時は保健室の先生とおしゃべりをしながら昼飯を食べた。美味しいご飯に美しい人、これほど一石二鳥という四字熟語ほどピタリとあてはまる言葉はないだろう。

 もしこのことを誰かに話せばきっとその人は「いい方向に変わっているね」と思うのかもしれないが、実際は前よりも辛いと感じる度合いが大きくなっていた。志望大学に絶対合格しなければならないというプレッシャーが重く、心が不安的な状態が続いたからだ。学校ではそうした素振りを見せることはなくても、家の中では毎日のように心がそわそわした。今までは家の中だけはリラックス出来たのに、今度は勉強しなきゃいけないという一種の脅迫観念が頭の中に浮かんでくるがために家にいる時の方が気持ち的に沈むことが多くなった。

 だから本音を言えば学校にいる時の方がリラックスすることが出来た。職員室に行き、先生に「最近は勉強、頑張ってるね!」「偉いね」「志望大学受かるかもしれないね!」と声を掛けてもらえることが嬉しくて仕方がなかった。そして、その頑張りを保健室の先生にまで認めてもらうことで私はエクスタシーを感じていたのだ。彼らは私のことを愛していくれている、認めてくれていると本気で思っていた。だから、もっと他の教師達から褒められたいがために朗読の練習を一切辞め、狂ったように四六時中勉強することが生きがいとなっていた。

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