二〇一〇年一二月二一日

 カーテンの隙間から日が差すと、瞼がゆっくりと開いた。別段いつもと変わらない朝だったが、私の心だけは昨日までとはまるで別人のようだった。それが原因かは不明だが今日は高校に入学してから初めて目覚まし時計なしに起床することが出来た。

 さっとご飯を食べ終え、身支度を済ませると私はいつものようにイヤホンを耳に差し込んだ。しかし、耳に流れてくる音楽は今まで毎日聴いていた「白い羽」ではなかった。それは私の人生を変えてくれた音楽であり、辛い時に必ず聴きたくなる音楽。あの黒人のラップだった。

 激しいビートを刻みながら聴いている人に強く訴えかけるようなラップは私に困難へ立ち向かう勇敢さを与えてくれた。また、私は自分が未来において望んでいることを頭の中で映像化させながら聴いた。希望に満ち溢れながら元気よく大学を歩いている自分の姿、養成所でメキメキと力を伸ばしながら成長していく自分、数には恵まれないものの良き親友がいる自分。

 —恐れが最も危険なんだ。大丈夫きっと全て上手くいく



 教室に着いても、私はすぐにイヤホンを耳から外すことはしなかった。周りの人からは奇妙な目でじろじろと見られたが、私はそれを気にしないようにした。

 ホームルームが始まると、河西先生はいつものように少し遅れて教室へとやってきた。しかし、この後の展開はいつもとは違う。私は席からさっと立つと、攻撃的な態度で先生が立っている教壇まで歩いて行った。皆の視線が自然と私へと集まる。

「先生、昨日渡されたテストの間違い直しをしたので、確認をしてもらっても宜しいですか?」

 昨夜はあれから夜中の三時過ぎまでテストの間違い直しをしていた。どの科目も点数が悪かったせいで直しを終えるまでに時間が掛かったが、なんとしてでも明日までに皆の前で先生に手渡したてやりたかったので、それをモチベーションに私は机にしがみついた。

「はい、有難う」

 河西先生の対応はそっけなく見えたが、内心嬉しそうな感じにも見えた。 私は胸を張って堂々と自分の席に再び着くと、すぐに次の数学の時間の用意をしながら先生の話をおとなしく聞いた。



 私の大嫌いなもぐらがいつものように黒板に数式を書きながら教科書の説明をしている。今までの私なら、彼と目線を合わせないようにノートを取ったりしていたが今日はなるべく彼の目を見るように意識しながら授業を受けた。最初は彼もその様子に戸惑っていたが、段々と私のことを気にとめないようになると以前のように私のことを睨みつけたりすることはなくなった。

 また、私は授業が終われば必ず分からなかった問題を質問しに行くような癖を付けた。もぐらの場合、最初は目を合わせて貰えるのに苦労したが、勉強に対する熱意を買ってくれたのか私への警戒心を少しずつ解いていった。やっぱり教師というのは頼られたり、質問をされたりすることが好きなのだろう。これを機に少しずつ彼との関係が好転していけばいいと思った。

 もぐらの授業に限らず、私はどの授業にも積極的に参加するようになった。鬱陶しくない程度に発言をしたり、もぐらの時と同様に分からない事は何でも先生に聞いた。例え、彼らが早々と職員室に向かっても私は彼らを追いかけ、その日の授業で分からない箇所が一切ないという状態を徹底した。

 これが果たして私が望んだ答えなのかは分からなかったが、今は一生懸命勉強を頑張ることで生きがいを感じるようになっていた。いや、本当はきっとそうなるように脳を騙していただけなのかもしれないが。



 自宅に帰ると、私はすぐに学校で学習したことを復習した。教科書やテキストの問題の横に書かれたバツ印を中心に何度も解き、次からは絶対に間違えないように意識した。それが終わると、今度は学校で出された課題をこなす。ここでも自分が分からなかった問題は必ず次の日に先生に聞くという習慣を徹底させた。そして、ちょうどこれらを全て終える頃には夕飯の時間となる。

 それに加えて、私はいつにも増して母とコミュニケーションを取るようになっていた。しかし、これはストレスを解消するためにそうしていたというのが正解かもしれない。いくら脳を騙して一生懸命、勉強していても精神的な負荷は掛かっていた。それにそれが毎日続くとすればどんどんストレスが蓄積され、暴走するのも時間の問題となる。だから、私にはそれらを解消する手段が必要だったという訳だ。

 また、その一環として風呂に入る前には必ず朗読の練習を三十分程度した。これも今やストレスを解消する手段になりつつあった。声を思いっきり出すことはとても気持ち良かったし、毎日好きなことに触れられることは心から嬉しかった。本当は四六時中、練習したいくらいだったがいつも自分にこう言い聞かせることで自制した。

 —全ては未来のためだから仕方がない。残りの学校生活は我慢して勉強に集中しよう

 私は就寝の前にも必ずこれを呪文のように唱えた。

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