二〇一〇年 九月六日

 薄暗い部屋の中で目覚まし時計が鳴った。ここ数日はぐっすりと睡眠を取ることが出来ず、毎日青ざめた顔をして学校へ登校していた。特に今日の目覚めは最悪で久々に悪夢を見てしまったほどだった。

 今頃、彼は引越しの準備をしているのだろうか。それとももう神奈川に引っ越して、新しいマンションに移ったのだろうか。ぼおっとそんなことを考えていると、彼の言葉が私の脳裏を過ぎった。

「自分が勝手に修行にしているんじゃないかって」

 何故かこの言葉はここ数日私の脳内で何度も再生された。正論を言っているはずなのに私は内心どこかいらついていたのかもしれない。なぜなら、今いる環境は決して自分の意志でいるわけじゃなかったからだ。中学を卒業した人は高校へ進学することが常識だと思っていたし、両親からも行けと言われるのでしぶしぶと高校を受験しただけた。

 そんな私はよく考えみればロボットとさほど変わらない存在なのかもしれないと思った。だって高校に行く選択技以外選ぶことが出来ないのだから。そもそも私には何の才能や取り柄もない男だ。勉強以外何か出来るかと聞かれれば即座に私は何もないと答えることしか出来ない。だから、たとえ高校を中退したとしてもやりたいこともなければ手に職を持つ技術もない。もし、空からお金が降ってくるなら毎日だらだらとアニメを見て勉強しない生活をしたいというのが本音だった。でも、それは絶対に叶わぬ夢だ。そう考えてみれば私は神様に設計されたロボットであり、そこに組み込まれたプログラム通り生きている存在と言っても過言ではないだろう。

 そんなことをぐだぐだと考えていると、段々とむかむかしたものが腹の底から込み上げてくるのを感じた。相沢にはあんなに光が当たっているのに、私には明るい太陽は差して来ない。むしろ日に日に雨雲が増えていく一方だった。

 時計に目をやると、これ以上くよくよ考えても時間がだらだらと経つだけだと思ったので急いで制服に着替えると顔を洗った。いつものようにご飯を食べ、バス停まで歩くものの何故か全ての動作がぎこちなく、まるで自分が自分ではないような感覚に陥った。

 学校の正門を潜ると、症状はもっと酷くなり私はふわふわと宙に浮く感覚を覚えながら道を歩いていた。すれ違う人がひそひそと何かを言っているのが聞こえたが、不思議と全く気にならなかった。それどころか道を歩く人たちがただのノンプレイーヤキャラクターにさえ見えたほどだった。

 蛻の殻になりながら教室へと入ると、私はバッグを床に落とし窓側の方向を向くようにして机にうつ伏せとなった。

「なあ、俺先生から聞いた話なんだけどさ、相沢って転校したらしいぜ。どこへ行ったかは具体的に聞いてないけどさー」

「まじかよ。でも何か、勿体無いよな。この高校でしっかり勉強していればそのままいい大学に行ける可能性もあったのによ」

「村道のやつ、相沢がいなくなったらからってすねてやがるんだよ」

「そりゃあ恋人がいなくなって悲しくならない奴のほうがおかしいだろ。それにエッチも出来なくなるしな」

「じゃあ、これからは遠距離恋愛だな。電話越しで変なことでもするんじゃないか」

「おい、やめろよ。村道のやつに聞こえるだろ」

 クラスの誰かがギャハギャハと笑いながら相沢のことについて話しているのが聞こえた。私は彼らの声を聞いているだけで反吐が出そうになったので、トイレの中でゆっくり落ち着くこうと考えた。席を立ち彼らの前を通ると、私はきっと彼らを強く睨んでやった。それも殺意を感じさせるような目つきでじっと見つめていると、彼らはぎょっとした顔を見せると顔をさっとそらした。

 —なあ、相沢、お前が言ったことは正しいのかもしれない。でもさ、この世には自分の意志だけじゃ、どうにもならないことって本当にあるんだよ。

 私はトボトボと階段を上り二階にある一番奥のトイレに入ると、一限目が始まるまで心を落ち着かせようと努めた。



 昼休みの時間になると、私はバッグを片手に持ち一人で別館の方まで歩いていった。今までなら相沢と一緒に空き教室を探して、ご飯を一緒に食べていたが今はもうそれが出来なかった。

 なんとなく保健室の先生に会いに行こうかとも考えたが、結局私は保健室を通り過ぎるとその隣にあるトイレの中へと入った。中に誰もいないことを確認すると、私は一番奥の個室に入り勢いよく扉をガタンと閉めると鞄の中から弁当箱を取り出した。弁当の匂いが嗅覚を刺激すると私は動物のように次々と食べ物を口に入れた。相沢がいなくなってから最初の数日間は教室で昼飯を食べることがあったが、一人ぽつんと端っこの隅で食べていることが寂しくて食べ物が喉に通らなかった。でも、ここでは誰にも気を遣うことなく思う存分ご飯を食べることが出来る。

 ―何をしたっていいんだ!

 それから私は授業の時間が始まるまでスマホで音楽を聴いたり、読書をしたりした。まるで自分の家にいるような気分だったせいか、この空間から出ることがとてもおっくうになってしまっていた。

 —明日からは毎日ここに来なきゃ。

 一人ぼそっとそう呟くと私はニコニコした顔で弁当箱を鞄の中へとしまった。


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