二〇一〇年八月三一日
私がまだ中学生だった頃、この世はきらきらとした光に満ち溢れていた。学校へ行くことは毎日心から幸せだと感じていたし、自分の家よりも学校の方が好きなほどだった。
学校に行けば、クラスメイトは全員友達だったので誰にでも声をかけては皆で和気藹々としていた。人を純粋に愛していた私は、どんな人に対してもニコニコしながら話しかけていたことを今でも記憶している。当時は、生きることがこんなに幸福であっていいのかと何度も思ったし、これから大人になったらもっと素晴らしい未来が待っているのだろうと本気で考えたことさえあった。
また、今になって考えてみると幼い頃の自分はいい意味でとても目立ちたがり屋だった。それは人から愛されたいという欲求の裏返しかもしれないが、それよりも皆がただ笑ってくれることに私は心の底から喜んでいたのだ。だから、ひまわりのようにいつも元気だった私は道化となり、どうすれば皆がケラケラと笑ってくれるのかいつも熱心に研究していた。クラス内で面白い発言があれば、それをさっとメモ帳に書き留めると、翌日の授業でタイミングを見計らいながら馬鹿げたネタを披露し、皆の笑いをとったりしていた。
当時の行動を改めて振り返ってみると、そうした行動はやっぱり私が人から愛されることに快感を覚えていたからと結論付けたりもしたが、それよりも本質的に私が人とコミュニケーションをとって楽しい時間を過ごしたいという純粋な気持ちから来ていたと感じる。誰でも小学生の頃はそんなものだろうと思うかもしれないが、今と比べると学校にいる全員が友達で毎日を天国のように過ごしていたことは決して忘れることのできない幸福な時間だったのだろう。
加えて、私は自分のことを勉強がよく出来る人間だと思い込んでいた。たいした努力をせずとも、いつも返ってくるテストの点数は八割を超えていたので頭がいいという幻想から抜け出すことは困難だった。だから祖父の家に遊びに帰った時は大学院で学ぶ数学の教科書の解答を開いては訳の分からない数式を真剣に一枚の紙に写しながら、さも自分が解いたかのように机の上にその痕跡を残すという中二病じみた行為をすることさえあったほど自信過剰な時期であったことを認めなくてはならない。
しかし、こうした幸福な時間は高校に入学してから一転した。それはまるで今まで太陽の光を浴びてすくすく成長していた花が突然、砂漠状態に陥り一気に枯れてしまったかのようだった。
私が通っていたN高校に限った話ではないかもしれないが、クラスの生徒達は他者と境界線を作り、縄張りのようなものを作る傾向にあった。気軽に誰にでも話しかけてしまう性質を持つ私は、同じクラスのグループを見つけてはぽつりとその中に入って会話に混ざろうとしたことがしばしばあった。しかし、私が何かを発言してもほとんどろくに返事を返してもらえず、おまけに目もほとんど合わせてもらえないというショッキングな出来事に遭遇した。私は純粋に何故、彼らがそのようなことをするのかまるで理解出来なかった。(結局、後になっても分からなかったが)
だから、感受性が人一倍強かった私は心の中で深く傷ついた。表情には出さなかったものの、自宅に帰り寝室でぼおっとすることが中学の時に比べて多くなっていた。そんなことで傷つくなんてどれだけ精神的に弱いんだよと思う人も多いかもしれないが人間を深く愛していた私にとり、こうした些細な出来事で起こる不快な感情が私の心をえぐっていったのだ。思えばこうした小さな積み重ねが私を少しずつ「クラスでの透明人間」へと変えてしまったのかもしれない。
特に私がショックを受けたのは、クラス内で行われる陰湿ないじめだった。高校に入学するまでは高校生がいじめをするなんてありえないと思っていた。一般的な世間においても、「高校生がそんな下らないことはしない。いじめは中学までだろう」という認識が多数派を占めるだろう。でも、現実は違った。現に私のいる高校ではそれが行われているのだから。
県内では偏差値の高い高校と知られ、どの生徒も賢そうに見える生徒達ばかりだが、それはあくまで表面的な姿にすぎなかった。きっと、今まで賢いからこそ彼らによるいじめは教師どころか親にさえ知られず、いじめの実態が公の場に公表されることがなかったのだろう。
こうした人間の汚い部分を見るにつれて、中学までに培われた「人間は本来善の存在であり、誰しもが互いに分かり合える存在だ」という観念は一気に朽ち果ててしまったのだった。
結局、私は適当なグループに所属したものの、上手く和の中に馴染むことが出来なかった。別段、グループに対して嫌悪感を抱くようなことはなかったが、深く付き合いたいと思えるような人達がほとんどいなかった。それは私と彼らの波長が合わなかったかどうかは不明だが、わざわざ自分を偽ってまで好意的に接したいとは思わなかった。
それからというものの、私は徐々にクラスの中で孤立していくようになり、他の生徒からは浮いた存在と認識されるようになっていった。初めのうちは「あいつ、いつも一人でいるよな。友達が出来ないってことは性格が悪いんじゃないか」といった有りもしない噂を立てられることもあったが、何も言い返さず無視し続けていると、勝手に邪気は少しずつ退散していった。
勿論、すぐに孤独を受け入れることは容易ではなかったが、自分と似た感性を持った人はこのクラスにはいないだけで、またいつかそうした人と出会えるといったポジティブ精神で俗に言う「ぼっち」というものに慣れていった。
でもこの時の私は無理して強がっていたと思う。まだ、友達とワイワイしたい年齢であるはずなのに、それが出来ないことはとても辛かった。自宅に帰ると、強い虚無感に襲われ、今にもベッドで泣き出しそうになったことが何度もあったが、両親に心配を掛けたくなかったのでいつも立ち直ろうと努力していた。
悩みの種は人間関係の面に留まらず、学業面までも私を酷く苦しませた。進学校ということもあってか、優秀な生徒が多い中でここでも私だけが浮いた存在だった。(悪い意味でだが)だから、いつも教師に当てられては質問に答えることが出来ず、周りの生徒達からは「またお前か」と言わんばかりに呆れた顔をされることが多かった。
また、テスト前は常にピリピリと生徒達の間で緊張感が張り詰め、他の誰よりも良い点数を取ることを目標にカリカリと勉強する生徒が多かった。こうしたサバイバル社会はまるで動物界における弱肉強食のように、強い者を決めるトーナメント戦のようだったので私にとっては息が詰まるものだった。
誰かと競争することが苦手だった私は、勉強の目的は本来誰かより勝ることにあるのではなく、自分が知らないことを既知にすることだと思っていた。しかし、教師やクラスメイトは私をいつも誰かと比べては「どうして周りの子に比べてあなたは出来損ないなの」、「あいつ、いつも一人でいる陰キャラなのに勉強も出来ないとか、何もいいところないじゃん」、「ただの無能」と私のありのままの存在を承認してくれる人は誰一人としていなかった。
台所から「秋悟、ご飯よ」という母親の声を聞いて、私はふと我に帰った。いつの間にか時計は夜の八時を回ろうとしていた。初めての日記にしては、ページは字でびっしりと埋まっていた。こうして、普段からほとんど誰ともコミュニケーションをとることがなかった私は心の底に溜まった感情を文字として表すことで、一種のカタルシスを経験していた。
日記帳を机の中へと閉まい、軽くのびをすると空気の入れ替えをするために窓を開けた。ひゅるりと網戸を通して入ってくる冷たい風は私の眠気を覚ますと同時に現実世界へと引き戻すのだった。
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