第8話 再び警備員室

 目的の駅のホームから階段を駆け上がり、改札から商店街の方へ僕らは走り抜ける。


 横断歩道を渡り、仕事終わりのOLやバイト帰りらしい大学生たちの雑踏の中をかき分けて必死に進む。


 そして、あともう少しで目的のスーパーマーケットというところまで来たのだが。


「……ごめん。月ノ下くん。……先に行って」


 荒い息の下から星原が途切れ途切れに声を漏らした。


 文化系女子の星原には体力的に苦しくなってきたようだ。とはいえ僕も体育会系という訳ではないしそんなに余裕はないのだが。


「わかった。星原は後でゆっくり来てくれ。……多分スーパーマーケットの裏手の非常階段の上にある警備員室にいるはずだ」

「ええ。……お姫様を助けるナイト役は男の子に任せるわ」


 そう言ってその場で深呼吸を始めた。


「行きましょう。月ノ下さん」


 浅井くんに促されて僕は更に商店街の奥へ突き進む。


 ようやく目的地のスーパーが見えてきた。


「それで……どこなんです?」

「こっちだ。裏手の関係者入り口!」


 僕はスーパーの駐車場裏にある非常階段を駆け上がると、ノックもせずに警備員室のドアを開けた。




 僕の目に飛び込んできた室内の様子は二日前に入った時と特に変わっていなかった。

 壁には監視カメラの画像を表示するディスプレイ。そしてデスクの上にはパソコン。


 そしてそこには竹芝という警備員と星川さん、それにあの大門という警備員もいた。


 大門さんは監視カメラを見ながら報告書を作っていたが、急に入ってきた僕らを見て少し驚いた顔をする。


 一方、星川さんは、ビジネスチェアに腰かけた竹芝という警備員からカメラを受け取りながら会話を交わしていた。


「……ありがとうございます。これがそのカメラなんですね」

「いやあ。ちょっと苦労したよ。これで間違いないと思うんだが」


 星川さんはドアの音を聞いて僕の方を振り返って一瞥する。


「月ノ下さん。いらしたんですか。今、竹芝さんが見つけたカメラを確認しているところです」

「……そうか。じゃあ一応『間に合った』みたいだな」


 星川さんは「今は僕のことよりもカメラが重要」と言わんばかりに再度竹芝さんに向き直ると受け取ったデジタルカメラを起動して中の画像を確認していた。


「ああ。良かった。画像データも残っていますね。持ち主のお母さんと赤ちゃんが映っています。間違いなくこのカメラみたいですね」


 彼女はそう言って微笑した。


 竹芝が「それは何より」とさわやかな笑みを浮かべながら頷き返す。


「でも、どうやって見つけ出したんです?」

「君から盗まれたカメラのメーカーと型番をメールで教えてもらっただろう? それで犯人は恐らくインターネット上のフリーマーケットサイトの類で売買しているんじゃないかと思ってね。ここ数日で売りに出されている商品で当てはまるものを探したんだ。ただ、残念ながらこの手の売買サイトは個人情報を明かさないことが多いから犯人の特定は難しいかもしれないな」

「そうですか」

「ちなみに謝礼として二十万が持ち主からもらえるという事だったけれどさ。君の方からその人に話を……」


「その前に」とここで星川さんは鋭い目で竹芝を見つめた。


「確認したいことがあるんですが」

「確認したいこと?」


 竹芝は怪訝な顔になる。


「いえ。デジタルカメラについて私が教えたのは型番までで『色』は教えていなかったのに、よくこれが盗まれたものだとわかったな、と思いまして」


 竹芝はその言葉に一瞬黙り込む。が、誤魔化すように再び笑みを浮かべる。


「いや、だってたまたま売りに出ていたのがその色だけだったから」

「そうでしょうか? 私の方もその手のサイトを調べてみたんですが、この機種は黒・赤・白の三色の製品があって、その全てが普通に販売されていました。まあ販売されて数年経過した商品ですから、多く出回っていてもおかしくない。それなのに何故、この白いカメラが盗まれたものだと特定できたんですか?」

「……いや、ほら。この数日間で売りに出ていたのがこれだけだったんだよ」

「では、あなたがこれを落札したという事ですよね。そのときの出品者とのやり取りの記録は見せられますか」


 竹芝の表情から笑みが消える。


「お前、何が言いたいんだ」

「いいえ。ただ、もしもあなたがこの盗まれたカメラをで謝礼を得るために取り下げたのだとしたら、そもそも取引の記録など残らないだろうな、と」

 

 その場の空気が破裂しそうなほどの緊張感を帯びる。


「取り込み中のところ、悪いんですが」と僕も口を挟む。


「何だ、お前。この間一緒にいたやつか」と竹芝が僕を睨む。


「はい。一つ聞きたいんですが、さっき僕が入ってきたとき皆さん少し驚かれていたみたいですね。……監視カメラに僕たちは映っていなかったんですか?」

「ここの監視カメラは定期的に首を振って角度を変えているんだ。駐車場の歩行者入り口からこの事務所の間はあまり映す必要がないだけだ」

「じゃあ例えば設定を調整して意図的に映さない場面をつくることも可能なんじゃあないですか?」


 だが竹芝は僕のこの発言に苛立たしそうに吐き捨てる。


「馬鹿を言うな。設定は管理者のパスワードがなければ変えることはできないんだぞ。なんだ? 監視カメラの使い方をレクチャーしてほしいのか?」

「ええ。是非聞きたいですね。何の痕跡も残さずにカメラの設定を変えることができるのか」


 さっきから横で書類作業をしていた大門さんが竹芝と僕のやり取りを見聞きして、考え込むような表情になる。


 ……もしや何か思い当たるのだろうか。


「やあ。星川。……元気そうだな。助けはいるか?」


 ここで後ろで様子を伺っていた浅井くんがひょっこり顔を出した。


「浅井。そうね、頼んだ覚えはないけれど。見せ場が欲しいなら譲るわよ?」

「それはどうも。……えっと竹芝さん?」


 浅井くんは一歩踏み出して竹芝に呼びかける。


「誰だ、そいつの連れか? 今度はなんだ?」

「一つ聞きたいんですけど。そこのシフト表によるとあなたの勤務する日は月・水・金。他の日は非番みたいですね」


 彼はドアの横に貼られたシフト表を指さしながら確認する。


「だからどうした?」

「いえ。警察の人に聞いたんですけど、この駐車場で車上荒らしが多発する日は火曜と木曜。ちょうどあなたが休みの時なんですよ」


 竹芝は「ぐ」と動揺して微かに声を漏らす


「例えば、あなたが仕事終わりに監視カメラの設定をいじって、非番の日に窃盗をやりやすくする。そして次に勤務する時に設定を元に戻すなんてこともできるんじゃあないかな、なんて思いまして」

「……お前ら、何をしに来たんだ」


 これには星川さんが鋭い表情で竹芝に向き直って答える。


「数万円程度のデジカメが二十万になるのならと欲をかいたのが失敗だったわね。もちろん窃盗犯を捕まえに来たのよ」

「……どちらにせよ『盗品のカメラが見つかった』ということであれば警察に連絡して手に入れた経緯を調べてもらう必要がありますね」


 僕も肩をすくめながら口を挟んだ。


 浅井くんもここでスマートフォンを取り出しながら口を開く。


「いや、もう連絡しましたよ? ついでに監視カメラの設定履歴も調べてもらいたいところですけどね」


 横で話を聞いていた大門さんは、半ば青ざめて立ちあがる。


「……竹芝。どういう事なんだ?」


 だが竹芝はこれには答えずそのまま「どけえっ!」と叫んで突進してきた。


「え?」

「わっ」


 急な展開に驚いて、出入り口の前に立っていた僕と浅井くんは思わず避けてしまった。


 車上荒らしの常習犯はこれを好機とばかりに部屋から逃げ出してしまう。


「しまった! 廊下の方に星原さんが!」と浅井くんが叫ぶ。


「何だって?」


 少し遅れてきた星原が非常階段に続く廊下で待っていたらしい。


 このままでは竹芝と鉢合わせしてしまう。


 僕は急いで後を追うが「邪魔だ! ガキ!」と叫ぶ声が廊下の方から響いてくる。


 間に合わなかったか!


 僕が廊下を覗き込むと、星原は驚きながらも避けようとして身を廊下の端に寄せていた。


 一方、一刻も早くこの場を離れたい竹芝はそのまま星原の横を通り抜け、非常階段に飛び込んでいく。


 ……が、その直後「うわああああ!」という悲鳴が響いた。


「え?」


 星原が僕の方を見てニンマリと笑う。


「いやあ。こんな展開になるかと思って仕掛けておいたの」


 彼女がそっと指さす先を見ると、駐車場の出入り口を区切るのに使うチェーンが非常階段の足元に張られていた。


 僕がそっと階段の下を伺うと、足を踏み外した竹芝は転げ落ちて完全に昏倒している。


「まあ。これでテストの息抜きを邪魔された借りは返したわ」


 いや、しれっと言っているけど。


「これ、一歩間違えたら首の骨を折ったりしないか?」


 僕が思わず彼女をまじまじと見つめると「だって、別に私が突き落としたわけではなくて、たまたまチェーンを張ったところに自分から突っ込んでいったんでしょう?」と悪びれずに答えた。


 星川さんと浅井くんも目を丸くしていた。


 まあ、結果オーライとしておこう。


 僕がほっと一息ついたところで、スーパーの駐車場にパトカーが入ってくるのが見えた。

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