第7話 彼女の真意
「そう。あの星川さんという子。そんなことをしていたの」
隣で星原が悩ましい顔で眉をひそめた。
日はかなり西に傾いて空は紅葉色に染まっている。
スーパーの駐車場で星川さんと遭遇した翌日の夕暮れである。
僕は学校で星原と勉強会を済ませて、最寄りの駅まで一緒に歩いて家路に着こうとしているところだった。
「うん。確かに行動力が突出しているようなところはあったんだけれど、すこし無茶が過ぎるような気がしたな」
一緒にいる浅井くんの苦労がしのばれる、と僕がそう言いかけた時だった。
「……あれ?」
「ああ。月ノ下さん」
噂をすれば影が差すというやつなのか。浅井くんがたまたま駅前の通りを歩いているではないか。
声をかけると彼は相変わらずの落ち着いた雰囲気で軽く会釈を返す。
「どうしたんだ? こんなところで」
この駅は三月学園に通う生徒たちが使う路線からは少し外れているのだが。
「学校の授業で使う課題図書を買いに来たんですけど、意外と近くの本屋だと見つからなくて。……こっちまでくればあるんじゃないかと足を伸ばしたわけです」
言いながら彼は手に持った本屋の手提げ袋を見せつけるように持ち上げた。
そう言えば、浅井くんは星川さんが犯人を捜すために結構な無理を通していたことを知っているのだろうか。僕は遠回しに探りを入れることにする。
「えっと……最近の星川さんはどうしているのかな」
「あいつですか? ここしばらく学校が終わった後どこに行っているのか遅く家に帰っているみたいで、例の車の窃盗犯を探すために何かしているみたいなんですが……」
ここで彼は言葉を濁した。
何を心にとどめたのかは何となくわかる。彼女の自分一人で抱え込んで行動を決定してしまう性分について、言いよどんだのだろう。
「でも何か手掛かりがあるわけでもないんだろう?」
「ええ。一度だけ僕に相談はしてきたんですけどね。『浅井、何か犯人を見つける方法はないのか』って」
「それで君は何て?」
「はい。『同じ駐車場で車上荒らしが頻発していて、かつ捕まっていない』『監視カメラや警備員の目もかいくぐっている』……逆に言うとそういう事ができる人間、つまり駐車場の関係者の人間が怪しいんじゃあないかと」
それは、確かに盲点かもしれないが。
監視カメラの位置も熟知して、普段から常連の買い物客の中から狙い目の車に目星を付けることができる。
「それならば『そういう犯人が車上荒らしをやりづらくなるように邪魔をすればいいんじゃないか』と。例えば、買い物客自身や警備員の警戒が厳しくなるように仕向けるとかですね」
「……他にアドバイスしたことは?」
浅川くんは「えっと」と記憶を探るように首をひねってみせる。
「可能性の一つとして、監視カメラに細工がされているかもしれないからそこから形跡をたどれば犯人にたどり着く、とかですね」
その言葉とこの前の星川さんの行動の意味が、僕の脳内で一気に一つの形を組み上げていった。
「あの。……今日は星川さんはどこにいるんだ?」
「ああ。その事なんですけどね。犯人そのものは見つかってないんですけど、この間の窃盗犯が盗んでいったカメラが見つかったらしいんですよ。なんでも協力をお願いしたスーパーの警備員の人が探してくれたそうです。……それでその人の所に会いに行っているんです。勤務時間前に話を聞くことになっているのだとか」
あの竹芝という警備員の人が見つけてくれたという事なのか?
このたった二日間で?
僕の身体から嫌な汗が噴き出した。
「……急ごう。星川さんが危ない! 星川さんは一人で犯人と対決するつもりだ!」
「え?」
「何ですって?」
僕の言葉に浅井くんと星原は目を見開く。
「説明は後でする。……とりあえず電車に乗ろう」
僕は二人を急き立てて、駅の改札に一目散に飛び込んだ。
階段を駆け下りるとホームに電車が入ってくるのが目に入る。
そのまま僕ら三人は電車に飛び乗る。「駆け込み乗車は危険です」というアナウンスが響いたが「それどころじゃないんだ! ほっといてくれ」と心中で反論しておく。
一瞬遅れてプシューと背後で扉がしまる音がした。
電車が向かっているのは、例の車上荒らしが頻発しているスーパーがある繁華街の最寄り駅だ。
「一体どういうことなの?」
軽く息を切らしながら星原が僕に尋ねた。
浅井くんも物言いたげに僕を見る。
「……星川さんはこの間から、例の車が盗まれた駐車場に注意と情報提供を呼び掛けるポスターを貼っていた。それもほぼ毎日。剥がされて止めるように注意されても、だ」
「星川がそんなことを?」と浅井くんが半分呆れたように目を丸くする。
僕も最初はなんて馬鹿なことをするのか、と思っていた。しかし。
「多分星川さんはこう考えていたんだ。『犯人はあの駐車場で車上荒らしを繰り返していた』『監視カメラがあるにも関わらず、犯行を行っているところをおさえられていない』『もしかしたら監視カメラは正常に動いていないんじゃあないか』とね」
「それで?」
「外部の人間が監視カメラが正しく機能しているかどうかを確かめるのにはどうする? 答えは『自分で捕まるようなことをやってみる』だ」
その言葉に二人はぽかんとした顔になる。
おそらく星川さんは浅井くんのアドバイスを参考にしたのだろう。もっとも当の浅井くんはまさか星川さんがそこまでするとは予想していなかっただろうが。
星川さんは自分がすることが誤解を招く行為だとわかっていて、それでも正しさを貫くために愚直とも見える行為を続けていたのだ。
ポスターを貼るだけなら迷惑行為にはなるが、誰かが傷つくわけではない。むしろ警戒が厳重になり、車上荒らしの犯人がやりづらくなる効果も期待できる。上手くすれば情報も手に入るかもしれない。つまり、彼女なりに考えた最良の一手だった。
僕がポスターを貼ることを手伝おうと申し出た時、困ったような顔をしたのは僕を迷惑に思ったからではない。見られたくない場面で知り合いに遭遇したのでとっさに声をかけたものの、僕のことをできれば巻き込みたくなかったのだ。
僕がポスターを貼ろうとした位置に細かく注文を付けたのは、わざと監視カメラに映るような場所で貼るためだ。
僕が彼女を責めた時、彼女は「自分は他にやり方を知らない」と答えたが、あれは
「犯人を捜すための他のやり方を知らない」のではなく「監視カメラの機能を確かめるのにこうするしかなかった」というニュアンスだったのだ。
「結果は実に露骨だったな。星川さんは十日以上も勝手にポスターを貼り続けていたのに、警備員が注意して捕まえに来たのは二回だけ。まあ、最初の二、三日は毎日ポスターを勝手に貼りに来る人間がいるとは思わなかったから写っていても警備員も気にかけなかったという可能性もあるが、そうだとしても監視カメラが正常に動いていたのが十日のうち半分以下ということになる」
「犯人は警備員で監視カメラの設定を不正に操作していた、というわけね。おそらくは自分が勤務している時は正常に動かしておいて、自分が盗みを働く非番の時にはやりやすいように調整していた」
浅井くんの目にも理解の色が宿りはじめる。
「逆に言うと犯人が警備員として勤務している時には、監視カメラを正常にしていた。もしかしたら星川のポスターが意外に心理的な圧迫になっていて目障りだったのかもしれませんね。それで本当に止めさせたかったとか……。だとしたらその星川を二回注意しに来た時に二回とも勤務していた警備員が怪しいということになりますが」
僕は彼の言葉に頷いた。
「いたんだよ。一回目に星川さんに注意した警備員で一昨日の時も勤務していた人間が」
そう。あの竹芝という警備員だ。
考えてみれば、救急車から姿を消したという窃盗犯の特徴は「髪が黒い中肉中背の二十代の男性」だ。髪の色以外は当てはまる。そして竹芝の髪の色は「染めたばかりのように根元まで茶色だった」のだ。
「つまり、一昨日の時点で星川さんは既に犯人をほぼ特定していた」
だから、僕がもうこんなことをするのはやめるようにといった時にも「今日が最後になると思います」と答えたのだ。
「だから、後は証拠をつかんで犯人を問い詰めるつもりなんだろうな」
「え? どうやって?」
「星川さんによると盗まれたカメラには持ち主の大事な写真が入っていて、結構な謝礼がもらえることになっている。その情報をあえて犯人と思しき相手に流したんだ」
「なるほど。考えてみればたったの二日で盗まれたカメラを取り戻せるなんて不自然だものね」
星原が横で頷く。
「じゃあ、あいつは犯人をおびき出して動かぬ証拠を掴もうとしていたんですか? そんな、無茶な。……犯人が激高して襲い掛かるかもしれないのに。あいつは」
浅井くんが臍をかむように顔をしかめる。
「それにしても、何だってあそこまで星川さんはむきになるんだろう」
僕がため息交じりに疑問を呟くと浅川くんが遠慮がちに口を開いた。
「多分、親から子供を引き離して危険に追いやったことが許せなかったのかもしれません。……詳しいことは言えませんが、あいつ養子なんですよ」
浅井くんの言葉に僕は思わず黙り込む。
彼女は彼女なりに抱えている事情があったということなのか。
「……駅に着いたわ」
星原が僕らに「早く行こう」とでもいうかのように目で降りるように促した。
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