第6話 警備員室にて

「困るんだよ。……勝手にこんなことされたら」


 蛍光灯で照らされたデスクの上にはいくつかのパソコンと業務報告書と書かれたファイルが置かれている。壁には大きなディスプレイが表示されていて、スーパーの店内と出入口そして駐車場の監視カメラの画像が表示されていた。出入口のすぐ隣には勤務用のシフト表が貼られ曜日と勤務している人間の名前が書かれているようだ。


 デスクの横にはオフィスチェアが置かれ、腕組みをした警備員のおじさんが僕らを睨みつけていた。


 胸の名札には「大門」と書かれている。


 シフト表からしてこの人の名前なのだろう。


「いいかい。君の身の回りで車を盗まれる被害にあった人がいたのはわかった。しかしだからと言って許可なく駐車場の中にこんなものを貼られたら、うちの管理責任が問われるんだ。見てのとおり私たちは日頃からこうやって何か起こったら駆け付けられるように警備をしている。……それなのにこんなものを貼られてしまったら客足にも影響が出るんだ」


「勝手にポスターを貼ろうとしたことは謝罪します。申し訳ありませんでした」と星川さんは頭を下げる。


「ですが」とそこで彼女はさらに続けた。


「いまだに車上荒らしはこの駐車場で多発していて、犯人は捕まっていないではないですか。そこはどう考えているんですか?」


 彼女の質問に大門さんは「嫌なことを訊かれた」とばかりに苦々しい顔になる。


「……犯人は監視カメラの死角から入り込んで、顔が映りにくい角度で車の鍵を開けて盗みを働いている。ぱっと見には車の持ち主が戻ってきたのかどうか区別がつかない」


 車の鍵って、そんなに早く開けられるものなのだろうか。


「勿論怪しい人間がいればすぐに急行するが、どういう訳か手が早くてね。監視カメラに映っていても現場に行った時には逃げられている。……だがね」


 大門さんはここで頭を掻きながら小さくため息をついた。


「我々がいなければさらに被害は大きくなっているのは間違いないんだ。警察にも情報提供はしている。きっとそのうち犯人も捕まるだろうから、こんなことはやめるんだ」


 その言葉に星川さんは何も答えず、悔しそうに唇をかみしめる。


「まあまあ。大門主任。もういいじゃあないですか。その子たちも悪気があってやったことじゃないでしょう?」


 横から朗らかな声が響いた。


 もう一人の若い警備員だ。髪を茶色く染めていて妙にさわやかな笑みを浮かべている。


「そうは言うがな、竹芝。この子は前にも一度同じことをしてお前が注意したんだろう?」


 前にも同じことをして、一度注意された?


 思わず、僕は星川さんを振り返る。


 じゃあ彼女は許可されないとわかっていて、それでも目的のために貼り続けたということになる。正しい意味でも誤用の意味でも「確信犯」ってやつじゃないか。


「二度も同じことを繰り返すようでは、反省の色がないということじゃないか。悪いが今回は保護者と学校に連絡をさせてもらう」


 大門さんはそう言いながら腕を組んで改めて厳しい目で彼女を見る。


 星川さんは無言で下を向いた。


「あ、待ってください」


 僕は思わず手を挙げていた。何だ、という目で大門さんが僕に目をやる。


「いや、実はポスターを貼るように言いだしたのは僕なんですよ」

「何だって?」


 別に彼女に同情してかばおうと思ったわけではない。


 ここで彼女が保護者や学校に連絡される処置を受けるようなら、当然手伝っていた僕も同罪として同じ扱いになるかもしれない。


 しかし、初犯であれば見逃してもらえる余地があるというのなら、今回は僕が言いだしたということにすればこの場はとりあえず収まるかもしれない。


 ……あの場にいた四人の中で、ただ一人本気で犯人を捕まえるために動いていた彼女が悪い扱いを受けることに思うところがあるというのも理由の一つだが。


「はい。彼女は中断しようとしていたのですが、僕が強引に続けるように言いだしたんです」


 星川さんは驚いたように目を見開いて僕を見る。


 別に嘘はついていない。


 彼女は知り合いの僕を見かけて一度ポスターを貼るのを中断し、その後強引に手伝うことを申し出たのは僕だ。


 後は何とか僕の方に注意を引き付けるしかあるまい。


「いや、僕の方もここで起きた車の窃盗事件のせいでちょっとした迷惑をこうむりまして」

「君も?」

「ええ。車が放置された場所をたまたま通りがかっただけだったのにお巡りさんに捕まって犯人扱いされそうになったんですよ? ひどいと思いませんか?」

「は、犯人扱い、か」


 僕は泣きそうな声で大門さんに訴えかける。横にいた竹芝という警備員も「ほう」と感じ入るような声を漏らした。


「それもこれもこの駐車場で窃盗が起きたりしなければ、と悔しい気持ちだったんです。ポスターが駄目なら、もう身の周りの人間にこのスーパーは窃盗犯が出るから気を付けるように触れて回るしかないかもしれませんが……」


 ここで大門さんは「う」と小さく唸る。学校や保護者に連絡すると「このスーパーの駐車場で車上荒らしが続いている」という事実も広まるという可能性に思い至ったようだ。


 ここで竹芝と呼ばれた若い警備員が「ほら。許してあげましょうよ」と大門さんをとりなした。


「この子たちなりに犯人を捕まえたかったんでしょう? 今時の子供にしては立派な心掛けじゃあないですか」


 そう言いながら、竹芝さんは星川さんに「でも、もうこんなことはしないでもらえるかな。お兄さんたちも頑張って犯人を捜すから」と優しく声をかける。


 どうやらこの場は丸く収まりそうだ。僕は災難を避けられた安堵で内心ほっとする。


 そこで星川さんもようやく「すみませんでした」と頭を下げる。


「しかし、何だって君はそんなに必死になるのかな? 何か理由でもあるのかい?」


 竹芝さんの問いに星川さんは感情を押し殺すように淡々と説明する。


「これは、友達の友達から聞いた話なんですけど。……実は、盗まれたものの中にはデジタルカメラもあって、被害者のお母さんと子供が一緒に写っている思い出の写真が入っているみたいなんです。他のものは無理でもせめてそれだけでも取り戻したいみたいで、見つけてくれたら謝礼に二十万円払っても良いという位らしいです」


「へえ?」と竹芝さんが興味深げに相槌を打つ。


 一方で僕は疑問を頭がかすめた。


 デジタルカメラが盗まれたというのは知っているが、そんな話は初耳だ。それに伝聞的な言い回しも少し引っかかる。友達の友達?


「ポルシェに乗っていたという話ですから、多分資産家なんでしょうね。別に私は謝礼に興味はないですが、それほど大切にしているものなら取り戻してあげたいと思いまして」


 星川さんの言葉に竹芝さんは「なるほど」と頷いて「そういう事なら何か手掛かりがわかったら君にも教えてあげよう。連絡先はこのポスターの電話番号で良いのかな?」と微笑み返した。


「はい」


「そうか。それじゃあ、もうこんなことをしないようにね。……次はお兄さんもかばってあげられないから」


 そう言って竹芝さんは僕らをスーパーの出口まで送り届けた。




 僕らは無言でスーパーから駅に続く商店街に出た。


 人通りはだいぶ減って、店のほとんどはシャッターが閉まっている。


 いつの間にか雲が出て月光を遮っていた。どんよりとした雰囲気が漂う街角の街灯の下で星川さんは僕に頭を下げる。


「今日は巻き込んでしまって、すみませんでした」

「すみませんでした、じゃないだろう」


 どうにか切り抜けたとはいえ、危うく学校にまで連絡されるところだったのだ。生活指導の先生に呼び出されて説教されたあげく目を付けられるなんて考えたくもない。


 普段の僕は言葉を荒げもしないし、人を傷つけるようなことは言わない温厚な人間のつもりだ。だが今回ばかりは一言言わないと彼女のためにもならない。


「人の建物に許可なく張り紙をしたら、怒られて当たり前だよ。しかも一度注意されたということは前にもやったってことだよね?」

「はい」

「……君自身は正しいことをしているつもりか知らないが、そんなことをしていたら周りに迷惑がかかるだろ」


 思っていることを口に出しているうちに更に感情的になってすこし言い過ぎたかもしれない。


 だが星川さんは僕の発言に無表情で「そのとおりかもしれません。……でも私は他にやり方を知らないんです」と伏し目がちに呟いた。


「ちなみに今日みたいにポスターを貼り続けるのってどれくらい続けていたの?」

「十日くらい……ですね」


 事件が起こってからほぼ毎日剥がされるたびに貼り直しに行っていたことになる。


 努力の方向性を間違っているんじゃあないだろうか。


 愚直にもほどがある。


「警備員の人の言うとおりだ。もうこんなことはやめた方が良い」

「ええ。今日が最後になると思います」


 彼女は静かに僕を見つめ返す。その瞳にどんな気持ちが宿っているのかはよくわからないが、ただ他人の理解を求めていないのは確かなようだ。


「……一応、夜も遅いし、駅までは送っていくよ」

「ありがとうございます」


 その後、僕らは駅前でそっけなく別れた。


 世の中にはどうにも自分とは相容れない、考え方の異なる人間がいるということはわかっている。そんなことは今までの人生で散々経験している。


 だが彼女はそういう存在とはまた違う。言葉が通じ意思の疎通もできるし、ともすれば価値観や倫理観においては近しいものすら感じるのに、そこから先がまるで宇宙人みたいに行動パターンが飛んでいる。


 ふと「あの浅井という少年は彼女と一体どういう関係を築いてきたのだろう」と帰りの電車の中で僕は考えていた。

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