第5話 夜の駐車場

 カランカランと夏の終わりの夜風に吹かれて、僕の足元を空き缶が転がった。


 鈍い月明かりの下で、街灯が少しさびれた雰囲気の裏通りを照らし出す。


 あれから数日が過ぎた夜のこと。


 僕はとある繁華街から少し外れたところにある商店街を歩いていた。この日はたまたま予備校があって、帰りがいつもより遅くなってしまったのだ。


 予備校は通学の時に使う鉄道路線を途中下車して二十分ほど歩いたところにある。


 会社帰りのOLや居酒屋を探しているらしいサラリーマンを横目に、僕は駅の方へ足を運んでいるところだった。


 と、その時。


「あれ?」


 制服を着た女の子が近くのスーパーの駐車場へ入って行くのが見えた気がした。


 こんな時間に女子学生が一人で買い物をするのだろうか。


 何とはなしに立ち止まって目で追うと、その少女は何やら荷物を取り出している。どうやら手に持っているのは金槌らしい。


 どうするつもりなのかとみていると、少女は壁に金槌をカーンカーンと叩きつけ始めたではないか。


 こんな時間に丑の刻参りか? しかも駐車場で?


 何だかよくわからないが怖い雰囲気だな。嫌な気分が背筋を駆け抜けて、本能的な恐怖を刺激する。


 一刻も早くここを離れよう。


 そう思って回れ右しようとした瞬間。その少女はこちらを振り返った。


 目が合ってしまっただろうか? いや気づかなかったふりをすれば良い。


「あの、ちょっと待って」


 聞こえない。僕には何も聞こえない。


「あれ? ……月ノ下さんですよね?」


「知らない! 僕は何も見ていない……って、あれ?」


 足早に立ち去ろうとする僕を呼び止めていたのは、三月学園の制服を着た人形のような雰囲気の小綺麗な女の子。先日知り合った星川響という少女だった。


「星川……さん。何しているの?」

「月ノ下さんこそ」

「僕は予備校の帰りだ。君は?」

「私は、ちょっとこのポスターをそこの駐車場に貼ろうと思ったんですけど」


 そう言って彼女は手に持っていたA2サイズの紙を広げて見せた。そこにはこう書かれている。


『注意! この駐車場で窃盗・車上荒らしが多発しています。目撃情報、犯人の手がかりに心当たりのある方はこちらまで連絡を』


 大きなゴシック体のフォントの下に携帯の電話番号が記載されていた。更にご丁寧に破れないようにラミネート加工までしてある。


「簡単に剥がされないように、釘で打ち付けようかと思ったのですけど。やっぱりコンクリートには釘は刺さりませんでした」

「そりゃそうだ」


 建材として使われるものが簡単に釘で穴を開けられてたまるか。どんだけ釘を信頼していたんだ。


 将来「学生時代に打ち込んだものは何ですか」と訊かれて「釘です」と答えるつもりじゃあるまいな。真っすぐで折れない彼女には似合っているかもしれないが。


 少し呆れた顔で見つめ返す僕に彼女はぼそりと答えた。


「……捕まっていないんです」

「え?」

「例の車両窃盗犯。まだ捕まっていないんですよ」

「そうなのか?」


 そう言えばあれから事件のことは一部新聞などでも取り上げられたが、続報は特に出ていなかった。


「確かに浅井や月ノ下さんの言ったとおり、あの時救急車を呼んだあと病院まで行って姿を消した人間がいたみたいなんですが。……残念ながらはっきり顔を覚えていた人間はあまりいなくて。髪が黒い中肉中背の二十代の男性だということぐらいまでしかわからないそうです」


 手掛かりとしては少なすぎる。


 その条件に当てはまる人間はごまんといるだろう。


「うーん。……あ、でも犯人は携帯電話で救急車を呼んだんじゃないか? 通話記録とかから犯人を割り出せないかな」

「それが使い捨てのプリペイド携帯だったみたいで、持ち主の特定はできなかったんです」

「それは……残念だったな」

「それで、ここのスーパーの駐車場があの車が盗まれたところなのですが、今でも車上荒らしが時折発生しているんですよ。多分、同一犯です。いまだに反省もせず犯人は盗みを続けているんです」

「なるほど。それで、このポスターで注意喚起と情報収集をしよう、と」

「はい」


 僕は彼女の持っていたカバンをちらりと見た。あと五、六枚くらいあるようだ。あたりが暗い時間帯に女の子一人でこんな作業をするのもどうなのだろう。


 …………仕方がないか。


「手伝うよ」

「え」


 星川さんは何とも言えない表情で僕を見た。目を細めて顔をしかめている、少し困ったような顔だ。


 もしかして役に立つのかと疑われているのだろうか。少し傷つくな。


「……ガムテープとかなら貼れるだろう。二人でやった方が早く済むし」

「は、はい。それではお願いします」


 そういって星川さんはポスターを取り出すと、鞄から粘着力の強そうなドーナツ状に巻かれたテープを二個取り出した。


 一応、釘が駄目だった場合も準備はしていたのか。


 僕はポスターと粘着テープを受け取ると、駐車場内の入り口近くの人目が付きそうなところに貼ろうとした。


「あ、待ってください」

「何?」

「もう少し奥の方に貼ってもらえますか。その曲がり角の手前辺りに」

「……こっちの方が通行人にも見てもらえると思うけど」

「いえ、そっちの方が良いんです」


 良くわからないが、何かこだわりがあるのだろうか。だが、あえて反発しても仕方がない。とにかく作業をさっさと終わらせるべきだ。僕は何も言わず彼女の指示に従った。


 五分程度だろうか。どうにか駐車場内の通路や出入り口周辺の壁に六枚のポスターを貼ることができた。


「これで終わりかな」


 星川さんは僕の言葉に答えず、硬い表情で周囲を窺っているように見えた。


「……星川さん?」


 僕は返事をしない彼女に再度呼びかけた。……その時。


「おい。ちょっと君たち!」


 少し離れたところから青い制服を着た若い男の人が駆け寄ってくるのが見える。


「逃げましょう!」

「はあ?」


 僕は状況に理解が追い付かない。


 走り出した彼女につられるように、僕も駐車場の出口に向かって駆けだしたものの、そこにはもう一人の制服を着た壮年の男性が待ちかまえていた。


 星川さんは立ち止まって諦めたように下を向いてうなだれる。


「君たちだね。最近この辺りに勝手にポスターを貼っているのは」とスーパーの警備員らしい男性が言う。


 勝手に貼っていた? 


 そういえば星川さんはさっきこう言っていた。


『簡単に剥がされないように、釘で打ち付けようかと思ったのですけど』


 剥がれないように、の間違いかなと思っていたが、自然に剥がれるのを防ぐのではなく『誰かに勝手に剥がされないように』というニュアンスなのだとしたら。


「星川さん。もしかしてここにポスターを貼るのに許可とかもらっていなかったの?」


 彼女はこわばった表情で黙って頷いた。


 そりゃあ剥がされるよ。


 僕は思わず頭が真っ白になっていた。


 目の前の警備員のおじさんは「はあ」とため息をついて「とりあえずちょっと来てくれないかな」と告げて僕らを建物内に入るように促した。

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