第4話 犯人の行方

 テーブルの上に一瞬降りた静寂を破るように浅井くんが口を開く。


「状況を順を追って整理しましょうか。……警察の人の話だと、あの車は市内の駐車場で今日の十四時ごろに盗まれたそうです。ちなみに車が止まっていたあの山間の通り道から、法定速度で移動して四十分位かかる場所らしいです。そしてあの道の先には、峠を超えたところに廃工場があるんですよ。多分窃盗犯は盗んだ車をそこまで運転して、ナンバープレートやらを外して車両輸送用のトラックか何かに載せて別のところに持っていくつもりだったんでしょう」

「でも、途中で自分が盗んだ車に赤ん坊が乗っていることに気が付いた、と」


「はい」と彼は僕の言葉に頷いて話を続ける。


「窃盗はするつもりだったが誘拐犯になるつもりはなかったのでしょうね。移動している途中で赤ん坊が泣きだすか何かして、初めてその存在に気が付いた犯人は動揺する。赤ん坊だけをどこかに置いていけば良かったのかもしれないですが、突然のことにどうすればいいかわからず思わず車を止めて、一度その場を離れてしまう」

「無責任な奴ね。自分のしでかしたことに動揺したのなら、せめて匿名の通報なりなんなりすればいいものを」


 星川さんが呆れたような調子で口を挟んだ。


「電話だと通話記録が残るから、足が付くことを恐れたのかもしれないけどね。そしてその後、僕らが通りかかったのが十五時前くらいです。更にその少し後に月ノ下さんたちが現れて警察と救急車も来てくれた、ということですが」

「その空白の二十分の間に車なしで犯人はどこへ逃げたのか、ということなのよね」と星原が結論を先回りする。

「そこなんです。あの周囲にあるのは民家と山林くらいです。しいて言うなら少し行ったところにカフェがあるくらいですね。身を隠すところはあまりない。公共交通機関は『バス停だけ』なんですが……」


 そこで彼は僕らの方を見た。


「ああ。僕らがバスを降りた時に停留所のところで『待っている客は一人もいなかった』。反対方面に向かうバス停も含めてね。そうだよな? 星原」

「……平日の昼の時間帯だとこのあたりのバスは一時間に一本がせいぜい。私たちが車が乗り捨てられたところに行く途中も『誰ともすれ違わなかった』」


 僕と星原は互いに目線を交わして証言した。


「要約すると僕らが通りかかる前後の時間帯に、現場からバス停までの経路に人は見当たらなかった、と」


 浅井くんは静かに目を閉じて頭を抱えた。


「バスを使わなかったとしたら、乗用車か何かを使って逃げたのではないの?」


 星川さんの思い付きに浅井くんは首を振る。


「赤ん坊の存在に動揺して、とっさに逃げ出すような犯人が都合よく逃走用の車を近くに準備していたとは思えない」

「それじゃあ、近くの山林に身を隠していたとか」

「あの辺りは草はまばらだし、山林になっているところも道の横の急な傾斜の上あたりだろう。逃げ隠れ出来るようなところじゃあない」

「じゃあ、歩いてバス停がある国道とは反対方向に逃げたとか」

「あの先は峠になっていてその先も田畑とか大学の敷地だ。歩いて逃げるとしたら数時間以上は歩き続けることになる。一刻も早く現場を離れたい犯人がそんなことをするとは考えにくいし、一応そっちの方面も警察がパトロールして回っていた」

「……じゃあ、後は犯人の家が近くにあったとか」

「近隣の住民はほとんど留守だった。居たのは僕らを車上荒らしと勘違いしたおせっかいなおばさんだけだ」


 星川さんも「それじゃあ、鳥みたいに空を飛んで行ったとしか思えないわ」とため息をついた。


 鳥、か。


「『青い鳥』みたいに実は犯人もすぐ身近なところにいた、という展開なら簡単なんだけどな」

「……いや、案外『その逆』かもしれないわ」


 僕の軽口に星原がぼそりと答える。


「身近からかけ離れたものの方がかえって疑いをかけられにくいとも考えられるもの。それを利用して周りを欺いたんじゃない?」


 僕らのやり取りに浅井くんたちはきょとんとした顔になる。


「何の話です?」

「……ああ。済まない。ちょっと話が横道にそれるんだけどな。今日ここに来るバスの中でそんな話をしていたんだ。ほら、『青い鳥』って『本当の幸せは身近なところにあった』という教訓が込められているだろ。裏を返すと『人間は自分とはかけ離れた非日常的なものが素晴らしく見える』習性があるってことなんじゃないかってさ」

「……つまり『異邦への畏敬』とでもいうべきかしら」


 星原は物事の説明をするときに敢えてこういう遠回しな言いぶりをすることがある。


 僕自身は彼女の物言いに慣れているが、浅井くんたちはぴんと来ないのだろう。さらに首をかしげる。


「『知っている身近なもの』よりも『よくわからない未知のもの』の方が価値があるように見えるんですか? 普通は逆のような気もしますが」と星川さんが尋ねる。


 星原は「例えばね」と人差し指を立てながら説明する。


「イスラム教の開祖でムハンマドという人物がいるでしょう。彼は四十歳の時に神の啓示を受けて預言者となり、最初は自分の生まれ故郷のメッカで布教をする」

「ああ、それくらいは世界史で勉強しました」

「けれども彼の布教は最初あまり上手くいかずにメッカでひどい迫害を受けるようになって、結局ヤスリブという別の土地に移って教えを広めるようになったの。……元々メッカではアラビアの多神教が信じられていたというのもあるけれど、私はそもそも『ムハンマドがメッカの出身だったから』上手くいかなかったんじゃないかと思う」

「……何故ですか? 教えを広めるなら自分のよく知る地元の方がうまくいきそうですが」

「だって考えてみて。地元ということは自分を昔から良く知っている人もいるのよ?」

「はい」

「あなただって『子供の頃から知っている近所のおじさん』がいきなり『自分は神の声を聞いた! 私の教えを信じろ』」とか言いだしたら『大丈夫かな。この人』ってなるでしょう」

「おう。確かに」


 半眼になりながら納得した顔で星川さんは首肯する。


「でも遠く離れた町の人間からすれば、故郷を追われて苦労を経験したらしい神秘的な雰囲気の壮年の宗教家、という印象になる。同じことを言っても魅力や説得力があるように見える」


 浅井くんも「そういえば」と思いついたように呟く。


「僕も『高校生にして世界で活躍するスポーツ選手』が同じ学校の同級生からは嫌われているなんて話を聞いたことあります」


 世間的に評価されて輝いて見える人間だって、その人間を小便垂れていた子供のころから知っていたら威厳を感じないからなあ。


「テレビの中でしか知らない有名人だと別世界の人に思えるけれど、相手が昔から知っている同じ教室で過ごしたような間柄だと認知的不協和が生じるのかもしれないな。自分がよく知っている『テストで自分と変わらない点数を取っていたあいつ』があんなに評価されるのはおかしい、みたいなやつ」


 僕が浅井くんに相槌を打ったところで、星原がさらに続ける。


「そういうものの最たるものが死者への畏敬ね。戦争とかスポーツとか生きている間は散々こき使われたり、激しい猛練習を強制されたりするのに、戦死や過労で亡くなって死者というかけ離れた存在になった途端に『国に命を捧げた尊い犠牲』とか『必死に猛練習した素晴らしいスポーツマンシップの持ち主』みたいに美談になり持ち上げられて、同列の存在ではなく次元を超えた優位な存在になる」

「ああ。ニュースとかでそういう話は聞くと、私は『そんなに美談にするくらいなら何故生きていたうちに身近な相手を思いやろうとしなかったのか』って言いたくなりますよ」


 星川さんは眉をしかめながら同意してみせた。


「まあ、確かに死人の悪口を言うやつは少ないが……つまり、犯人もそういう非日常的な何かに成りすまして逃げた、と?」


「推測だけどね」と星原が僕の言葉に同意する。


「ん? 死人? あ、そうか」


 星川さんが何かに気づいたように声をもらした。


「昔の推理もので霊柩車の中に隠れて警察の検問を潜り抜ける、なんてトリックがあったわ。警察官でも相手が死人となれば多少は遠慮もするし、『棺桶の中を見せろ』なんていう人間はまずいないから死亡診断書とかを揃えておけばそのまま通り過ぎることができるというやつ」


 しかしこれには浅井くんが呆れたように反論する。


「霊柩車なんて通らなかったよ。そんな目立つ車が通りすぎたら流石に記憶に残る。……いや、まて。霊柩車は通らなかったけど、別のものが通った」

「別のもの? 何?」

「『死人』じゃあなく『怪我人』が乗る車だ。そのすぐ後にパトカーでお巡りさんが現れて逮捕されかけたせいですっかり忘れかけていた」


 浅井くんの言葉に僕もはっとなる。


「救急車か!」


 そうだ。確かあの時。僕と浅井くんが救急車と警察が来るのを待っていた時、一台の救急車が通り過ぎて行った。あのときは単純に他の件で呼んだ人がいるだけだと思っていた。


 タクシーを呼ぶという手段もあるが、目印のない山間の住宅街ですぐに来てくれるかどうかはわからない。警察が周辺の捜索を始めるよりも早くこの場を離れようと考えた時、携帯のGPSなどで場所を特定してすぐに来てくれる救急車を利用するのはある意味合理的だ。


 加えて言うと検問がしかれていない状態ならば、人命がかかっているかもしれない救急車の移動を止めようとするものはまずいないだろう。


 一昔前にも救急車を無料のタクシー代わりに利用する人間が社会問題として取り上げられた話を聞いたことがある。


「え? ……そんな手段を使って逃げ出したというの?」


 星川さんは俯いてかすかに手をわなわなと震わせていた。


「信じられない。赤ちゃんを無責任に放り出しておいて、自分がその場から逃げ出すために救急車を呼んだ? どこまで身勝手なの? 本物の怪我人にして救急車に乗せてやりたいわ」

「落ち着けよ、星川。犯人が乗るべきなのは救急車じゃなくパトカーだろ。……それに、確かに犯人は身勝手で悪知恵を働かせるような奴だが、同時に失敗もしている」


 浅井くんが星川さんをなだめるように声をかけた。


「失敗?」

「ああ。救急車を呼んだということは大方『気分が悪くなった』とか仮病を使ったんだ。身元が割れるのは避けるだろうから、恐らく保険証を見せて診療を受けるなんて真似はしていない。病院に着いたら『もう治った』とかいって逃げ出したんだと思う。だが、その過程で救急隊員に顔を見られずに済んだはずがない」


 不機嫌さを隠しもしない星川さんはむくれた表情で「それじゃあ、犯人はじきに捕まるという事?」と訊き返す。


 僕も彼女に「そうだね」と頷き返した。


「さっきの警察の担当連絡先はわかるんだろ? だったら、今から電話して情報提供すればいい。事件現場周辺で救急車を呼んだあと姿を消した人間がいるはずだから、その人間の目撃証言を追ってくれ、とね」


 星原も「まあ、そうでなくともこんな無計画で突発的な行動に出る犯人なら、必ずどこかで尻尾を出すでしょうよ」と笑いながら目の前のアイスティーを飲み干した。


 その後で僕らは簡単な挨拶をして、特に再会の約束をすることもなく駅のところで別れたのだった。

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