第3話 喫茶店にて
「ああ。全くとんでもない目に合った」
「……災難だったわね」と隣に座った星原が僕に呟く。
「巻き込んでしまったようで、すみません」
向かいに座る浅井くんが軽く頭を下げた。
「いや、君らは何も謝る必要はないよ」
「そうよ。浅井。ここで言うべきは、まず手伝ってもらったお礼でしょう。……星原さん。色々ありがとうございました」
同じく向かいに座っているのは星川と呼ばれていた女の子だ。
外はすでに暗くなりかけて、空の色は赤色から紫色に変わろうとしていた。
ガラス張りの店内からは街灯が点灯しているのが見える。
僕ら四人は都内のとある主要鉄道駅近くの喫茶店にいた。
あの後、僕らは自分たちは車上荒らしではないと必死に弁明する羽目になった。少し遅れて浅井くんの通報を受けたパトカーと救急車が到着したこと、また赤ちゃんを連れた星川さんが戻ってきて、コンビニで買い物を済ませた星原も証言してくれたこともあって、どうにか僕らは器物損壊と窃盗で逮捕されることは免れたのだった。
「どういたしまして。……それにしてもあの車、盗まれたものだったとはね」
若干疲れた表情の星原がぼやくように呟く。
そう。あの乳児が放置された車は、僕らが通りかかる一時間ほど前に市内のあるスーパーの駐車場で盗難にあったものだった。
持ち主……つまり、あの赤ちゃんの母親だが、その人が飲み物を買うためにほんの数分、離れたすきに車が盗難にあってしまったそうだ。それも赤ちゃんを乗せたまま。
そして犯人はあの住宅街に車と赤ん坊を置いて逃げ去ったわけだが、そのとき車の中にあった金品やカーナビ、カメラなどを盗んでいったらしい。
さらに少し後に星川さんたち二人が赤ん坊を助け出したのだが、その場面を買い物から帰ってきた近所のおばさんに目撃されてああなったわけだ。
「中間テストも終わって息抜きに出掛けたところを台無しにされて、一言文句を言ってやろうと思っていたのに。……車の持ち主の方も被害者とあっては怒りのぶつけどころがないわ」
そういうと星原はふんと鼻を鳴らして、不機嫌そうに口をとがらせた。
母親は車よりも赤ちゃんのことが心配でならなかったようで、ガラスを割ったことを責めることはなく、むしろ何度も頭を下げてお礼を言っていた。
一応、今回のように人命を救うために物を壊すなどした場合には「緊急避難」だか「正当防衛」だかにあたり、違法行為にはならないそうだ。
「……悪いのは車を盗んだ窃盗犯ですから。まあ赤ちゃんを置き去りにしたまま飲み物を買いに行くこと自体はあまり褒められたことではないかもしれないですが」
星川さんがすました顔で答える。
「えーっと。星川さん、だったっけ」
「ああ。そう言えばまだ自己紹介もしていませんでしたね。はい。私は三月学園中等部三年の
「……同じく、三月学園中等部三年の
「ああ、どうも。僕は天道館高校二年の月ノ下真守」
「私は星原。……星原咲夜よ」
互いの名前を知ったところで僕は改めて話を切り出す。
「それにしても、星川さんは大した行動力だね。……その、窓ガラスを叩き壊す、みたいな直截的な手段を取れるだなんて」
僕の言葉に一種の皮肉を感じ取ったのか、年下の彼女はかすかに鼻白みながらも応える。
「目の前で一つの命が失われていたかもしれないんです。私は自分が間違ったことをしたなんて思っていません」
「ああ。確かに星川さんは正しいことをしたと思うよ。……正しすぎるくらいだ」
年端のいかない中学生が人命がかかった状態で選択を迫られて、可能な限り正しい行動をしようと努力したのだ。賞賛こそすれ責めようとは思わない。
その時その場にいなかった人間が「ああすれば良かった」「こうした方が良かった」なんて言うのは傲慢にもほどがあるというものだ。
ただ、僕は彼女の中に一種の危うさを感じてしまったのだ。
この場合の「危うい」とは彼女の存在が周囲にとって危険という事ではなく、彼女の心身そのものがいずれ危機に陥るのではないかという不安だ。
下手すれば犯罪と誤解されかねないような行動を躊躇なく選択し、特にそのことを後悔することもしない。どこまでも真っすぐで完璧な正義の味方を体現したような存在。
しかし完璧であればあろうとするほど、世界は不完全に見えてくる。
何も知らない子供には世界が平和に見えるのと反対で、正しくあろうとすればするほど世界には問題があるように見えてくる。
いつか、彼女が世界と自分の理想とのギャップに耐えられなくなった時、救える人間がそばにいるのだろうか。
僕はなんとなく浅井くんに目を向けるが、彼は無表情で紅茶をすするだけだった。
「それにしても許しがたいわね。車を盗んだあげく、赤ん坊を放置するだなんて」
星原が怒気をはらんだ声で言う。
「……まあ、僕も同じ気持ちではあるが、星原ってそんな『正義の味方』みたいなキャラだったか?」
「いいえ? 私は『正義の味方』ではなく『悪の敵』よ。この場合の悪とは『私の不利益』よ。犯人のおかげでテストが終わった後の解放感が台無しだわ。私の楽しみを邪魔してくれた報いを与えてやらないと気が済まない」
薄笑いを浮かべながら何やら復讐心をたぎらせている。その目つきは完全に据わっていた。
違う意味で「危うい」のが僕のすぐ隣にいたか。
「ええ。同感です。私だって犯人をこの手で捕まえたいくらいですよ」
星川さんがそう言って頷くのを聞いた浅井くんが「おいおい」と眉をしかめる。
「そこはもう僕らの領分じゃないだろ。警察に任せるべきだ。……突っ走るのも大概にしてくれ」
「浅井は怒りを覚えないの? 自分の欲望のために人の財産を奪おうとしたばかりか小さな命まで踏みにじろうとした奴がのうのうと大手を振って歩き回っているのに」
「お前のいう事は正しいが、その正しさに巻き込まれる僕の気持ちも考えてほしい。……いつもこうなんですよ。これが同級生で同じ学級委員ですよ?」
浅井くんは肩をすくめた。
「いやあ。でも羨ましいよ。……こんな、名のとおり星みたいに綺麗な女の子が同級生だなんて」
「月ノ下さん。星というのは遠くで見るから綺麗に見えるんです」
人の苦労も知らないで、と言いたげに浅井くんは皮肉気に答える。
僕は同じように「星」を名前に冠する隣の少女を横目で一瞬見てから「それは一理あるかもしれないな」と呟いた。
その瞬間、僕の足に鈍い痛みが走る。星原が僕のすねを蹴っ飛ばしてきたのだ。
そういうとこだぞ、お前。
だが、僕の内心の不満をよそに星原は聖母のように慈愛に満ちた微笑を浮かべながら浅井くんに語りかける。
「浅井くんはまだ子供みたいね。……女の子はね。時々あえて男の子を振り回すようなことを言うかもしれないけれど、それは相手がそれに応えてくれると信頼しているからこそなの。それに常に応えろとは言わないけれど、理解してそばにいてあげる。それが男子の包容力、器というものなのよ」
「そ、そうなんですか」
テーブルの下で起こった事を知る由もない浅井くんには年上のミステリアスな雰囲気の女性から大切な人生訓を賜ったように感じたのかもしれない。
騙されてはダメだぞ! 浅井くん!
僕は心の中で彼にテレパシーを送ったが通じたのかどうかはよくわからない。
星川さんはそんなやり取りを耳にしてふふんと鼻を鳴らす。
「ほら、聞いた? 浅井。どうやら星と名の付く女の子は知的な美少女と相場が決まっているみたいね」
「仮にそれが本当だとしてもお前は例外としか思えない」
この二人、仲が良いのか悪いのかわからないな。赤ん坊を助けた時には息があっていたような気がしたんだけれど。
「それにしても……」
この一件には一つの謎が残っているのだ。
「一体犯人はどうやって逃げ出したんだろうな」
僕の疑問にテーブルに座していた全員が一瞬沈黙した。
新規登録で充実の読書を
- マイページ
- 読書の状況から作品を自動で分類して簡単に管理できる
- 小説の未読話数がひと目でわかり前回の続きから読める
- フォローしたユーザーの活動を追える
- 通知
- 小説の更新や作者の新作の情報を受け取れる
- 閲覧履歴
- 以前読んだ小説が一覧で見つけやすい
アカウントをお持ちの方はログイン
ビューワー設定
文字サイズ
背景色
フォント
組み方向
機能をオンにすると、画面の下部をタップする度に自動的にスクロールして読み進められます。
応援すると応援コメントも書けます