第2話 正義の味方とその相棒

「本当にこんな所にスイーツショップなんてあるのか?」


 僕は思わず胡散臭い広告を見せられたかのように眉をひそめる。


 星原が連れて行こうとしている道は国道から外れ、繁華街などとは程遠い山間に続いているように見える。


「何でも古民家を改修したカフェで、住宅街の中にあるらしいの。営業時間も十一時から十七時とかそれくらいだったわ」

「ふうん。なんか隠れ家とまではいわないが、判りにくそうなところにあるみたいだな」


 でも、そういうことならとりあえず星原の言葉を信用してもう少し歩いてみよう。


 僕がそう呟いて星原の後に続いて角を曲がろうとしたとき。


「わっ」


 思わず声が漏れた。


 先導していた星原が唐突に立ち止まったためにぶつかりそうになったのだ。


「何だ? どうした?」

「いや……あの二人は何をしているのかしら」

「あの二人?」


 星原の目線の先にはどこかの学校の制服を着た少年と少女の姿がある。なにやら言い合っているようにも見える。


 二人のすぐそばには山間の住宅街に不似合いな白いポルシェが路上駐車されていた。


「おい。星川? 本気なのか?」

「やるしかないでしょう。浅井。ことは一刻を争うかもしれない。ためらっていたらどうなるかわからない」


 そんな会話が漏れ聞こえてくる。彼らは近くの車を覗き込んで話し込んでいた。


「あれは……三月学園の制服ね。中等部かしら」

「三月学園?」

「確かS県にある小学校から大学まである結構な規模の学校。私の小学校時代の友達で受験した子がいたわ」

「へえ。隣の県か。東京から通っている生徒がいても不思議じゃあないが」


 だが、あの二人は何をしようとしているのだろう。


 もしかして僕は今、面倒な出来事に巻き込まれようとしているのではないか?


 何となくだが、そう考えたくなるような雰囲気がこの場に漂い始めている。いやただの思い違いであってほしいのだが。


 しかしその直後、思わず目を剥くような出来事が起きる。


 二人の中学生と思しき少年少女は道路わきの山林に転がっていた大きめの石を拾い上げると力を合わせて駐車してあったポルシェのサイドウインドのガラスにぶつけ始めたのだ。


 ガンガンと鈍い音が周囲に響き渡った。


 僕は思わず呟く。


「嘘だろう。車上荒らしか? しかもあんなあどけない中学生が……」


 ここは修羅の国か何かか?


 最近の中学生はアナーキーだな。


 やがて、バリンと少し高い音が鳴ってガラスが割れる。


「早く! ドアを開けて」

「わかった!」


 二人はそう言って車のドアノブに手をかけた。


「ど、どうする? 星原。目の前で犯罪が行われているみたいだが」

「いや。ちょっと状況が違うみたいよ?」


 彼女は僕を目で制して、改めて二人の中学生の方を指し示した。


 二人の中学生が車から持ち出しているのは金品ではない。柔らかそうな布にくるまれた「生後一年経つか経たないかという赤子」だったのだ。


 ここで僕は状況を悟る。


 今日は真夏ではないにしろ、かなり強い日差しが照り付けている。自動車の中はエアコンが付いていない状態では、十月でも三十度以上に達することがあるらしい。


 そして見る限り周囲に車の持ち主らしい人間、あの乳児の母親らしい人間は見当たらなかった。


「あの赤ちゃん、車内放置されていたのか?」


 そしてあの二人は通りすがりにそれに気が付いて救助しようとしていたということのようだ。


「何にせよ、緊急事態みたいね。……そこの人たち! 大丈夫?」


 星原は小走りに彼らに近づいて行って声をかけた。


 二人は突然近づいてきた見知らぬ少女に戸惑って、思わず顔を見合わせる。


 一瞬遅れて女の子の方が口を開く。


 星川と呼ばれていた人形のような可憐さと儚げな印象を兼ね備えた少女だ。


「……はい。あの私たち、この赤ちゃんが車内でぐったりしているのに気が付いて」

「そう。警察と救急車はもう呼んでいるの?」


 これには浅井と呼ばれていた、大人しそうだが思慮深げな雰囲気の少年がスマートフォンを見せながら答える。


「もう、連絡しています。じきに来るんじゃあないでしょうか」

「子供の様子は?」

「見てのとおりです。泣き声が弱々しくて」

「わかった。ちょっと待って」


 星原は手元のスマートフォンを操作し始める。どうやら熱中症の応急処置について調べているらしい。


「とりあえず冷たい濡れタオルと水分補給が必要だわ。月ノ下くん。国道まで戻ったところにコンビニがあったわね」

「ああ」

「じゃあ、私が買い物行ってくるから。とりあえずここで救急車が来るまで待っていて」 


 そう言って彼女は走り去っていった。


 彼女の背中を見送ったあと、僕はさてどうしたものかと二人に目をやる。


 星川という少女は腕の中の赤ちゃんを心配そうに見下ろしていた。


「……えっと。とりあえず、その子をこのまま日が差す中に居させるわけにもいかないな」

「はい。そうですね」


 僕の言葉に彼女は静かに頷きかえす。


「せめて風通しの良さそうな日陰でもあればいいんだけど」

「ああ。それなら」と浅井少年が口を開いた。

「少し行った先に民家を改装したカフェがあっただろ。あそこに頼んで入れてもらったらどうだ」


 僕と星原が行く予定だったところだろうか。どうやらこの二人はこの道の先で用事を済ませて戻ってきたところだったらしい。


「……そうね。それじゃあ、浅井は警察と救急車が来たら連絡して」


 そう言って小さな命を抱えた少女は回れ右して急ぎ足で道路を駆けて行った。


 残されたのは僕と浅井という少年、二人だけだ。


「何か、いろいろ大変だったみたいだね」と僕は隣の少年に話しかける。


 初対面の人間とコミュニケーションを取るのは得意な方ではないが手持無沙汰だし、黙っていて年下の少年に威圧感を与えてもいけない気がする。


「……僕らは学級委員なんですけどね。今日はクラスで風邪で休んでいる奴がいたので、担任に言われてプリントを届けてきたんですよ」


 ぽつりぽつりと彼は経緯を語り始めた。


「だけど帰り道にここを通りかかった時に微かに泣き声が聞こえた気がして。星川、……あの一緒にいたもう一人の学級委員ですけど。あいつが車の中に赤ん坊がいるのに気が付いて」

「それで、助けるために窓ガラスをたたき割ったってことか」

「……いや、誤解のないように言っておきますけど、いきなりあんな乱暴な手段に出ようと思ったわけじゃあないですよ?」


 浅井くんは少し困ったような表情を浮かべて肩をすくめた。


「一応、まずは近くに保護者がいないか探したんです。見つからなかったので今度は近くの民家にも声をかけたんですけど、みんな留守にしているのか誰も出てこなくて。やむを得ず警察と消防署に電話をして、到着を待とうかと思ったんです。……でも」


 ここで彼は小さくため息をついた。


「星川が『少しでも早く助け出した方が良い。この数分で赤ちゃんの命が失われたら悔やんでも悔やみきれない』ってああいう手段に打って出たわけです」

「別に責めているわけじゃあない。むしろ大したものだと思うよ。……僕だったらとっさにどうすればいいのかわからなくて混乱していたと思う」


 僕がそんな風に彼をねぎらった、ちょうどその時。


 少し遠くからサイレン音が響いてきた。音はだんだん近づいてくる。


「どうやら来たみたいだね」

「じゃあ、僕は星川にも戻ってくるように連絡しておきます」


 そう言って彼はスマートフォンを取り出した。


 やがて僕らが歩いてきた国道の方から赤いパトライトを光らせて救急車が走ってくる。その後ろにはパトカーもいるようだ。


 どうやらこれで一件落着か、僕はそう思いかけたのだが。


「あれ?」


 止まってくれると思っていた救急車は僕らの前を通り過ぎる。


「え?」と浅井くんも戸惑ったように声をもらす。


 パトカーだけが僕らの少し前に停車して、警察官が下りてくる。


 どうやらたまたま、他の誰かが別件で救急車を呼んだということか?


 でもパトカーの方は先に来てくれたみたいだな。


 僕の脳裏をそんな思考がかすめたその時。


 更にそこに道路沿いの民家から眼鏡をかけた太ったおばさんが飛び出してきて僕らを指さした。


「お巡りさん! あの子たちです。あの子たちが路上の車のガラスを割って悪戯を! 私、見ていました!」

「わかりました。ご協力感謝します。……おいコラ。そこの二人! 動くな!」


 警察官は僕らに厳しい目を向けながら駆け寄ってくる。


「えーっ!」


 僕と浅井くんの悲鳴が山間の住宅街に響き渡った。

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