放課後対話篇(番外編) 異邦からの正義
雪世 明楽
第1話 イソップ童話と青い鳥
一台のバスが緑に囲まれた国道を走り抜ける。
車内は乗客がまばらに座り、僕も奥の座席に腰かけていた。外からはかすかに何かの虫の声が聞こえる。一応この辺りも都内なのだが、田んぼや畑さえ見えるくらいのどかな風景だ。
「最近はバッタとかコオロギの類も見かけなくなったけれど、この辺りならまだ生息していそうな雰囲気ね」
僕の隣に座っている、黒髪を首の辺りで切りそろえた色白の少女が口を開いた。
「僕は虫とか小さいころから触るのも苦手だったからな。バッタとかコオロギならまだ判るがキリギリスとかになるともうどんなものかわからない」
「キリギリス、ね。バッタの一種みたいなものだとは思うけれど、私も見分け方は知らないわ。童話では有名なのにね」
「ああ。アリとキリギリスか」
彼女の名は
小説を書くのが趣味なのだが、そのせいか色々な雑学に通じている。
僕、
今日は中間テストの最終日で午前中に学校が終わったので、息抜きも兼ねて「せっかくだから学校から少し離れたスイーツショップに行きたい」という彼女に付き合っているという訳だ。
「ちなみに『アリとキリギリス』って原作版だとすこし終わり方が違うらしいの」
「ほう? どう違うんだ?」
「そもそも、原作だとキリギリスじゃなくてセミらしいのよね」
「え」
なんだか絵的に無理がある気がしてきた。木にとまっているセミとアリではあまり出会いそうにない。
「日本の絵本だと夏の間、歌って遊んでいたキリギリスが冬になってからアリの所にやってきて親切なアリに食べ物を分けてもらって反省する、みたいな話でしょう」
「ああ」
いわゆる「怠けていないでちゃんと働きなさい」みたいな教訓が含まれているのだろう。
「だけど、原作版だとアリはセミを助けたりなんかしないの。アリは『夏の間歌ったなら、冬の間踊りなさい』と答え、セミはこう答える。『歌うべき歌は、歌いつくした。私の亡骸を食べて、生きのびればいい』」
殺伐とした終わり方にも思えるが。
「それはつまり『先のことを考えない愚か者はいずれ滅びる』みたいな話なのか?」
だが僕の言葉に彼女は軽く首を振る。
「そもそもイソップ童話って、ギリシャ時代のアイソーポスという奴隷出身の賢人が考えたものなの。ほとんど口伝えで広まったらしいからいくつかパターンがあるみたい。一般的には月ノ下くんが言った解釈で間違いないけれど、最近は新解釈もされているわ」
「新解釈?」
「アリに向かってセミは最期に自分はやるべきことをやりつくしたと誇らしく宣言しているともとれるでしょう。つまり『地道にコツコツ働く安全な生き方をすること』と『例え短い人生でも自分らしくやりたいことを精一杯やり通す生き方』。どちらが正しいのかを問いかける寓話なのだという解釈」
「人生に正解なんてないんだから自分で考えろってことか」
そう考えると話の印象が変わるな。
子供の時は、怠けてばかりのキリギリスが愚かという印象しかなかったが、先のことをあえて考えずに今という一瞬に自分の在り方を求めてはかなく死んでいくという様に何となく切なさすら感じる。
「まあ、童話も大人になってから読むと視点が変わるせいか、『本当はこういう意味だったのかな』ってなることはあるよな」
「そうね。……メーテルリンクの『青い鳥』っていうのもあるけれど」
「ああ。あの兄妹が幸せを呼ぶ青い鳥を探し回るけれど、本当の幸せは身近なところにあったってやつか」
「ええ。でもその教訓の裏には『人間は身近なところとはかけ離れた非日常にあるものが素晴らしく思えてしまう』という性質が揶揄されていると思うの」
僕は彼女の言葉に一瞬沈黙して考えを巡らせる。
「誰しもそういう経験はしているかもな。旅行先では物珍しくて神社仏閣を見て回る人が、転勤で京都とかに住んで見慣れてしまうと急に何でもないようなものに思えて参拝もしなくなる、とかさ」
「私がよく思うのは英字がプリントされたTシャツかな。前に『LOVE&SOUL ETERNAL』なんて書かれたTシャツを見かけたのだけれど。仮にこれが『永遠の愛と魂』とか日本語でプリントされていたら多分あまり売れていないと思うのよね」
思わず頭の中でそういう情熱的な単語が漢字でプリントされたTシャツを想像して吹き出しそうになる。
「確かに。……アルファベットだと平仮名や漢字より身近じゃないから逆にデザインとして格好良く映るんだろうな」
そういえば洋楽とかでも似たような話を聞いたことがある。
ある人が「歌詞が判らないけれど何となくいい曲だな」と思って海外のミュージシャンの曲を聞いていた。しかしその後勉強して歌詞が聞き取れるようになるにつれて、歌詞の意味の方に意識が取られるようになってメロディが純粋に楽しめなくなった、なんて話だ。
きっと人間は学習本能として知らなかったことや身近にないものを魅力的に感じるようにできているのかもしれない。
「あ。……次が降りるところよ」
そういって彼女はバスの停車ボタンを押した。
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