第13話 フォーリナー・ブラッドロット

「なんだこれは……」

 虚ろの堂から転送された先で、俺が最初に目にしたものは赤色だった。

 一面の赤。それはきっと、人の、さっきまで生きていた筈の人間の、体液の色。

 倒壊したビル。ひび割れて陥没したアスファルト。傾く電柱、切れた電線。散らばる窓ガラス。何かの残骸、瓦礫。

 崩壊の象徴はいたるところに溢れていた。

 それでも、そんな事とは比にならないこの世で最も重要なもの。

 命。

 その尊ばれてしかるべきものが、台無しになっていた。無数の死体が、街を覆っていた。

 こんなものを見せられて黙っていられる人間等いない。

 まして目の前では、鮮血をその身に浴びたくった悪魔の手によってまた一つの命が枯らされようとしている。

 だったら!

「まちな。あれはうちがやるよ」

 勇んだ足はその声に諫められた。肩に優しく手が置かれる。

 次の瞬間には全てが終わっていた。

 幼女を手に持ったナイフで突き刺そうとしていた殺人鬼は、不過業『人、城を頼らば、城、人を捨てん』によって背後をとったなっちゃんによって一閃され、その命を終えた。

 同僚からの通信が耳に入る。

(間に合ったみたいね、よかった。さっきも説明したとおり、街はあういう輩で溢れてる、これは明確な国家への攻撃よ。殺処分の許可も……)

「何が間に合っただ! こんだけの数の死体を前にして、そんな言葉吐かないでくれ……」

(そうね、ごめんなさい、でも嘆いてる暇はないの。こうしてる間にも死体の山は増え続けてるんだから。それに、これはもうわかってると思うけど、転移式七ニ三六は使えない。支援術者の詰所である第二庁舎が殲滅されたから。信じられないことだけど……)

「なんでそんな一番肝心な場所を落とされてんだよ! クソッ!」

 俺はやるせない気分になって、思わずそう怒鳴り散らしてしまう。

「落ち着け、同胞よ。これはきっと、我々がかつて受けたのと同じ仕打ち。我等が憎むべき血豚共の所業だ。このままではこの国は滅ぶ、故に落ち着くのだ。貴様の努力次第で結果は変えられるかもしれんのだから。全ては、まだ終わってはいない」

 けれど、そう言ってウルティオは俺の顔を両手で包み込んだ。彼女の赤い目と俺の目が無理矢理に合わせられる。なぜだかその行為は、不思議と俺の心を落ち着かせた。

 天高く轟々と燃え上がる火柱の様に真っ直ぐな、彼女の熱い瞳と心。そして、全てを掬い上げようと藻掻く小さな傷だらけの手。それらを俺は感じていた。

 きっとウルティオはこういう環境に慣れてしまっているのだろう。だからこうしてパニクってしまった俺にも咄嗟に適切な対応を下せる。

 それは、なんと立派で、悲しい……。

 なんて思っていると、ウルティオの言葉を聞いた同僚から通信が飛ぶ。

(え、それってどういうこと!? あなた、こいつらについて知っているの?)

 それに対しウルティオは辺りにぶちまけられている無数の亡骸に向けて、追悼の意を示す様に手を動かしながら、言う。

「ああ、これは別世界からの略奪者が放ちし弱者の殺害に特化した個体だ。奴等によって我等が祖国は壊滅させられたのだから、間違えるはずもない。奴等は多世界から有用な因子を奪い取ることを目的とし、それをあぶりだす為にまず雑兵を放つ。その結果がこれだ」

「ああ? そりゃあどういうことだ!? 人殺しはついでだってことかよ!」

「おそらくな」

「狂ってる……。なんだってそんなことができやがる?」

「ああ、まったくその通りだ。故に不満はあるが今から貴様を同胞とみなし、手助けをしてやろう。共通の敵を持てば味方であるなどというのは甘ったれた考えだが、異論は無いはずだ。だから落ち着け、お前は今勝ち馬と大船、その二つに同時に乗ったのだから」

「……いいのか?」

 まず大前提として、一応彼女はまだ虜囚の身、そして俺の職業ははおまわりさんだ。

 それになにより、俺はウルティオという小さな女の子をそんな危険な奴等と戦わせるという事に、改めて抵抗を感じていた。

 けれど、今俺達の街を襲う殺人鬼共はウルティオの仇でもあり、そしてこんな綺麗事を言えるような状況ではもう無い事もわかっていた。

 だから俺は、そうして形だけの確認をした。なんと卑怯で軟弱なのだろう。これほどまでに力不足を痛感させられたのは、父の死以来だ。

 そして、そんな俺の内心を知ってか知らずか、彼女はいつもの如く真っ直ぐに告げる。

「何を迷うことがあろう? 奴等は我々の憎むべき敵。あれを葬れるのなら手段は問わん」

 その言葉の終わりに、ウルティオはこちらへと手を差し出し、俺達は初めて互いの手を取った。ただ握手をしただけなのに、まるで心まで掴まれたかのような感覚。俺は改めてウルティオの圧倒的なカリスマに魅せられていた。

「ありがとう」

「うむ、やはり貴様はその腑抜けた面がよく似合う」

 ウルティオはそう言って、にっこり笑った。それは、とても美しい笑顔だった。

 けれど、その尊い笑みがいつまでも続くはずも無く、

(二人共、そっちにさっきのとは段違いに強力な生命反応が接近してる! 気をつけて!)

 というクレアの通信によって、彼女の表情は引き締まり、憎しみが表出する。

「その説明から察するに、恐らくは能力持ちだ。舐めて掛かると痛い目に合う。気をつけろ!」

「おい、なんだその能力持ちって!」

「説明している暇は無い。私が迎え撃つ、お前はストラージャと共にあの幼女を守っていろ!」

 彼女はそう言って、今しがたなっちゃんが救出したばかりの女の子を指差す。

 だが、俺は彼女の言いなりになるつもりはさらさらなかった。

「おいおい、子供だけ戦わせて自分は後ろで黙って見てるなんて出来るかよ。そうしたいのは山々だがな、それが出来たら俺はもう俺じゃあねえんだよ!」

「な……」

 ウルティオは何故か驚いたように口をぽかんと開けていた。

 俺はやや離れた位置にいるなっちゃんに向け、自分の意志を伝える。長い付き合いだ、詳しく説明せずとも多方察してくれるだろう。

「なっちゃん!!! その子は任せた!」

「フゥーー! オッケー裁駕、待ってたぜそのセリフぅ! やっぱうちさりげアンタのこと好きだわ。んじゃ後はよろー。ドロン!」

 俺の言葉を聞いたなっちゃんはなぜかは知らんが急にハイテンションとなり、『人、城を頼らば、城、人を捨てん』でどこか安全な場所へ小さな女の子と共に消えていった。

 それを口をぼうっと開けたまま見ていたウルティオは、一瞬でいつものキリッとした表情へと戻り、鬼のようにまくし立てる。しかも理不尽なことに、一発ビンタを入れられた。

「馬鹿者!! ばか! 貴様、貴様! 何ということを……! 奴等にストラージャ無しで挑むなど自殺行為だ! この、うすのろ! のうたりん! あんぽんたん! もういい! 貴様は下がっていろ! ――アビエルト!」

 彼女は俺に文句を垂れるのもそこそこに、呪符を展開した。彼女の周囲を五十六の神秘がケルト十字型に覆う。それに伴って立ち起こる旋風が、彼女の魔力量の甚大さを物語る。

「問題ない。俺だって、無策でなっちゃんを送り出したわけじゃねえんだ」

「黙れ、貴様に少しでも期待した私が馬鹿だった。生憎私には自分から勝機を逃すような愚か者を守る気概の持ち合わせは無い。疾く失せろ」

 さっきは彼女と初めて出会った時からは想像も出来ぬような関係になりかけていたのに、なっちゃんを逃した途端彼女は急に剣呑になってしまった。

 しかし、俺だって一応その方がいいと思ったからそうしたんだが。

「共闘する気はないってか? それこそ勝機を逃すことになると思うが」

「ぬかせ。これ以上貴様と話すことはない。わかってくれ、これは貴様を思ってのことなのだ。ストラージャ無しで我々が奴等に勝利することは不可能。これは覆せない。故に、早く逃げてくれ」

 そう言う彼女の赤き瞳は、一瞬だがいつもは見せぬ弱々しさを見せた。

「大丈夫だ、ストラージャならまだ呼び出せる。――展開!」

 そう、俺は今は亡き父が残した手法により、ストラージャを同時に二体呼び出すことができる。だから、問題は無いはずだ。

 そして、ホロスコープ型の展開式が五六枚の小アルカナを俺の周囲に固定させる。

「遂にとち狂ったか? 生身の人間がストラージャを複数使役するなどと!」

 確かに未だその秘技を見ていない人間からすればそう思うかもしれないが、その言い方はさすがにひどくねえか?

 という不満を噴出させる暇は勿論なく、同僚の叫び声が概符から届く。

(二人共、言い争っている暇はないわ! もうすぐそこまで敵が来てる!)

「そんなことは分かっている! ちっ!」

「かっかすんなよ、俺だって奴等を止めたいと思っているのは本気なんだ」

「その言葉を信じているぞ」

 ウルティオはそう吐き捨てると、敵が接近していると思われる方角へ駆け出した。その傷だらけの指に新たな傷を作り、紅の血を、また一滴生み出して。

「血風乱れし戦場、此処に在り。混迷極めし戦局、此処に在り。嗚呼、革命は今此処に望まれた。故に策を弄せし英雄よ、融けろ。謀を巡らせし英雄よ、混じれ。此処に満つるは汝を呼ぶ声。然らば汝、其の知略枯れるまで機を以て先を制せ――!」

 荒れ果てた天神町を全速力で駆けながら、彼女は例の如く大アルカナを宙に放って手刀で一閃。そうして破却された呪符と己が鮮血を小さな胸に叩きつけ、叫ぶ。

「死霊纏縛! 宿り堕ちろ Estratega! 其の慧眼、先見、私が貰い受ける! 来い! Vertical Numerus Siete ナポレオン・ボナパルト!」

 その言葉と共に、世界の法は捻じ曲がる。

 詠唱の終了と膨大な魔力の発露。そして――

(生命反応到達! 激突するわ!)

 そんな同僚の叫び声と同時に、敵影が二百メートルほど先から凄まじい速度でこちらへ

向かってくるのが見えた。

 直後。

 ドッ!!! ガッン!!

 轟音が二度響いた。一度目は纏縛を使用した直後のウルティオと敵影がお互いに高速で正面衝突し、発生した音。

 二度目は、それによってウルティオだけが一方的に吹き飛ばされ、彼女の背後三十メートルにあったコンクリの壁にその身を叩きつけられた音。

 彼女はそこで止まることなく壁を破壊、貫通した後そのままの勢いでゴロゴロと転がっていく。

 それを見て、今しがた体当たりだけでウルティオを圧倒した正体不明の人影が笑う。

「来た、見た、勝った! フ、フハハハハハハハハ!」

 強烈な笑い声が空間を支配するかのように辺りを木霊して、正直な話、俺は呆気にとられてしまっていた。

(気をつけて、そいつはストラージャじゃない。ただの人間よ。なんなら、魔導師ですらない! でも今のでわかったでしょう、それなのに尋常じゃない力を持ってる。謎が多すぎるの!)というクレアの通信すら、上の空で聞いてしまうくらいに。

 なぜなら、第一に、恐らく今まで俺には見せていなかった本気を出したはずのウルティオが、あっさり力負けしてしまったからだ。

 ナポレオン。この名を知らぬ者はいないだろうと思われる程の、超有名且つ強力な先人。現代に至る自由な時代を造り上げたその偉大なる魂を、確かにウルティオは纏縛魔法でその身に纏っていた。

 それが証拠に彼女の服装は、その先人が身につけていたことが語源となっているもので固められていた。後にナポレオン帽とも呼ばれる二角帽子に、縦に二つボタンが並んだ、同じくナポレオンコート。それに合わせられた短めのスカート。腰にはサーベルと銃剣。

 また、ウルティオはいつも放っていた強烈なカリスマを更に倍増させており、ナポレオンの魂をその小さな体に宿していることは一目瞭然であった。

 それが、瞬殺。

 そして、それだけではない。俺が驚いていたのは敵の容姿、及び言葉だった。

 特徴的な中性的容姿については同僚から聞いていたのと、先に殺人鬼を見た時に把握していたつもりだったが、こいつはその認識の外にあった。

 凹凸のない細身の長身。その体型からは性別を判断できず、けれどその顔貌にもその判断要素は無く。眼窩だけが異様に深くそれ以外はのっぺりとした不気味な顔に、スキンヘッドと青白い肌。それらはもはや中性的というよりも、非人間的だった。

 また、笑いながら発した「来た、見た、勝った」というセリフ。そのあまりにも有名すぎる引用句は一人の偉人を思い起こさせるものだが、奴はストラージャではないという。であれば奴はなんなのか。凡そ人間とは思えぬ速度で移動し、纏縛魔法を用いた死魂魔導師をいとも容易く一蹴するこの人間のようなナニカは、一体なんだというのか。

 しかもこいつからは魔力が一切感知できず、当たり前だがそのためにこいつは魔導・魔術・魔法及びそれに値する行為を全くしていない。つまり、今行われたのは絶大な身体能力から放たれたただのタックルということになる。もはや理解不能だった。

 生身の人間にそんなことが果たして可能なのか? そもそもこいつは人間なのか?

 疑問は止まらない。

 しかし、そんな事に頭を悩ませることのできる時間があるはずもなく。俺は自身の周囲に浮かぶ呪符の中から一枚を掴み取り、急ぎ術式を行使する。

「浸れ、#盞__うき__#式七、白霧」

 聖杯の七が紡ぎしは、純白のカーテン。一寸先すらまともに見渡せぬ濃霧だ。周囲に広がっていくそれに、攻撃力は皆無。だが、敵の目を眩ますにはこれで十分だろう。

「ほう、#陰世界__フラウ__#の青年よ、賢い選択だ。強敵に出会い、敵わないと悟るや否やその身を隠し、次の一手を練る。またそれと同時に仲間の復帰も見込めるという訳だ。なんと賢明で合理的選択だろう。いやはや、これ以上無く残酷な迄に正しい選択だ。……しかし、しかしそのなんと非英雄的なことか! 仲間を打ち捨てられたにも関わらず傍観を決め込み、怒りにその身を震わすこともないとは! 失望とは正に今この時のような感情を言うのだろう。ああ、陰世界の卑しき青年よ、私は今、貴殿に失望している!」

「耳を貸すな、同胞よ! 私はなんとも無い! 故に先の言葉が誠であるのなら、証明してみせろ! そうでなければ去れ。私は一人でも奴に打ち勝てる!」

「ハハ、なんとなんと。あまりにも小さき身体故、今ので果てたかと。だが、その認識は改めねばならぬようだ。この少女は蟻ではなく、クマムシであったという具合に!」

 敵の明朗でありながら聞いたものの心を掻き乱す様な信用ならぬ嗤い声と、ウルティオの刺すように鋭い声が、白霧の向こうから聞こえてきた。

 あいつ、散々俺のことを馬鹿だのなんだと罵倒していやがったが、自分が一番馬鹿だってことに気付いてねえのか? せっかく煙幕焚いてんのに自分で敵さんに居場所を教えてんなよな。全く。これじゃあ俺はお前の言う通りにしなくちゃならなくなるだろうが。でもまあ、取り敢えず無事なみたいで安心したぜ?

 そんなわけで俺は、自身が切れるこの場で最も有効と思われる呪符、即ち寵児の大アルカナを手に取った。この札を切るのはなんだか敵に乗せられているようで正直気が進まないのだが、それが今考え得る最良の選択肢である以上仕方がない。

 刑事の感は六割当たる。だから、残りの四割を信じようじゃないか。

 さあ、呼び出そうか。あの型破りなあいつを。

 手に持った呪符を掲げ、霧に紛れて俺は呟く。

「神童の座に至りし者よ、幼くして太陽の如き寵児よ。人々に侮蔑され、乱世を招きしその信仰、その倒錯こそを讃えよう。しかして、我、共にその奇を衒う者。故に来たれ、新奇なる同胞よ、非常の日輪よ。さあ、世に再びの混乱を――」

 凄まじい量の魔力が俺の体から搾り取られていき、やがて別の一つの体へと集約する!

「幻想纏臨! 現出せよ The Sun かの純真で御代に崩壊をもたらせ Upright Nnmber Eighteen、ヘリオガバルス!」

 俺がそう言い終えた途端、強烈な閃光が辺りを包み、霧を晴らした。それは、突如直上へと位置を移した太陽によるもの。そして、そのとてつもない光の中から現れたのは!

「うー、随分ご無沙汰だったね裁駕ぁー! こんなピンチにボクを呼んでくれるなんて感激だよー。期待に応えるね。ボク、頑張っちゃうから!」

 太陽教の神官であり、ローマ帝国第二十三代皇帝でもあったマルクス・アウレリウス・アントニヌス・アウグストゥス。通称ヘリオガバルスである。

 褐色の肌に短めの金髪、琥珀の瞳を持った、まだあどけなさの残る美貌の持ち主。長めのパーカの下から僅かに覗くホットパンツは、全くその扇情的太ももを隠せていない。そして何故か身につけている首輪腕輪手錠足輪ガーターリングといった拘束具の数々。とても皇帝であったとは思えないその冒涜的出で立ちこそ、彼を彼たらしめるものだ。

「本当に呼び出したというのか……!」

「なるほどなるほど。これこそが召喚、いや纏臨というものか! やはり百聞は一見にしかず、まるで観劇のように黙って見ていた甲斐があったというもの。しかし、しかししかししかし! 鴨が葱を持ってくるとは正にこの様な事を言うのであろうよ! フハハハハ、愚かな青年に盛大な感謝を。万来の喝采を! フフ、フ、ハハハハハハハ!」

 感嘆するウルティオ。まるで演説のように大声で語り続ける奴さん。

 けれども、そんな二者の反応など全く気にぜず、ヘリオガバルスは天真爛漫に俺に告げる。意味もなく腕を交わらせてきながら。

「とりあえず、今の天神町はちょーピンチ! だから急いで敵を皆殺しにしなきゃみんながまずい! そうだよね、裁駕ぁ?」

「ああ、大体あってる。だからまずは……」

 そして、ヘリオガバルスは俺の言葉を最後まで聞くことなくウィンクを決め――

「おっけー。まいダーリン! じゃいっくよー!」「おい、待て!」

 いきなり第一の絶理を解放した。

「おいでませ、隕石くん!」

 彼のその無邪気な声は、爆音にかき消された。

 それは、遥か頭上から信じられないスピードで円錐状の黒く巨大な物体が飛来する音。つまり、彼の言葉通りに隕石が敵めがけて今まさに落ちようとしている音。

 その物体はヘリオガバルスが信仰し、彼の愛称の元ともなった太陽神エル・ガバルの御神体であるとされた黒曜石。その漆黒は天を覆い、大きな影を地面に象った。

 さあ、神の依代が今ここに降臨す。太陽神による裁きの鉄槌は、大地を抉り喰らうだろう。

 瞬間、着弾!

 吹き荒れる轟音と暴風。衝撃が大地を揺らす。

 吹き飛ばされかけた俺を、ヘリオガバルスが頼んでもいないのにぎゅっと支えてくれた。

 しかし――

「嘘だろ……」

 敵はこの猛攻を防いでいた。

 いや、防いでいたというレベルではない。あの天災クラスの黒曜石の塊を奴は真っ向から拳で受け止め、粉砕していた。

 自身の体長の何千倍はあろうかという膨大な質量を持った岩石の高速落下。それに対し奴は何をするでもなく、ただ大きく振りかぶって右拳をぶつけただけだ。たったそれだけ、たったそれだけの動作で巨岩は分裂し、無数の礫となって地に降り注いだ。

 こうして、ヘリオガバルス第一の絶理はいとも容易く無効化された。

「ふむ、こんなものか。天をも覆う巨石、それも不吉な黒が降ってきた時は肝を冷やしもしたが、終わってみれば大層やわい。ああ、まるで、それこそ天空の雲が降りかかってきたかのように」

 それは恐らくストラージャでさえ不可能な程の蛮行であり、俺は思わず敵の底知れぬ強さに震えそうになった。だが、そんな弱音は吐けない。なぜなら、ウルティオにヘリオガバルス、二人の年下の戦士が勇敢に立ち向かっている。それがどうして俺だけが敵を恐れられようか。俺はヘリオガバルスから差し出された手を、強く、固く握り締める。

「何を惚けている! 直ぐ様次の攻撃を叩き込め! わかっただろう、奴には生半可な攻撃は通用しない。私が時間を稼ぎ、お前達を強化する。その間にお前達はさっきのより強力なのをお見舞いしてやれ!」

 その言葉と共に破裂音が複数鳴り響く。それはウルティオによるもの。纏縛により使用可能となったと思われる魔術で十二ポンド砲台を次々と具現化させ、絶え間なく敵に集中砲火を浴びせかけていた。その手管は、正にナポレオンを彷彿とさせる。

「その出で立ちにその手法、貴殿、もしやフランス皇帝か? フハハハハッ! いいぞ、いいぞ、これはいい!」

「だったらどうした!!」

 また、優秀な指揮官であったナポレオンの不過業なのか、俺達の体は軽くなり、通常よりも素早い動作が可能となっていた。やはり軍師としての能力は伊達ではないらしい。

 ウルティオの休みなき砲撃によりかろうじて足止めできているらしき敵を横目に、俺とヘリオガバルスは熾烈な一撃を叩き込むべく息を合わせる。

「やろうか、裁駕ぁ」

「ああ、俺もお前を支援する。さっきは諌めて悪かった。今度は思いっきりやってくれ」

 さっきこいつがやらかしたいきなりの絶理発現は本来であれば愚策中の愚策だが、今回に限ってそうではなかったようだ。敵の実力を見誤っていると早期に気付けたのは大きい。

 次は全力で行く。それ程の火力をぶつけてやらなければならないくらい、あれは強敵だ。

「フフーン、まってたよーその言葉を! 裁駕ぁ、大好きいー! それにぃ、御神体をぶっこわされてだまってる司祭様がいますかってね! まっかせてよ!」

 そう言ってヘリオガバルスは無い胸を張った。けれど、此れ程頼もしい胸もないだろう。

 そして俺は彼を支援する術式を、彼は絶理を、それぞれ発動するべく詠唱を始める。

「王よ、今ここに剣を掲げよ。その剣は人民の為に。女王よ、今ここに剣を掲げよ。その剣は国土の為に」

 凶剣の王と女王、二枚のアルカナが大きな輝きを放つ。

「嗚呼、我が神、常勝不敗、唯一至高の太陽神よ! 天空神を従えカピトリス三位を娶りしその威光、その御力を我が元に!」

 ヘリオガバルスから莫大な魔力の奔流が漏れ出始める。

「その双眸に写りしは、果敢な戦士! 創鞘式キングスクイーン、励弩麗!」

「我が行く末を照らせ! 背徳指し示し陰陽の煌き!デウス・ソール・インウィクトクス

 太陽が落ちた。

 そう言っても過言ではない程の質量が、敵の頭上に出現し爆発した。それはまるでビックバンの如く。その爆炎は辺り一面を灼熱地獄と化し、目を開くことさえ出来ぬ燐光を生じさせる。ヘリオガバルスの加護が無ければ、近くに居るだけの俺も一瞬で蒸発してしまうであろうという程に燃え盛る紅蓮。直撃すればまず助かることはないはずだ。その炎は皮膚の上からでも内蔵を焦がす。

 けれど。

「幻想再現、事例一二――スヴェル」

 そんな声が、轟轟という焼却音に紛れて、聞こえたような気がした

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