第12話 フォールンダウン・クラウンフォルム

 天神町万世区、帝宮最奥、禁裏。

 そこでは、和風テイストで短めに切りそろえられた深緑色の艶やかな髪を持ち、和洋織り交ざったマント付きの軍服を身に纏った美女が、モニターに映し出されている虚構競魔宴武の上帝戦を楽しげに観戦していた。

 彼女こそはかつて此の国の全てを統べ、頂点の座に百年君臨し続けるという偉業を為し、天帝と呼ばれていたヒト。そして現在ではそんな現人神としての役目を終え、引退し上帝の身となった人。

 しかし、彼女が先程まで携えていた包み込むように安らかな笑みは消え、その尊顔は苦痛に歪む。それは上帝の持つ千里眼によるものだった。遠隔にしてまるでその場に居るかの如く千里を見通してしまうその力は、彼女の今最も見たくないものをその瞳に映してしまった。八十年前や、二十五年前の、あの日のように。

 彼女の見た景色、それは……惨劇の予兆だった。

 無数の暴徒が我が神聖なる国土へと不意に降り立ち、我が血肉とも言うべき愛する民草が情け容赦無く蹂躙されようとする様。彼女はそれを見た。思わず先の大戦の記憶が、大事な人を亡くした記憶が、脳裏に蘇る、

 我等倭国の民に敵意を持ってやってきたその集団の総数はそう多くはなかったが、それぞれが一個人が持つには分不相応に強力な力を持っているであろうことが察せられた。それは、明確な国家の危機を意味する。

 具体的には獣の如く猛り狂った低級ストラージャ紛いが五千。だがこれは大したことはない。この程度であれば、治安維持局員や国民軍、あるいは不磨の法典所属の護法菅等による対処で間に合うだろう。故に、問題は別のところにあった。

 それは、五十の強力な個体。そして更に脅威的な絶対無比の五つの個体。これらは並のストラージャ程度であれば容易く屠ることが可能な程の一騎当千の力をその身に宿していると思われた。これは危険だ、危険に過ぎる。なぜなら、それほど強靭な個に対処できる人民の数は、平和ボケした現在の倭国では限られてくるであろうから。

 そして何よりそれらの正体及び目的が一切不明であることが、何よりも上帝を不安にさせた。というのも、その集団の特徴がバラバラなのだ。肌や目・髪の色も服装も武器も全くといっていいほど共通点は無く、その行動にも統一感は皆無。彼等が倭国に派遣された軍隊及び特殊部隊であればこのような無軌道はあり得る訳もなく、彼女は焦燥に駆られる。

 しかし、一つだけ、ただ一つだけそれらには共通点があった。

 それは、性別が無いということだった。

 いや、あるいは両性具有。そのどちらかはわからないが、だれもが中性的だった。それらは千差万別で一つとして同じ個体がいないにも関わらず、その全てが中性的だったのだ。意味がわからなかった。だが、その異様さはそれらがまるで我々の知る人類とは別のナニカなのではないかという恐怖を抱かせ……。

 全くの想定外。理解不能の窮地。それがもたらす混乱。

 外交にも政治にも失策は無いはずだった。対外関係は良好、国民の間には笑顔が溢れ、不穏分子等微塵も存在しないはずだった。考えられる脅威等、この世界のどこにもいないはずだった。考えられるとすれば……。

 そうして彼女は、一瞬にして解答に辿り着く。

 上帝は自分の失態を悟った。この事態を予見することは出来たはずであると。ここ最近多数発生していた快楽殺人者。何らかの裏が有る事に気づいていながら、瑣末事だと早期解明を怠った。平和ボケしていたのは自分だったのだ。

 ならば、その責、我が身を捨て果たして然る可し。

 上帝は決意する。今再び神の座に上ることを。

 彼女は人としての自分を捨てようとしていた。今から約百五十年前のあの日、自分が自分であるために生きるのを止めた、あの日のように。

 それはつまり、このまま彼女が何もせず黙して座してしまったならば、この未来永劫続くかに思われていた倭国の平穏が崩れ去り、未曾有の危機がこの国土を灼くという事を意味していた。

「また君達の試合を最後まで見届けられなかったよ。でも、許してくれないか? 一億の民に浮気してしまう、こんな狡い女の事を……」

 そう呟く上帝の目は遠くを見つめ、この世の何よりも儚く在った。

「この対価は大きいぞ外道共。命乞いも弁明も許さないさ、憐れみも情けも救いも無く灰にしてやろう。ああ、神ってそういうものさ。思うがままに罰を振るう」

 彼女はそう言って立ち上がり、粗暴で野蛮な夷狄を国土から駆逐すべく、国家元首たる彼女だけが扱うことを赦された神器の元へ向かう。

 上帝は一歩を踏み出した。

 瞬間――。

「それはどうだろうな?」

 そんな声と共に突如背後から現れた、中性的出で立ちの刺客。それは上帝に向け手に握った刃を突きつけんとその腕を伸ばす。

 けれど、上帝はそれがこちらに瞬間移動する様を、既に千里眼で視終えている。

 故に彼女が凶刃に倒れることはなく

「ああ、知ってるんだよ。そういうの」

 迫り来る刺客をつまらなそうな目で見遣り、上帝は振り向きざまそれに対し手を翳す。その上で、たった一言を命じる。

「――抉り給え」

 すると、刺客の胸部がごっそり消えた。彼の生命を維持するため動いていた器官の三分の一が虚空に消え、彼の上半身に大きな円状の穴が開く。

 上帝が一騎当千の力を有すと評価した五人の内の一人であったそれは、こうしていとも容易く無力化された。

 刺客は血さえ流すことなく地面にその体を伏せる。使い手を失った刃がカランと音を立てた。

 これが天帝の力。人でありながら神に成ったモノの力。その力の前では、どんな人間も無為に朽ちる。

「私は再び天上に至る。この身を又候神の座に押し上げさせた愚行、後悔しながら堕ちて逝け」

 彼女が刺客の亡骸を忌々しげに見遣り、そう吐き捨てていると、近衛の一人が駆けつけてきて言った。

「何事でありますか?」

「国の一大事だ、君は通達を出し人民を守れ。私は神器の元へ向かう」

 天帝の力をもう一度得た彼女は、そう言って歩き始める。

 他の刺客がこの地にやってくることを千里眼により予見しながらも、背後で蠢く存在には、気付く事無く。

「思想体現、類型三百――サンジェルマンの悠久」

 その声の主の名は、クリームヒルト。

 人の身にありながら神に至った、もう一つのカタチ。

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