第5話 妹としょこたんと第六天魔王と

「ただいま! 我が最愛の妹よ!」

「瑠羽、おっさん!(お疲れさんの意)」

「りー(おかえりの略)」

 勤務を終え、無事自宅へと帰還した俺は、実に十一時間ぶりの妹を堪能していた。いや、正確には十一時間九分と三十二秒ぶり、先の闘技場での声を含めるのなら一時間二十二分と四十五秒ぶりなのだが……大事なのは数字ではない。今瑠羽と同じ空間を共にしているという事実だ!

 ちなみに瑠羽はいつものようにリビングのソファーの上にワンーピスタイプの猫寝間着姿で寝そべり、ぐでっとしている。彼女の小さな体がファンシー衣服を身にまとうことで、まるでお伽噺に出てくる妖精のような雰囲気を醸し出し後ろ姿だけでもありえんかわいい。

「やー、相変わらず裁駕のシスコンっぷりはレベチ。しょーじきキモい」

「でもねなっちゃん。養われるている身であるるうは文句も言えないんだよ」

「健気だね瑠羽、よしよし」

 そう言って我が妹瑠羽の頭を撫で始めるなっちゃん。

 ……それは俺の役目だろうが!

「にぃ、るうお腹すいた」

 なっちゃんに対する怒りを露わにしかけた俺だったが、そんな感情は直ぐ様霧散。

 なぜなら、こうして俺に上目遣いで食事を求める妹の姿があまりに天使過ぎたためだ。実際、透き通った白い肌に真っ白なショートカットと長めのもみあげ、といった出で立ちの瑠羽は、誇張でもなんでもなく天使の様な外見をしている。もし、辺り一面の雪原に瑠羽が立てば、その白ずくめの可愛らしい体は雪景色と一体化してしまうのではないだろうか。遭難し吹雪吹き荒れる山中、朦朧とする意識の中でそんな瑠羽に出会ってしまったら、俺は間違いなく彼女を女神だと認識するだろう。おお! マイゴッデス!

 そして、動物に例えるなら猫のような雰囲気の瑠羽。

 それらは勝手気ままで気まぐれな性格と、愛らしい猫口の顔付き、それに小動物のような小さな身体が培いし境地。

 また、深く掘り下げればもっと様々な瑠羽のよさを列挙できるのだが、大事なのは美辞麗句を書き並べることではない、瑠羽がかわいい、ただそれだけの事実だ。

 瑠羽はかわいい。とりあえず今日はそれだけ覚えてもらえれば。

 そうして瑠羽について想いを巡らせていると、俺に背中を向けたままの瑠羽がとっても気怠げにかわいらしい声をもそっと上げた。

「おなか、すいた……!」

 飢えた妹が腹を空かせて待っている。ならば、兄のとる行動はひとつ。

「オーライ、今兄ちゃんが作ってやる」

「あ、うちの分もよろー」

 帰って来てすぐ息をつく間もなしにノリノリでキッチンに入る俺に対し、アホっぽい声が飛ぶ。途端、癒されていた心が荒む。

「ふざけんな、クソギャル」

「ああ? 焼くぞシスコン」

 爆発した俺の怒りはアホへと伝染し、一触即発かと思われた。が、

「るうはおもう。みんなで食べたほうがおいしい」

 その一言で俺は聖人と化す。

「だよな」

 俺は調理に徹する機械の如く冷蔵庫を漁り始める。

「いつも思うんだけどー、アンタの兄、ちょろすぎね? うける」

「なっちゃんが言えたこと?」

「どーいう意味?」

「さてねー」

「なになにー、言いいなよー、このー」

「うー」

 そんな二人のじゃれあいを聞きながら、俺はフライパンへ卵を落とす。一つ二つ三つ。

つくるのは目玉焼きだ。ただいまの時刻は四時半。早めの朝食ってところか。

「にぃ、まだー?」

 そんないつも通り気怠げな妹の声を聞きながら、鼻歌交じりに調理を続ける。

「もうちょいだな。待ってろ」

「はーい」

 俺に尻をむけながら手を上げて答える瑠羽。ものぐさな彼女の性格がよくわかるような最低限の動き。でもそんな無気力な気負わないところが好き。返事一つさえかわいい。

「なんか裁駕の表情超キモいんですけどー」

「いつものこと。気にしないのが吉」

 こんな風に兄に対して素直になれないところもかわいいな。解説の時もそうだけど。

 あと、クソギャルは黙れ。

 こんな感じでイライラと癒しを交互に享受しているうちに目玉焼きは完成。

 かなり早めの朝食を三人でとることとなった。

「ほれ、できたぞ」

 そう言いながら俺は瑠羽が寝ているソファー前のテーブルに目玉焼き、ご飯、飲み物、調味料なんかを並べていく。

 そんな俺に背を向けてぐうたらとしていた瑠羽は、寝返りをうち微笑を浮かべ、言う。

「ありがと。にぃ、好き」

 美しい白髪に、太陽から逃れることによって得た白磁のように綺麗な肌。ああ、瑠羽は今日も美しく、愛らしい。そんな控えめに言って美少女、大げさに言わなくても傾国の美女である最愛の妹がこちらに微笑みかけ、愛を囁く。俺はもう幸せで胸がいっぱいだった。

 ぼそっとかわいらしいがたるそうな声で「ふう、ノルマ達成。妹ってのも楽じゃないよ」というような呟きが聞こえてきたような気がするが、幻聴だろう。……そうだといいな。

「まあ俺は兄として当然のことをしたまでであって……」

 俺が嬉しいのをあまり表に出し過ぎないようどうにか言葉を紡いでいると、頭からっぽかお前と言いたくなるようなセリフが飛んでくる。

「アチュラチュなのはいーけーどー、とりまパクつこ?」

 あ?

「おい、俺の感動に水を差すな! それとわけのわからんギャル語やめろ!」

「めんごめんごー。いやーうちさっきちょっとマジになったりしたせーで超ペコってたからさー。ゴハンあざおー」

「……あ、ああ」

 止めろと言っているのに止む気配のない流行語の嵐に対し、もう俺はどうすればいいのかわからない。まあいつものことといえばそうなんだが。

「にぃ早く食べよ」

 うん、とりあえずこのギャル魔王のことはどうでもいい。そんなことより、瑠羽と朝ごはんを共にできる幸せを噛み締めよう。

「そうだな」

「「「いただきます」」」

 といううわけで、紫紺寺家withトラブルメーカーの朝ごはんタイムが始まった。

「うん。きょうもにぃの作るご飯はおいしい。るう、にぃのご飯一生食べてたいな……」

「そんなこと言ってくれるのはお前だけだ……」

「えへへ。…………ちょろ」

 照れる瑠羽のかわいさも筆舌に尽くしがた……え、いまちょろいって言った?

 と思っていると、またしても邪魔で能天気な声が飛んでくる。

「裁駕―、味噌―」

「なんで味噌がいるんだよ」

「だって目玉焼きあるじゃん?」

 皿の上の半熟な目玉焼きを箸でちょこちょこつつきながら、なっちゃんはそう言った。

「意味がわからん」

「はー? 目玉焼き見たらとりま味噌かける。これ安定」

「はあ? 何言ってんだお前。瑠羽を見ろ、なんもかけてねえぞ」

 俺がそう言って指差した先には、小さな口に何もかかっていない目玉焼きを次々放り込んでいく瑠羽の姿がある。口いっぱいに食べ物を入れて頬張る姿がかわいい。

「あれはただものぐさなだけっしょ。大体うち前にも味噌常備しろって頼んどいたはずなんですけど? なんなの、裁駕? 家臣としての自覚が足りなくね?」

 うぜえ、とか思いながらも、無視するともっと鬱陶しくなること必至なので仕方なくなっちゃんの為に味噌をキッチンから持ってきてやると、びしっと箸をこちらへ向けられた。

「おい、そこのシスコン! これ八丁味噌なんですけど! ちょっとアンタなめてんの? てかなに、もしかして、尾張ディスってんの?」

「なにがだよ」

「うちが好きなのは赤味噌! これ前も言ったじゃん。そもそも味噌汁か茶漬けがないだけでテンサゲなのに、挙句八丁味噌出してくるとかないわー。ガン萎えー。超SS―。はー裁駕マジ無能ー。まじ味噌なら尾張の赤味噌が全1ってそれ戦国から言われてんのにー」

 大げさな身振り手振りをしながら、そう言って若者口調でまくし立てるなっちゃん。

「知るかよ。適当こいてんじゃんねえぞ、出されたもんに文句つけんなうつけギャル。そもそも若者気取っといて好物が味噌ってなんだよ。ババアかよ。片腹痛えわ」

「はー? ババアじゃねーし。うち死んだの五十手前ですしー。一度もババアになったことなんてありませーん。はーい残念でしたー。つーか今のうちー、だいぶ若い頃の姿で纏臨されてるしー? むしろ若すぎて困るみたいなー? この美貌で男達を刺激しすぎないかーしーんーぱーいー、的なー?」

 流行りものが好きななっちゃんはババアと言われたのがよっぽど嫌だったのか、ただでさえメイクやコンタクトで大きく見せているであろう大きな目を更に見開き、そんな風に必死で反論してきた。まあ確かに、見た目だけは普通に十代後半という風である。

「相変わらずうぜえな。しかもそれ言うなら四十代とか現代でも普通にババア扱いされるだろうし、信長の生きた戦国時代ならなおさらだろ」

「うわー差別―。時代間差別―。現代人のくせにそうやって過去の人物の差別するとかー、ないわー。自分達の方が後世に生きてるから先進的だとか勘違いしちゃってるパティーン? ロステクとかオーパーツってもんを知らねーのかよ、このおっさん。はー萎え。マジ病み。超ホワイトキックなんですけどー」

「あんまり駄々こねると飯抜きにするぞ?」

「なんの権限があってそんなこと言えるわけ? まーでも、はー……おけ。わかった。うちは食べる。ものわかりのいいうちは食べるよ。うちの死後うちの代わりに天下治め続けた奴の地元の特産品を食べるよ。家臣がせっかく作ったんだし。さりげ食べたくないけど」

 彼女はいじけたふりをしながら、なんかつっこみづらいことを言ってきた。さすがにそういう生々しいことを持ち出されると、虚飾の記憶であっても追求しづらい。

「重い」

「だって事実だしー?」

 俺が弱気になったのを見て、ここぞとばかりに押してくるなっちゃん。狡い。

 だがまあいいだろう。たかが味噌で俺もごねすぎた。彼女にはいつもお世話になっているんだ。それぐらい買ってやるべきだろう。

「……わかったよ。今日帰りに買ってきてやるから今は我慢しろ」

「んー、裁駕ありがとー。ちょー愛してるー。BIG LOVE―。まじキュン死にー」

 なっちゃんは今までの彼女からは想像できないくらい甘い声でそう言うと、突然俺に抱きついてきた。身長は瑠羽よりちょっと高い程度のくせに、妹とは違いやたらと発育の良い胸を押し付けてくる。ほんとに気まぐれな奴だな、こいつは。

「やめろ、くっつくな、はなぜ」

 中々離れないなっちゃんを必死に引き剥がしていると、瑠羽が食器をまとめて台所へ。

「ごちそさま……!」

 そう言った瑠羽の声は、いつもの一見感情のこもってないような無気力ボイスではなかった。どちらかといえば、どことなく怒っている様な感じさえあった。なぜ?

「あ、食器かたずけてくれるのか。ありがとな、瑠羽」

 しかも、いつもは俺に片付けさせ洗わせている食器を自分で流し台へ運んでいる。

 これは一体?

 俺が驚きからぼけっとしていると、尋常ならば食後は居間のソファーでゆったりと過ごすのが日課であるはずの瑠羽が、居間と廊下をつなぐ扉へその細い腕を伸ばしていた。

 なにかがおかしい。どういうことだ?

 俺が頭の中をハテナで埋め尽くしていると、予想外の一言が居間を支配した。

「……ばか」

 無慈悲な言葉と、バタンと乱暴に閉められた扉の無機質な音だけがリビングに響く。そして瑠羽はリビングを出ていった。その足取りは、瑠羽の自室へとむけられている。

 俺は困惑していた。

 そんな俺を小馬鹿にしたような目で見て、なっちゃんはいやらしい笑みを浮かべる。

「あーあ。ありゃ瑠羽激おこだねー」

 意味がわからん。ただでさえ感情の起伏が少ない瑠羽が、なぜ突然怒り出すというのか。

「なんでだよ」

「そりゃ自分の目の前で女とイチャついてる奴がいたらおこでしょ」

「そんなことをした覚えはないんだが」

「マジで言ってんのそれー? うけるー」

 手をたたいて笑うなっちゃん。なかなかに腸を煮えくり返す動きだ。

「うけねえし」

 俺がそう言うと、なっちゃんは味噌たっぷりの目玉焼きをもぐもぐと咀嚼し、ごくんと飲み込むんだ後、俺に語りかけた。あと、どうでもいいが、ほっぺに味噌が付いてるのを指摘したほうがいいのだろうか?

「好きな男がー、うちみたいなゆめかわな女子と抱き合っててたんだぜ? もうアウトっしょ? 簡単に言えばー、アンタは瑠羽にやぐられた的な感じ?」

「簡単に言えてねえぞ。やぐられたってなんだよ?」

「知りたい?」

 なぜかそう言いながらなっちゃんは俺に肩を寄せ、挑発的な笑みを浮かべる。どことなくその仕草からは艶かしさを感じたが、やはり頬に味噌がついているので、なんだか全てが台無しだった。

「正直どうでもいい」

「じゃあ教えなーい」

 なっちゃんは拗ねた子供のような声を上げ、俺から離れた。

 そして、俺から目線を逸らしたかと思うと、ちらちらこっちを見たり目が合うと逸らしたりという事を繰り返している。……これは、今従わないとぐずって後でめんどくさくなるパターンだ! そんなパターンの顔をしている! ここは俺が大人になって彼女の要望に答えるべきだろう。経験上ここで俺が折れないと、高確率で彼女のわがままに長時間付き合う羽目になる気がする。ていうか、なる、絶対。

「教えてください。……これでいいか」

「よくできましたー。すごいすごーい」

 俺が苦渋の選択の末に絞り出した声を聞いて、なっちゃんは急に上機嫌になった。

 ほんと単純なやつだな……。

 そんでそのせいか俺の頭をポンポンリズミカルに叩いてくる。うぜえ。

「いいから、早く教えろ」

「そうあせんなさんなって、まあよーするにアンタは、浮気現場を見られたってわけよ」

「はあ?」

「まったくー、堂々巡りかよー。だからさっきも言ったけどー、裁駕うちに抱きつかれてたじゃん?」

「なんでそれが浮気になるんだよ。というか別に俺は瑠羽の彼氏じゃねえし。そもそもお前が勝手にやったことだろうが……」

「うるさいなー。じゃー、裁駕は瑠羽が他の男に抱きつかれてたらどーするわけ?」

「逮捕する」

 妹にそんなふざけた事するような輩は、当然即刻現行犯逮捕&無期懲役に決まっている。

「えっ、なにそれ、MJD? え、ドン引きなんですけど」

 自分の肩を抱いて青い顔をするなっちゃん。しかもさっきまで俺の真横にいたくせに、一瞬で俺から遠ざかっていった。

「なにがだ?」

「えっ、こ、怖。引くわー、さすがにこわたん。…………まあ裁駕のシスコンっぷりはキモいけどー、とりまそういうわけよ」

 まあなっちゃんの奇行はよくわかんねえが、彼女の言葉を現代語訳すると……。

「瑠羽はやきもちを焼いた。つまりそういうわけだな」

「アンタがー、そー思うならー……そうなんじゃ、ね?」

 なんで震え声で彼女が返答するのかはよくわからなかったが、なっちゃんが変なことを言ったりしたりするのは日常茶飯事なわけで、気にする必要はないだろう。

 にしても。

「やはり瑠羽はかわいいな」

「そ、そっかー。たしかにうちもなかなかシスコンだったけど、アンタとはレベチだわ」

「妹ってかわいいよな」

「……あーね」

 目を伏せ、諦観したような表情でなっちゃんは同意した。わかってくれたみたいだ。

 というわけで、俺は瑠羽のご機嫌取りに行くことを提案。

「じゃあ謝りに行こう」

「やだ、メンディー。つーかそんなことでいちいちゲザる必要なくね?」

 なっちゃんは欠伸をしながら釈迦入滅時のようなポーズを取り、ここから絶対に動かないという意思の強さを見せつけてくる。他人の家を我が物顔でくつろぐこの図太さは何?

「事の発端はお前にあるじゃねえか」

「そんなこと言ったらー、そもそも八丁味噌しか置いてないこの家が悪いー、みたいなー?」

 尻をポリポリ掻きながらそんな悪態をつくなっちゃん。心が平静を失っていく。

「はー、くたばれ! このにわかギャル! くそが!」

「あっははは、いー歳して語彙力なっ! ははっ、マジうけるー。片腹痛し!」

 床をバシバシ叩きながらゲラゲラなっちゃんは笑う。しかもどこからともなく携帯を取り出してポチポチやりだした。その月額料金、誰が払ってると思ってんだ、ファック。

「お前にだけは言われたくねえ……!」

 俺はそう言い残しリビングを後にした。向かう先はもちろん、瑠羽の部屋である。


 るうのへや、と書かれたプレートがかかった扉の前に、俺は立っていた。

 さて、どうしようか。

 俺が悪いとは全く思えないが、俺のせいで瑠羽の気を損ねてしまったという事実は疑いようがないらしい。ならば、もう俺が取れる選択肢は一つだけだ。謝ろう。

 そう思い、謝罪の言葉を扉越しに投げかけようとしたのだが。

「瑠羽、さっきは悪かっ……」

 ビリッ!

「痛っ!」

 扉に触れた途端、鋭い衝撃が俺を襲った。

 そして扉の向こうから、呆れたような、蔑むような瑠羽の声が聞こえてきた。

「許可もなしにはいってこようとするから、そうなる。……ばかにぃ」

「もしかして扉に封印の魔術を?」

「……」

 沈黙が返ってきた、というか無視されただけだのだろうが、まあ肯定とみていいだろう。

 瑠羽は施錠用の簡易的な概符を用いて、外部からの侵入ができないようにこの扉を封印したみたいだ。なにもそこまでしなくてもいいとは思うが、それ程お冠ということか。

 ちなみに概符とは、呪符とは違い決められた一つのことしかできない代わりに、簡単に魔術を扱うことができるようにするカード型の触媒だ。ほぼ戦闘用の呪符とは違い、主に日常的な場面で使用される。なので、そこまで強力な効力を持つものは一般には流通していない。よって、破ろうと思えばこの封印も破れないこともないはず。

 と思っていた矢先、まるでこちらの心の中を覗いているかのような瑠羽の言葉が響く。

「もし無理矢理入って来たら、にぃとは二度と口きかない」

「そんな……。俺はただ瑠羽に謝ろうってだけなのに」

「そ。別ににぃはなんも悪いことしてないんだからあやまらなくていい」

「でも、なんか瑠羽機嫌悪そうだし」

「わるくない」

 どう聞いてもその声はムキになっているとしか思えないのだが。

「そ、そうか?」

「そ」

 そう言われてしまうと、こちらとしてはもうどうすればいいのかわからない。困り果てた俺は、部屋の前で突っ立っているしかなかった。

 しばらくそのままじっとしていたら、扉の向こうからイラついたような声が飛んできた。

「……いつまでいるの?」

「瑠羽が許してくれるまで、とか?」

「なにそれ、キモい。別にるう怒ってないし。はやくどっかいったら」

「いや、しかし、いつもと様子が違うなと」

「しつこい。るうは今一人になりたい気分。にぃもそんなに誰かと一緒にいたいならるうじゃない人のとこいけばいい。そういう人、いくらでもいるはず」

「そんな奴、瑠羽以外にいねーよ」

 俺は本心を告げているつもりなのだが、瑠羽は納得してくれないようで。

「嘘。そんなこと言うにぃはしょうこに殺されちゃえばいい」

「さすがにそれは俺でも傷つくんだが……」

 俺がガチで傷心していると、それに止めを差すかのように瑠羽はこう言った。

「知らない。いいかげんどっかいって」


「……」

 大好きな妹の反抗期(?)に打ちのめされた俺は、もうなにも言えなくなっていた。がっくりと膝を突き、泣きそうになるのを必死で堪える。年頃の女の子の気持ちなんて、おっさんにはわかんねえよ。……もう泣きたい。

 そんな、情けなさすぎるおっさんに声をかける女が一人。

「瑠羽ちゃんもああ言っていますし、今はその通りにすべきではないでしょうか」

 そんな落ち着いた声を発するのは、子供っぽいあの二人とは違い、大人な雰囲気を纏った一人の女性。和の心を感じさせる淑やかな美人といった風な彼女は、いつも通り上品な和服を正しく着付けている。学生服をギャルアレンジしてしまうどこかの誰かさんとは大違いだ。髪色は同じ黒だが、なっちゃんとは大分趣を別にしていて、ロングのストレート。また、彼女からは人妻感のある妙な肉体的艶めかしさをぐいぐい感じるところも、なっちゃんとは異なる点の一つだろう。といっても、見た目はかなり若い。人妻は人妻でも若奥様っといった所か。まあ現在は人妻でもなんでもなく、フリーなわけだが。

「しょこたん、また勝手に……」

「勝手ではありません。ワタシが恋願った故のこの身体なのですから……。恋に間違いはあっても、間違った恋などないんですよ、サイ様」

 この落ち着いた声で狂った事をのたまい、俺のことをサイ様と呼ぶ美人さんが、さっき瑠羽が「しょうこ」と呼んでいた人だ。

 実はこの人もなっちゃんと同じストラージャで、役は恋人、契約している幻想魔導師は瑠羽。つまりは人々が故人に抱いた夢想の具現者なのだが、少し困ったところがある。

 それを説明する前に少し予備知識を。

 普通、ストラージャというのは幻想魔導師に纏臨された場合にしかこの世に降り立つことは出来ず、また、呼び出されたストラージャは人々に願われ、畏れられた通りの存在であろうとするものである、ということになっている。通常、彼等は等しくそういった性質を持つ。そういうわけで、まず幻想魔導師がいなければ、また、もっと言えば彼等の存在を想う人がいなければ、ストラージャはこの世に降り立ち得ない。

 でだ、にも関わらずこのしょうこという奴は『自分から』『勝手に』『瑠羽との契約を無視して』この世へと顕現する。そんな特異な存在なのだ。

 しかもその理由が

「嗚呼……、今日も伊達で素敵です……サイ様」

 こんな風に俺に心酔しているから、というものだ。俺は、彼女に、求婚されている。

 そんな理由で契約を無視して、愛の力で好き勝手現世に現れることが可能な所なんかは、あまり戦力としては期待できない恋人のストラージャ唯一の強みではある。使い手である瑠羽からしたら、はた迷惑な話だが。それだけじゃなく、俺にだって俺と契約している恋人の役を持った別のストラージャがいるのであって……そんなことされても困るのだが。

 とはいえ、恋人のストラージャっていうのは当たり前だが美男美女が揃っているわけで(後世の心象によってそうなっただけで生前もそうだったとは限らんが)、まあ、例外なくその法則にきちんと当てはまっていて美しい顔立ちをしたしょうこに愛されるというのは、男からしたら喜ぶべきことなのかもしれない。ま、まあ、普通だったらな……。

 というのも、彼女は結構異常なのだ。彼女の生前での所業を一言で言えば愛に生きた美女ということになるし、本当に恋人のストラージャを冠すに相応しい人生なのだけれども。

 けれどもだぜ、彼女が自身の愛の為にやったことはなかなか常人の理解の範疇を超えていて、彼女に愛されるというのはある意味死を意味しちゃったりする訳さ。なあ、怖くね?

 しかもそういう猟奇的な愛の形が人々の間でカルト的人気を生んだ結果集まった大量の畏怖が彼女を形成したわけで……、彼女は勿論そうあることを望まれた存在……。

「瑠羽ちゃんに嫌われたのは、きっと天からの啓示だと思いませんか?」

 不意に耳の内を這う、蕩ける様なウィスパーボイス。熱い吐息が俺の耳にかかる。

「なっ、なんのだ!? というか嫌われてはない!」

 突然の刺激に驚きの声を上げ、真横に向き直る俺を、しょうこは超至近距離からじいっと暗い瞳で見つめていた。その焦点の定まらない垂れ目と見つめ合っていると、なんだか徐々に自分が彼女の中に吸い込まれていくように錯覚してしまう。

「大声を出すとまた瑠羽ちゃんの気を害すだけ。ならば今は引くが吉です、サイ様」

「ああ、わかったよ」

 彼女は一応、恋人の役を当て嵌められたストラージャ。人間関係を良好にしたいなら、彼女の忠告は聞いておいたほうがいいような気がする。

 そういう訳で、瑠羽との未来の為に、今の瑠羽とは離れ、居間に戻ることにした。

「わかってくれてなによりです。わかってくれなかったらワタシ、怒って……いました」

「怖い事言うなよ」

「怖いことなどどこにあるのでしょう? ワタシの激しい感情をぶつけられて……、サイ様がワタシの愛の大きさを、知る……っ。嗚呼……、なんて、なんて、ゾクゾクする……!」

 そう言うとしょうこはその豊かな肢体を何かを我慢するように小さく揺らす。鮮やかに紅が塗られ光沢をみせる唇と、肉付きの良さが着物越しにでも目を引く下半身へ、それぞれその美しい両手を動かし、何かが溢れ出るのを押さえつけるようにしながら。

「お、おう」

「わかってくれますか。この、ワタシのこのキモチ。この熱い想い、これ、これが……恋!」

「そ、そうだな」

「ウレシイです、嗚呼……この想いを確かめたい。たとえ、わかっていても。わかるほどに……不安に、不安に、なってしまいますから」

 いつも通り様子がおかしくなっていくしょうこに、底冷えのするような恐怖を感じていると、声音をがらんと変えた彼女が俺の手を固く握り、諭すように口を開いた。

「沈黙は、嫌いです……。合意の上の沈黙でない、沈黙は。ワタシのでない、沈黙は」

「あー、悪いな……。あ、そ、そうだ、今日はなっちゃんが来てるぜ」

 なんだか雲行きが怪しくなってきたので、とりあえず話をそらそうと試みる、俺。

 すると、握られた手が痛む。見れば、しょうこが俺の手をより一層強く握りしめていた。しかも、その力は徐々に強まっていく。口調も、段々強張っていく。

「なっちゃん……? はて、そのような方、存じ上げません。それより、ちゃん……とは、なんでしょう? その、ちゃん……というのは、女性に付ける敬称……。おかしい、おかしいですねおかしいなおかしなことがおかしいおかしいです。なぜ……他の女」「じょ、冗談きついなあ、しょこたん! なっちゃんとは何度も会ってるじゃねえか、ほ、ほら」

 鬱血し始めた腕に、据わった目。命の危険を感じた俺は急いでリビングへ向かう。

 そして、そんなこんなで慌てて入ったリビングには、手鏡を前に髪をいじっているなっちゃんがいた。彼女はこちらに気づくと、こっちに向かって指を指しゲラゲラ笑い始める。

 しかも、笑いながら写メまで撮りはじめた。……おい。

「冗……談……? ワタシは、いつでも本気に、真剣に、誠実に」「おっ! しょこたんじゃーん! おひさー。てか相変わらずコーデエグくねー? かわいいかよ~!」

 まあそんなふざけたなっちゃんではあるが、こうして助け舟を出してくれるあたり、憎めない奴だなと思う。

「嗚呼……わかりました。ワタシ、わかってしまいました。邪魔な虫が、いるのですね」

 視界には入っていたはずなのに、なっちゃんが声を出すまでその存在にに気がつかなかったらしいしょうこ。その一心不乱さ、さすがに引く。というか怖い。

「あ、あんまなっちゃんのことを悪く言うなよ。仲間だろ」

「それな! 裁駕もたまにゃーいいことゆーじゃん!」

「ワタシには、サイ様以外どうでもよいのです。それよりも……しょこたん。嗚呼、この愛の名は、サイ様がワタシにくれたもの……。あなた如きに気安く呼ばれる為の名では無い……。そのことを……また、お教えすべきでしょうか?」

「てかそもそもうちが言い出したんだけどねー、それ。まあでもときとばをわきまえるうちはここは神対応。黙っておくかー」

 そうなっちゃんが言う通り、しょこたんっていうのは彼女に考えてもらったあだ名だ。なっちゃんだけ俺にあだ名で呼ばれているのが気に入らないと言うしょうこの表情がとても怖かったもんで、それ以来俺はしょうこのことも愛称で呼ぶ羽目になった。

「聞こえて、いますよ。聞き捨てならない、聞き捨てならない戯言を。ワタシ、怒って……しまい、ました。嗚呼、この猛り、どうしましょう……。愛の、怒り……を」

 あのー、なっちゃんを怒るのはいいんですけどね、そろそろ手を放して頂きたいかなー。

 なんて、小心者の俺は言えない。もう手のひらがとっくに青くなってはいるけれど。

「うん、てかちゃけばわざと聞かせたわけよ。超暇してたからさー。じゃあ、遊ぼうぜ!」

 そんな俺とは違い、恐れというものを知らないなっちゃんは今日も全開だった。さすがは天下布武とか大それたことを掲げてたと思われてるだけある。

「嗚呼……またワタシは騙される。悪女悪女と呼ばれたけれど、世界はよっぽで悪に満ちている。それを……思い出しました。だから……死んで!」

 そう言うが早いか、俺の手をパッと離したしょうこは着物の袴下から刃物を取り出し一直線になっちゃんの方へと駆けた。そのままいけば、本来は調理器具であるはずのその凶器はなっちゃんの腸を抉りとることだろう。はー、こわいこわい。

「ひゅー、ソク包丁取り出すとか、しょこたんマジパネす。んじゃうちはこれかなー」

 そう言うとなっちゃんもどこからともなく得物を取り出し、構えた。拵えの部分が金や銀で彩られてるのを見るに、恐らくあれは名刀星切りの太刀だろう。

「キモチイイ……。嗚呼……嗚呼っ! 昂まりっっ、昂まりをっ、感じるっ!」

「おおー、しょこたんもJJ? がーさすぅ!」

 二人は楽しそうに、斬り合いを始めた。しょうこは頬を赤く染め、恍惚とよだれを滴らせながら。なっちゃんは純粋な笑顔で、子供のように。正直言って異常だ。一歩間違えば大怪我モノの死闘にも関わらず、二人のストラージャはこの果し合いに喜んで興じている。

 それはきっと、人々が自分では果たせない闘争への欲望を、彼女達の物語の中に見出し希ったから。それによってできあがったのが、彼女達の人格の基盤だったから。

 ただ、もしも彼女達が普通を望むことがあったなら、喜んで手をかそう。それくらいしか俺が彼女達にしてやれることはないのだから。俺はこっそり居間を抜け出しながら、そんなことを考えていた。部屋に刀傷がつかないことを、天に祈りつつ。

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