第1話 レッドガール・インパクト

「あー、だりぃ……」

 深夜の閑静で真っ暗な夜道に、そんな心底気だるそうな声が虚しく消える。

 この頼りない声は#紫紺寺裁駕__しこんじさいが__#というしがない公務員……つまりは俺の発したものだ。あと自分で出しておいてなんだが、口から出た声が案外情けなくて余計に気が滅入った。

 今、目線のかなり先にあるのは夜だってのに摩天楼どもが光輝く不眠街。さすがは我等が倭国の誇る帝都、天神町。眩しいったらない。対して、俺がいるのは左右を高層ビルに囲まれて明かりなんてほとんど無い不気味な裏通り。もう夜道の一人歩きがこわいなんて騒ぐガキではないが、嫌になるってんだ。全く。

 夜勤ばっかさせやがって、あのクソ女。もうこれで七日目だぞ。一週間だぞ、一週間。

「ん?」

 なんて心の中でぼやいていたら、目前に小さな人影。子供だろうか? こんな時間に?

 さて、俺は巷では所謂お巡りさんなんて呼ばれるような仕事をしている。そんな事情で、こういう輩には、面倒なことに、声をかけなくてはならない。少し距離があるので歩み寄る。その影は俺に背を向けていて、こちらの存在に気付いていないかのようだった。だが、

「おい、止まれ」

 そんな険しい口調と共にその影は振り向いた。フードを目深に被っていて、尚且つこの暗さだ、顔は陰って殆ど見えない。

 しかし、これではっきりした。こいつは女だ。それもかなり低い年齢の。

 なぜ顔も見ずにわかるかって? そんなの簡単だ。まず背丈が低い、それにかなり華奢だ。ボロ布みたいなもんを巻いただけの貧相な服の上からでもわかる。体の線がとても細い。そしてなにより、その胸を暴くような鮮明な強い声が、少々可憐に過ぎた。

「止まれと言っている。それ以上踏み込めば命の保証はない」

 ドスを効かせようとするも失敗している可愛らしい少女の声を無視して近付く。本来はそういう役職じゃねえんだが、必要があればガキの補導もしなきゃなんねえからな。まず深夜に少女が一人出歩いてるってのが問題だ。しかも、こいつからは犯罪の香りがする。  

 なぜならば、こいつの服装ははっきり言って異常だからだ。布団のシーツを滅茶苦茶汚くしたみてえな布を頭から被って紐で結んだだけの格好。そんなイカした身なりを目の前の謎に溢れる少女はしているのだ。

 俺は心の中で面倒くせえと悪態付きながらも、それは表に出さず、優しく語りかける。

「どうしたんだお嬢さん? 家出でもしたか?」

 すると。

「……家出、だと? 誰のせいで我らの郷土が焼け落ちたと思っている! ぬけぬけと……! よくもまあそんなことが言えたものだな……! 挑発のつもりなのかもしれんが、死にたいというのなら……!!」

 ダンッ!

 夜道の静寂は怒号と爆音によって破壊された。それは、少女が怒りを露にし、地面を力強く蹴りだした音。ただそれだけなのに凄まじい圧。その衝撃で彼女の脚があったコンクリの地面は抉れていた。華奢な体からは想像もつかない剛力で踏み出された細い足は、既に俺の目前にまで迫っている。

「――その望み、叶えてやる!」

 これはまずいと感じたときには、もう蹴り込まれていた。咄嗟に反応したが勢いを殺せず、吹き飛ばされる。少女は魔術を行使するような素振りを見せなかったが、支援魔術無しの純粋な魔導でこの威力ってのは相当なものだ。

 受け身を取りながら相手の実力を見定めていると、開いた距離をすぐに詰められる。少女は次の攻撃を繰り出そうと拳を伸ばす。それを受け止めながら俺は同僚に念話で連絡をとばす。懐の通信用概符に魔力を通すことによって。

(警邏中、敵対、及び武力行使を確認。これをもって警羅執行妨害と見なし対象の拘束を開始する。場合によっては転移式の必要見込み有りと判断、以上)

 その間も、絶え間なく打撃は飛んできた。

「どうした? 避けに徹していないで攻撃してきたらどうだ? いつもの、ようにっ!」

「いやいや、俺一応さ、お巡りさんなんだわ。制服見ればわかると思うけど。だから簡単に市民を攻撃しちゃまずいわけよ」

 小さくも重い拳を振るい続ける少女は、痺れを切らしたのか幼さの残る声で高慢に俺を煽る。だが、俺はあくまで市民の為に働いている一公務員であって(その中でもちょっとばかし特殊な職種ではあるが)、理由もなく市民を傷つける事は認められていない。

 その常識を自分が着ている制服でアピールしながら訴えるが、暴力の雨は止まず。かえって少女の攻勢は加速。さらには理解不能な言葉さえも突きつけてきた。

「ならば……! なぜ我々を襲った! 先に攻撃してきたのはお前たちではないか!」

 冗談じゃねえ。なんなんだこいつ。どう考えてもそっちから攻撃してきただろうが。

「はあ……? よくわかんないけどそれ以上攻撃するようなら反撃させてもらうからな。一応、警告はしたぞ。後で訴えたりすんなよ?」

 なんで完全に被害者側である俺がいちいちこんなこと言わなきゃいけねーのかと腹も立つが、規則を破るわけにもいかず。無条件で市民に手を掛ければ、それがたとえ犯罪者であったとしても捕まるのは俺だからな。そんな阿呆らしいエンディングは迎えたくない。

 俺が宣誓を終えると、どういうわけか少女の攻撃も一旦止んだ。バックステップで少し俺から距離を取ると、こちらを一瞥し、構えを取る。

「ふっ、望むところだ! お前たちに私たちが感じた痛みを味あわせてやる!」

「キマっちゃってんなあ、こりゃ。異常者の相手とか、勘弁してくれよ、全く」

「そこそこはやるようだな、だがそれでいい。なぜならお前は最初の粛清対象だからだ。記念すべき革命の第一歩が半端者では民の心を掴むに能わない。スタートは劇的に、苛烈に、残酷に、真紅に……っ! アビエルト!」

 そう言いながら少女は呪符アルカナを展開。五六枚の小さなカード状の物体、つまり、呪符が、少女の腰の辺りで宙に浮かび、十字状に漂う。彼女の展開式は攻撃重視のケルティッククロスのようだ。

 展開式を起動した反動で轟々と吹き乱れる風に彼女のみすぼらしい服がはためき、フードがめくれる。すると、その下から微かな月明かりに照らされた幼い容姿が露になった。

 その童顔は、夜の帳に隠されていても眩い輝きを放つかのように美しく、血のように真紅に染まった炎髪は闇を裂く。けれど、決死の狂気を感じさせるギラギラとした異様な眼と、それでいて凛とした表情に浮かぶ好戦的な笑み。その組み合わせは……歪だった。こんないたいけな少女がするような顔ではなかった。身を竦ませるような意志の強さが伝い来て、全身にひどく鳥肌が立つ。凄まじい殺気。今まで確保してきたどんな凶悪犯罪者よりも、この年端もいかないであろう小さな少女は異質だった。

 さっきは殺人鬼じゃねえと仮定したが、怪しいぞこりゃ。少なくともコイツ、間違いなく人死にに関わる壮絶な何かを経験している!

 それも一度や二度でなく、何度も! 何十回も!

「――染め切るっ! 創炎式一ノ四、紅大蛇!」

 少女は自身の周囲へ展開した無数の呪符の内ニ枚を眼前に移送させ、手刀で切り裂くと、魔術行使に必要な詩を詠み上げる。それによって火炎の大蛇が現界。ごうごうと燃え盛る炎熱が俺の皮膚にまで伝わり、次の瞬間にはこちらに向かって襲いかかってきた。紅蓮の咆哮と大気を焦がす音が、こちらの鼓膜までもを焼かんとするかのように迫り来る。

「おいおい、まじかよ?! なんてもん打ち込みやがる! まったく、勘弁してくれ……」

 焼死体になる気なんてさらさらない俺は、愚痴もそこそこに抵抗を開始。取り敢えず炎の大蛇を回避するため跳躍、そしてそのまま左右を囲む十階建て程度のマンションの壁を蹴って飛び続け、屋上まで退避。その最中に先程と同様の手法で同僚に念話を飛ばす。足元では爆音と共に少女の魔術が炸裂、炎が闇を照らし、焼き尽くし、飲み込んでいた。

(対象の呪符による本官への攻撃を確認。至急、転移式の開始を要請!)

(そうねー。見てたけど、あの子強そうだったもんねえ。まーあ、いろいろ気になるところはあったけどお、準備もおっけーだし、いいわよお。あと二百秒まっててねぇー)

(……了解)

 いつも通りの甘ったるい声を聞きながら、こちらもも呪符を展開させる。視界の端で既に追いついてきている少女と、その手から放たれようとしている魔術を見つめながら。

「展開!」

 俺の言葉と共に、懐に収まっていた五六枚の呪符が俺の周囲の空間を一定間隔で埋め尽くす。俺は少女とは違いリスクが大嫌いなので、彼女と比べ超防御的というか一般的な展開式であるホロスコープを用いている。ちなみに腰の辺りを漂うこの呪符は、もはや魔術を行使するのには必要不可欠となった触媒だ。俺たち#魔導師__アルケミスト__#は、その小さいカードのような呪符を用いて魔術を、そして時には魔法さえを駆使するってわけ。

 今にもこちらへ攻撃魔術をぶつけんとする、小さな少女もまた強力な魔導師なのだろう。その、幼さに関わらず。出会ったばかりだが、わかる。彼女の実力は、並大抵ではない。

「そうだ、逃げろ、もっと逃げるがいい! いつも追っていた貴様らが逃げに走るのはどんな気分だ? 痛いか、苦しいか? だが……、こんなものでは足りない。私たちが受けた痛みは、苦しみは、果を知らぬかのようだった! さあ逃げろ! その痛みと苦しみの連鎖、その沼にお前を叩き込んでやる! その汚く澱んだ、赤い血をもって!」

 少女は全身を憎しみに染め、意味不明な言葉を吐き出し続ける。けれど、その声は真に迫り、また、その決意に満ちた表情は悲痛に支配されていた。。

「俺がヒーローなら、こういう女の子とか、ぱぱっと救っちゃうんでしょうけど。それも力あっての物種だよなあ……」

 そんな感傷に浸る間もなく――

「もんどり打って地に堕ちろ! 蒼穹式六ノ一、怨嗟風淵」

 甲高い詠唱の声が響くと、俺の視界を漆黒の殺意が覆う。少女は再び任意の呪符を目前に移送し、裂いたのだ。それは、六の聖杯と、一の凶剣。安定と崩壊を意味する二枚。

 それによってもたらされた魔術は、触れれば四肢をずたずたにされることがやってみなくてもわかる程に凄まじい、黒く冷たい竜巻だった。まるで、死が風という形をもって具現したかのような大気の狂乱が、俺を飲み込まんと吹き荒ぶ。

 しかし、問題は無い。相手の術式は蒼穹式六二。それがわかっているのだ。それさえわかれば対処のしようはいくらでもある。俺は自分で言うのもなんだが、そこそこには強い。このレベルの術式でも、そこそこに頑張ればなんとかなる。余裕のよっちゃんって程ではないにしろ十分に対処可能だ。何の問題もない。ミッションオールクリア――

「――な、はずなんだが……。クソッタレ!」

 なんなんだこれは? 状況がイレギュラー過ぎるぞ、くそっ!

 俺はかなり混乱していた。少女の言動の意味不明さもそうだが、もっとわけのわからない事態に俺は陥ってしまっている。

 なぜ俺がこんなに内心慌てているか、理由は簡単。この少女が使っている術式が、俺にとって初めて見るものだったからだ。つまり、彼女が行使した術式は、この世界に本来存在していないはずのものである、ということになる。

 俺の知る限り、創炎式一四は暁嵐牙、蒼穹式六二は乖離雹慣。なのに……。

どういうことだ? どうなっている?

 心に疑問が止めど無く溢れる。脳が理解を拒否している。意味不明だ。

 ……ここは一旦落ち着こう。戦闘中の混乱、未知は死を招く。情報は命だ。起こったことを冷静に分析することが保身に繋がる。クールにいこう、クールに。

 そんなわけで、ここは一度、最も基礎的な魔導の知識を再確認しようじゃないか。

 魔道師を志したなら誰もが初期に覚えること。それは、術式は決まったものしか存在しないということ。それはまるで九九の計算式ように永久不変。それ故魔道師は、これまた小学生が九九を覚えるのと同じく術式を暗記しなければならない。

 簡潔に言えば、術式に自分だけのオリジナルはないのだ。

 なぜならば、術式というのは魔力の衰えた現代魔導師の為、末葉の大魔法使いアレイスター・クロウリーが編み出した魔導転用式魔術行使法であり、アイツの残した数多の功績の内の一つであるからだ。故にそれは、個々人によって詠唱、威力の差こそあれ、その魔術によってもたらされる事象が違うということは絶対に有り得ない。個人が独自の魔術を使える時代はとうに終わりを迎えているのだから。

 なのに、どうしてこのガキは見知らぬ術を扱ってやがる? それに、呪符を裂いて術式を行使するなんて芸当、正直言って意味不明だ。なぜなら、呪符っていうのは普通使い捨てはせず、恒久的に使用していく魔術触媒であるためだ。

 わからない。わからないことだらけだ。だが、少女が用いた術式、怨嗟風淵からもたらされた死の風は止まるところを知らず。このままでは俺が屍を晒すのも時間の問題だった。

 俺は少女の使う魔術に疑問を覚えながらも、解明の猶予もなく、急ぎ防御に転じる。

 手前に展開しておいた護符の四を急遽指と指の間に挟み、足元へと放つと、唱えた。

「涅式四、土偶璧!」

 詠唱により、死の竜巻と俺との間に巨大な土の障壁が発生。そして、俺が真横に飛び移ると同時に轟音。生み出された障壁は暴風に対し一時的な遅延をなしたものの、進行を完全には防ぎ得ず、分厚い土の壁を突き抜けた黒風はそのまま真っ直ぐ通り抜けていった。

 なんつー威力だ。いつもなら、大抵の魔術はこれで止められるんだが。

 と、驚いている間にも、奴さんの次弾は装填されていく。

「安寧貪りし愚物、混濁を知れ、その身に宿る醜悪こそを! 緋金式二ノ七、羅貫緋縅!」

 その言葉と共に、俺の足元から次々と巨大なトゲ状の岩石が地を破り空高く突き出でる。尖った石巌で今にも串刺しにされそうだった所を跳躍して躱す。

「うおい! 勘弁してくれよ。殺す気か! おまわりさん殺すって重罪だぜ? なあ!」

「命乞いなど無駄。そう知ったのは誰のせいだったか! 此度は私が宣教か! ふっ、ははははは、笑わせる、笑わせるなあ、血族主義者ァ!」

 少女は狂ったように笑い、こちらを強く睨みつけている。なんなんだこいつは……。

 とはいえ、彼女の言ってることと、なぜ呪符を破って術式を行使するのかはよくわかんねえが、彼女の得意な魔術はわかってきた。

 さて、術式というのは、詠唱とともに展開した呪符を一枚又は複数使用して行使される魔術だ。そして、術式に用いられる呪符はタロットの内の小アルカナだけであり、それは全部で五十六枚ある。内訳は一~十までの数札ピップカード十枚と、王、女王、騎士、少女の四枚からなる絵札コートカードを合わせた十四枚一セットが、四種類のスート(錫杖、護符、凶剣、聖杯から成る)分存在し、十四×四で五十六となっている。

 そして、体感したとこだと、使用方法こそ俺の知っているものと違えど、その辺の基礎は彼女もこっちと一緒らしい。ありがたいことに。

 で、それら五十六枚を組み合わせることによって、俺達魔導師は術式を行使する。

 そんな無限とも思える程種類の多いことが売りの術式たちなのだが、今までイカれた少女がこっちに撃ってきた術式はその属性こそ違えど、その本質は全て同じだった。本来ならば術式を行使するまでの工程というのはその術式によって多岐に渡るはずなのにも関わらず。体内外の魔力を術式にどう作用させるか、というのは、当然それぞれその術式ごとに異なっているものなのだ。日常生活において、声の出し方一つとっても様々な種類の声色に分類できるのと同じに。

 けれども、彼女はそれが全て同じだった。なぜだかは知らんが、彼女は常に一定の方式で術式を行使している。さっきの喩えで言うのなら、彼女はずっとシャウトしている。

 そう、彼女のその自虐的方式は――体内魔力の極限までの暴走。

「おい、お前その調子じゃあ、頭だけでなく体まで壊れちまうぞ!」

 彼女の術式の使用法は驚くべきことに、体内魔力を暴走させられるだけさせ続け、臨界点に達した魔力を呪符を通して体外に解き放つ、というものだった。

「元より承知。その程度の覚悟なくして復讐など語れんさ、語れるわけなど、ない!」

 彼女が今までに引き裂いた呪符は、安定、調和を表す錫杖の四、聖杯の六、錫杖のニ。それに加え、破滅、変化を表す錫杖の一、凶剣の一、護符の七。彼女は、この相反する性質を持つ二つの呪符を毎回組み合わせていた。これが意味するのは、一旦沈着させた体内魔力の加速度的超爆発。静から動への劇的急変。

 それは莫大な威力を発揮する代わりに、術者の体に多大な負担を強いる術式。相当の手練でも、ここぞという時にしか使用しないような諸刃の剣だ。それも、禁呪である逆位置を併用することで更に火力を底上げしている。

 そんな劇薬をこの少女は乱発している。それでも平気な顔をしている彼女の技量、忍耐力は称賛に値するが、一歩魔力調整を間違えば自爆しかねないし、使い続ければ死に至る。少なくとも、短時間に何発も撃つようなもんじゃあない。狂気の沙汰だ。

「さっきからお前が何を言っているのかさっぱりわからねえが、これだけは言うぜ。今すぐその自傷行為みてえな魔術の使用を止めろ」

「自傷行為! 自傷行為ときたか! ハッ、自傷行為など、幾らでもやってやるさ! ああ、やってやろうとも、貴様等血豚に汚されるくらいなら己が手で確かめようか。私の血の赤さを! このウルティオ、復讐の赫色を!」

 少女は高らかに狂い叫び、月光に妖しく輝く。月明かりに立つ彼女の赫灼は、思わず命の危険さえ忘れて見入ってしまう程、人の心を惹き付ける魅力に溢れていた。強い意志を感じさせつつも、その存在が朧気であるような、そんな危険な、どこか死に似た魅力に。

 例えば、ガヴローシュ。

 後世に絶大な影響を与えた仏国詩人ユーゴー、その名著、『レ・ミゼラブル』の登場人物である、その少女。六月暴動に参加するも、凶弾に死す少女。親の愛を知らず、けれど陽気で、人を惹きつける、そんな、死を恐れながらも勇敢に戦う浮浪児。

 そのガヴローシュのモチーフである『民衆を導く自由の女神』という絵画に描かれた2丁拳銃の少女に、彼女はよく似ていた。その髪色も目の色も肌の色も、全てが異なっていたけれど、その革命的な雰囲気が、壊れそうな在り方が、その絵画に酷似していたのだ。

 だからなのか、俺はまるで美術品を目にしたように、彼女の姿に見入ってしまっていた。

(なに~、見蕩れてるの~? 裁駕クンって意外とロリコン~?)

 しかし、同僚からこんなふざけた通信が送られてきたことで、俺は正気に戻った。

(かなり不服だが……、ありがとう、助かった。もうこちらの準備も完了した。いくぞ)

(りょうかーい。あいむかみんぐとぅ~)

 相変わらず艶がかった声に辟易とするが、実際仕事は出来るんだから無碍にも出来ん。

「……き、軌跡……、在り。…………よ、…………混じれ…………ギ……」

 と、俺がほうけている間に少女は宣言通り親指を噛み千切り、その髪の色のように紅に染まった血を細い指から流れさせていた。そして、どうやらそれを媒介として何かする気らしい。ぶつぶつと恐らくは詠唱であると思われる声が漏れ聞こえてくる。

 って、やっべ。あれはきっと……かなり、まずい。

 なぜなら、彼女の手に握られているのは小アルカナではなく、大アルカナだからだ。

 大アルカナとは、七八枚からなるタロットカードの中から小アルカナ分の五六を引いた、二十二枚のアレゴリーからなる強力なカード群のことを指す。

愚者、賢者、真祖、皇帝、女神、教皇、恋人、軍師、勇士、隠者、操者、正義、咎人、死神、巨匠、悪魔、聖人、極星、夢幻、寵児、貧民、人神。

 それ等二十二種類のカードは、人々の願いが生んだ奇跡。

 神話や伝説、昔話やお伽噺の中で語られる尊大な先人、それ等に対し人々は強い夢想を抱いた。誰もがその偉大さに慄き、その魅力に惹かれ、その残忍さに恐怖した。そういった人々の膨大な感情や想いは、いつしか人格を得るにまで至り、その奔流は小さなカードへと封じられ、二十二の役の内どれか一つを与えられた。それこそが大アルカナなのだ。

 少し違うが、付喪神の故人版とでも言えばわかりやすいかもしれない。

 そして、きっと少女がこれから行おうとしているのはその大アルカナを用いた非汎用術式。膨大な力を借り受ける為世の法則を捻じ曲げる、魔術の域を突破してしまった力。

 即ち、魔法。それも、あの纏臨魔法であるということだ。

 纏臨魔法とは、魔力の弱まった現代魔道師が行使可能な唯一の魔法。それは、大アルカナを媒介にした魔導により、その土地の人々の無数の願いを汲み出して一つに纏め、それによって偉大なる先人達を再現し降臨させる、死者冒涜の禁呪。もはや呪術の如き卑しい魔法。人々の夢の具現。まあ簡単に言えば、俺達に絶大な憧れや恐れを抱かせる存在を、俺達の望み通りの姿で(たとえ本来はそのような人物でなかったとしても)この世に再誕させる法。それが纏臨魔法なのだ。

 よってどんなフェアリーテイルも夢物語も英雄譚も、この纏臨魔法の下では現実となる。悪党名将剣聖暴君義賊預言者……それ等全てが顕現し得る。人が夢を、見続ける限り。

 人の夢とは、人には叶えられなかった極限。つまり人の身では、その結晶には敵わない。

 そう、纏臨魔法とは考え得る限り最強の力。だからこちらも、相手に先じられる前に術式を起こさねばならない。俺は急ぎ四枚の呪符を地に敷き、詠唱を始める。選んだのはいつも通り錫杖の七、護符のニ、凶剣の六、聖杯の三。この場合それぞれが戦況向上、熱狂、退避、遊戯を意味する。

「現在座標送付、対象認識完了、出力先了解、自己認識完了、施行認可取得、魔力誘導完了。全行程終了。これより転移式七ニ六三を行使する」

「何をしているつもりか知らんが……もう遅い、遅すぎた。貴様に死を。意味なき死を。栄えある初めの革命だ。革命の第一歩となることを泣いて喜びながら……怯え死ね」

 急に少女から膨大な魔力の高まりを感じる。しかし、変化はそれだけではない。その可憐な見た目にも変化が現れていた。また、その赤き身を包む衣服にも。握られていた筈の呪符にさえも。無造作に後ろで結われていた長い赤髪の髪紐は千切れ、髪には黒が混じり出し、水を油が弾く様に黒と赤の部分に色彩が分かたれた。そして髪型もハーフシェイドから人の目を引くような奇抜なものへと変貌。服装は、カトリックの影響を色濃く受けたようなデザインにも関わらず、派手な色調を採用したマント付きの司祭服のようなものへと。また、鋭い目つきはそのままだが、顔付きが大きく変化。そして、手に握られていた大アルカナは十字に千切られ捨てられて、その代わりに銀の十字架が収まっている。

「……なんだ、これは?」

 彼女の変容を目の当たりにした俺が抱いた最初の感想は、そんな驚きとも言えるような、思わずこの現実を拒否したくなるような、戸惑いだった。 

 こんなものは纏臨魔法じゃない! だが、確かにこの目前で起きた不可思議な現象は、魔法の域に達しているとしか思えないものだった。しかし、どういうことだ? 現代に纏臨魔法以外の魔法は存在しないはず。魔法の時代はもう終わったんだぞ! クソッ!

 そんな俺の混乱などどこ吹く風で、急な変貌によって別人のようになった少女はなぜか祈るように天を仰ぐ。

 だが、そのどれもが、その全ての変化が、謎が、すべからくどうでもよかった。

 なぜなら、今最も注視すべき変化は――距離。

 元々、彼女と俺の距離は少なくとも二十メートルは離れており、高低差もあった。たった一秒前まで、俺は彼女を見下ろしていた……はず、だった。

 だったのに、彼女はもはや眼下にいない。どこかと見れば――いや、見ずともわかる。その膨大な魔力は突如として背後、それも至近から現れた。

 つまりこの刹那、少女は俺の死角にいる! それも絶大な殺意を帯びて! 瞬きする間もなく俺を殺せる状態で!

 振り向く余裕もない、声の限り叫んだ。

「転移式七ニ三六!」

「足掻き、足掻きか! 滑稽、吐きそうな程に滑稽! 血豚よ、足掻く事さえさせずに奪っていった貴様等が、死の間際には足掻くか。だが、それもいいだろう。要らぬと切り捨てた者共に足掻き死んでいく。その様は貴様等血豚にこそ相応しい」

「遊狂昇天強域!」

「贖いだっ!」

 膨れ上がる背後からの殺気、魔力、熱気。

 そのどれもが俺の急所へ向かっているのがわかった。次の瞬間にはその全てが俺を貫き、俺を帰らぬ人とするだろう。回避の術は無い。後は、ただ最後の術式の成功を祈るのみ。

 そして、制服が裂け、その魔術的防御を易々と突き抜けていく鋭い先端が俺の肌を掠めたのを感じた瞬間、世界は闇に包まれた。

 月が消え、月光に照らされていたものの尽くが消え、少女の血のように紅い髪も眼もその攻撃も消え、二人を包んでいた空間全ては今ここに、消失した。

 空間が、書き換わったのだ。

 これこの力こそが転移式七ニ三六、遊狂昇天強域。時空さえ超えて任意の対象を狩場へと転移する、汎用ながら個人の力では行使不可能な大魔術。スート四枚賭けの超術式。

 そしてなにより、この街の治安と希望を守っている、平和の象徴だった。

 

 ま、そんなご大層なもんをこんな俺みたいな冴えないおっさんが使えてるって時点で、眉唾なピースシンボルなんですけどね。

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